お世話になったお礼を言いたくて
訪れたのは東京都墨田区にある五十畑工業株式会社。創業は1927年(昭和2年)。まもなく創業100年の老舗である。
この取材が決まったときから、どうしても確認したいことがあったのだ。
我が家の2人の子どもたちは同じ保育園にお世話になっていた。2人とも同じ「あのカート」に乗っていたのだ。ひょっとしたら五十畑工業さんのお世話になっていたかもしれない。
これ、12年前の写真なんですが、このカートは御社のものでしょうか……?
雅章さん あ、うちのだ。
和德さん 古い型のものですけど、うちのですね。
そうなんですね……! 直接お礼を言えたらと思っていたんです。うちの子どもたちが大変お世話になりました。このカートに乗るの、大好きだったんですよ。
和德さん 思い出していただいて嬉しいです(笑)
お礼を言えてよかった。おかげさまで反抗期もなくすくすく育ちました。帰ったらうちの子たちにも報告しよう。
さて、このカートの名前は「サンポカー」という。さっそく実物を見せていただいた。
サンポカー、うちの子たちが通った保育園に数台あって、お迎えのときに何度も見かけたけど、こんなに近くでまじまじと観察したことなんてなかったな。
特に目引くのが、中央にある大きなタイヤ。さらに前後左右に小さなキャスターがついている。このカート、6輪なんですよね。
雅章さん これがうちの一番の特徴です。真ん中に大きなタイヤが2つあることで、その場で回転できるんですよ。ちょっと力で、意のままに操れるんですね。
確かに、大きなタイヤを支点にして、カートが左右にスイスイ動く! 操作がすごく軽い。
アルミ製のフレームで、総重量も軽くしているのだという。子どもたちがたくさん乗って重たくなったら、この操作の“軽さ”はとても大事になりそう。
実は都市部の保育園のニーズが高い
もちろん、軽い操作だからといって止まらなくなるのは困っちゃうので、カートを押す手元には、自転車のようなハンドルとブレーキがついている。坂道や乗り降りの際に動かないように、パーキングブレーキ付きだ。
雅章さん 靴がやっと履けるような小さい子は、カートに乗るとき靴を脱がすそうなんですね。で、脱いだ靴をこのポケットに入れてやる。
勝通さん この大きさなので、飲み物や着替えも入ります。「ポケットがあるから選んだ」という話を聞くぐらい、人気のオプションですね。
和德さん 特に都市部だと、ビルの2階が保育園になっている場所もあるんです。カートを広げた状態だとエレベーターに入らないので、折りたたみは必須なんですよね。
「サンポカー」は年間約5000台売れており、北は北海道から南は沖縄まで、全国に出荷しているそう。そのなかで、実は都市部でのニーズが高いらしい。
雅章さん 地方の保育園は広い園庭で園児を遊ばせられますけど、都市部では近くの公園まで連れて行くんですね。長い道中、お子さんの手を引いて歩くのは大変だし、交通量の多い道路もある。だから、こういうものに乗せて、危険の無いように運んであげるわけです。
和德さん 私も営業や修理で保育園に行くことがあるんですけど、保育士さんが「カートに乗るよ」と声をかけると、子どもたちがバーッと集まってきますね。乗るのを嫌がる子どもってあんまり見ないです。
ベビーカーだとぐずって嫌がる子がいるけど、カートは肩ひもで拘束されたりしないのがいいのかも。立って乗れるから、アトラクション感覚で流れる景色を楽しんでいるのかな。
自社で一貫生産している強み
五十畑工業さんによると、保育園用のカートを日本で製造しているメーカーは実質2社。そのうち「おそらく6~7割はうち」とのこと。全国に広まった秘密は、「自社工場での一貫生産」にあるという。
雅章さん うちの工場は、商品をイチから作っているんです。少量多品種の生産体制だから、お客さんの「こんなものがほしい」という要望に、すぐに応えられるんですね。
普通こうしたモノづくりは、企画や設計をする会社があり、金属加工や溶接をする会社があり、縫製や組立をする会社があり……と、いろいろな会社が作業を分担している。
これはこれで効率的なのだけど、たとえば企画や設計をする会社が「ちょっと大きくしたいな」と思ったら、他の会社にぜんぶ影響しちゃう。「あそこの寸法変えるの!?」ってみんなに言われちゃう。
でも、五十畑工業さんはぜんぶ自社でやってるので、設計の段階から「あそこを変えるだけで済むな」とか、「うちの機械でやるならこうすれば楽だな」とか分かる。話が早いのだ。
勝通さん 機械に付ける金型も自分で作るし、布地も裁断からやるので、「20センチ伸ばそう」みたいな要望も対応できます。だから、試作品もすぐ作れるんですよ。
雅章さん お客さんの要望を取り入れて、「こんなのできましたよ」ってやるとね、「こんなに早くできるの!」って喜んでくれるわけですね。その方が保育士さんだったら、同業他社の保育園さんに「あそこですぐできたわよ!」って言ってくれるんですよ。
スロープも、大きなタイヤも、ポケットも、折りたたみ機能も、ひとつひとつお客さんの要望を取り入れて作ってきたもの。
その積み重ねが「信頼」となり、また新しいお客さんを呼んでいるのだ。
双子用ベビーカーを合体して4人用に
そんな五十畑工業さん、最初からお散歩用のカートを作っていたわけではない。
かつては「スワンのベビーカー」というブランドで、東京では1,2を争うベビーカーメーカーだった。
1人乗りのベビーカーを作ってきたけど、世の中には双子の赤ちゃんだっている。双子の赤ちゃんだっていっぺんに運びたいだろう、ということで、双子用のベビーカーを作った。
するとしばらくして、保育士さんから「もっとたくさん子どもたちを運びたい」という声が聞こえてきた。
そうなると「一回作ってみよう」となるのが五十畑工業さんである。
じゃぁ双子用のベビーカーを、向かい合わせに合体して4人用にしたらいいじゃない?と、2×2の発想で生まれたのが「S-88」だった。
雅章さん これが保育園を中心に大ヒットしたんですね。大きなタイヤを真ん中に置く、という発想もここからです。
和德さん 作りが点対称になっていて、前後どちらからでも押せるんですよ。「S-88」という名前も88番目にできたわけでなく、「ひっくり返しても同じように見える」という意味で「88」です(笑)
勝通さん 上から見るとシートが「88」に見えますしね(笑)。
こうして誕生した「サンポカー」は、後継機を徐々に増やしていき、保育士さんの口コミでどんどん広がっていった。
買い換えることになっても、保育士さんたちは「慣れているものがいい」と、同じ商品を買ってくれるのだそう。泥んこ遊びなどでカート内部が汚れたとしても……。
布地には柄物もいろいろあって。「アンパンマン」や「はらぺこあおむし」などのコラボ布地もあるそう。子どもたち、テンションあがるだろうなぁ。
ただ、サンポカーが売れる一方で、五十畑工業さんがずっと懸念していたことがある。「少子高齢化」だ。
雅章さん 1人乗りベビーカーがメインだったころから、いずれ少子化の逆風を受けるだろうと思っていました。ですので、祖母の介護をきっかけに、歩行補助器具や車椅子なども作ってきたんです。
現在のようにシルバー産業が活況になる前から。ベビー用品とシルバー用品を同時並行してきたそう。
雅章さんは「これを10年20年やってきたから生き延びた」「ベビーカーだけじゃとっくになくなっていた」という。
お客様の要望を取り入れたモノづくりを続けてきたからこそ、祖母の介護からきた「自分の要望」も形にできたのかもしれない。