日本人とコーヒー
コーヒーの歴史は古い。エチオピア原産で、古くは薬として使われ、13世紀頃には今日のような飲み方が定着した。日本での歴史を見ると幕末に伝来しているが、庶民が普通に飲めるようになるのは1888(明治21)年頃からになる。
しかし、それまでにコーヒーを飲んでいた日本人たちもいた。そのひとつが、幕末に日本最北端の地「宗谷」の警備にあたった人たちだ。樺太を巡り日露の争いが激しくなり、宗谷は樺太渡航の前哨基地であり、警備の必要があった。
この時代の越冬に用いられたのが「コーヒー」だった。水腫病予防薬として「コーヒー」が配給された。当時はコーヒーが一般には出回っていなかったので、これが庶民が口にした最初のコーヒーと言われている。日本での庶民のコーヒーは稚内から始まったのだ。
当時は、黒くなるまでコーヒー豆を煎って、細かく砕き、2さじほどを麻袋に入れて、熱い湯で砂糖と共に飲んでいたようだ。ブラックではなく、砂糖を入れて飲むのが一般的だった。大田南畝はオランダ商館でコーヒーを飲み、苦くてまずいと言っているので、砂糖は必須なのだろう。
宗谷が庶民のコーヒー発祥ということで、ここから最北のスターバックスを目指したいと思う。なぜスタバを目指すのか、それは私が記憶にある限りでは最初にカフェでコーヒーを飲んだお店がスタバだからだ。私のカフェコーヒー発祥がスタバなのだ。
最北のスタバへ
私が自宅以外、つまりカフェでコーヒーを飲んだのはスタバが最初だったと記憶している。その前にも飲んでいる可能性はあるけれど、当時住んでいた街にスタバができた、ということで母と一緒に飲みに行ったのがたぶん最初のはずだ。
先にも書いたように、スタバの北米以外の新市場における初の店舗が日本だ。縁があるとも言える。今は日本中にあるけれど、スタバを見る度に「スタバ!」といちいちテンションが上がる。私にとってスタバは特別な存在なのだ。それが最北のスタバともなれば、さらに特別となる。
稚内の宗谷岬から最北のスタバを目指して車を走らせた。ちなみにではあるけれど、稚内にスタバはない。ではコーヒーが飲めないのか、と言われれば当然そんなことはない。稚内は多くのチェーン店がある大きな街だ。
モスバーガー稚内店でコーヒーを飲んだ。モスのコーヒーも美味しかった。特別に美味しかった気がする。それはなぜか、このモスバーガー、最北端のモスバーガーなのだ。どの店舗で飲んでも味は同じとは思うけれど、最北がより美味しく感じさせている気がする。
つまり、この理論で行くと最北のスタバのコーヒーもさぞ美味しいと思う。最北は私にとって最良の砂糖なのだ。コーヒーはブラックで飲むのだけれど、最北という砂糖(比喩ですね)を入れることで、旨みが増すのだ。
幌延のトナカイ牧場
稚内を出発して、幌延町に立ち寄った。車の運転には適度な休憩が必要なので、休憩を兼ねて幌延を訪れたわけだ。幌延と言えばトナカイ。1989年にフィンランドからトナカイが10頭やってきて、観光としての発展を目指して「トナカイ観光牧場」も建設された。
餌やりをすることもできる。当然した。餌を手のひらにのせて、トナカイの口元に持って行く。噛まれるのではないか、と恐怖心が最初こそあったけれど、トナカイは手を噛むことなくて、上手に餌だけを食べた。
「トナカイ観光牧場」にはレストランも併設している。そこではトナカイのソーセージなどもいただける。トナカイを食べる機会は日本ではあまりないから貴重だ。以前、アラスカで食べたことがあるけれど、淡白な味だった。
やはりここのトナカイソーセージも、淡白な感じで脂が少ないように感じる。ちなみに「新聞輯録」(明治5年)によれば、肉食後にコーヒーを飲むことを勧めている。「脂油を去る効あり」とのこと。トナカイのソーセージは油っぽくないけどね。


