佐渡にしんこを作る食文化が残っているとはいえ、さすがにもう一部の家庭だけだろうとも思ったのだが、スーパーをチェックしてみたところ、米粉にあんこに着色料がまとめられた、おこしを作るのなんて当然だといわんばかりの陳列がされていた。雛祭りのある3月でもないのに。
せっかく作り方を習ったのだからと、米粉やささだんごの素を買って帰ったのだが、よく考えたら肝心の型が家にはないのだった。その存在を初めて知った5年前だったら、佐渡のホームセンターで買えたのにな。仕方ない、私も彫るか(無理)。
日本海に浮かぶ佐渡島は、金山・銀山で栄えた歴史を背景に持ち、全国から集まり独自進化した文化が今も様々な形で残されている。
今回紹介するのは、佐渡で「おこし」や「しんこ」と呼ばれる、米粉を蒸したカラフルな食べ物だ。調べてみると、落雁(らくがん)の製法と笹団子の材料を足したような食べ物であり、作ることに喜びのある特別な食べ物だった。
今から5年ほど前、佐渡島を旅行中にイベントの出店で、まったく知らない食べ物と出逢った。
それは「おこし型だんご」と書かれており、白い餅のようなものにカラフルな色が付けられていた。
だんごと書かれていなかったら、祝いの席で出されるかまぼこか、仏壇に供える落雁かと思ったことだろう。
だんごといえば、丸くて串に刺さったもの、あるいはお月見のピラミッド型しか知らなかったので、へーっとは思ったのだが、この時はスルーしてしまった。
なんだろう、おこし型って。雷おこしとは違うようだけど。
その日からぼやーっと気になっていたのだが、この夏にまた訪れた佐渡旅行で、島在住の知人を介して調査できる機会が訪れた。
最初にやってきたのは、おこし型を集めているコレクター、児玉さん宅。ここでおこしの「型」について学ばせていただく算段だ。
案内してくれた知人から、かなり変わった家なので行けばわかりますといわれたが、たしかに個人宅ながら民俗文化資料館みたいなすごい家だった。
この家で生まれ育った児玉伊平さん(83歳)によると、「おこし型だんご」という名前で売られていたあれは、このあたりだと「しんこ」、「おしんこ」、「しんこもち」と呼ばれているそうだ。お米の粉(上新粉)で作るから「しんこ」なのだろうか。
専用の木型に入れて「おこしたもの」だから、「型おこし」、「おこし型」、「おこし」とも呼ばれるそうだ。
「しんこ」「おしんこ」「しんこもち」「おこし」「型おこし」「おこし型」、みんな同じものだけど、集落や家庭によって呼び方が微妙に違うのである。
私が見たのは、島外の人も来るイベントだったので、「おこし型だんご」とわかりやすく書かれていたのかもしれない。
この「おこす」という言葉のニュアンスについては、記事の後半で紹介する。
児玉さんの家にある木型は、しんこ用、押しずし用、落雁用で、もちろん佐渡のものが多いのだが、旅先の古道具屋や土産物屋で買い求めた型も混ざっているそうだ。
また古道具屋が全国から仕入れをする今の時代は、たとえ佐渡で売られていたとしても、それが佐渡のものと断定できないことも多い。
児玉さんからそれぞれの型の違いを教えてもらった。
まず押しずし用は、木をくりぬいたシンプルなもの。このあたりの押しずしは、サバやマスを使ったものではなく、砂糖の入った甘い酢飯を型に詰めて、ピンクのでんぶなどで飾るそうだ。
落雁はお彼岸やお盆になると、仏壇の前でよく見るやつだ。食べたことはないけど。
砂糖や澱粉を押し固めて作る粉菓子で、とても日持ちするため、佐渡でもお供え物として家庭で作られることがあったそうだ。
落雁の型の特徴は、二つに分けることで深さ(高さ)を出していること。型同士がずれないように、ヘソのような凹凸が2か所ある。
冠婚葬祭や仏教とつながりが強いので、松竹梅、菊や蓮といったモチーフが多い。落雁は細かい凹凸まで表現できるからか、細工がとても細かい。
そして私が知りたいしんこの型は、模様がダイナミックで、彫りの凹凸がしっかりしていた。そしてヘソはない。
しんこは今でも手作りする家庭が結構あり、一昨年くらいまでは島内にあるホームセンターで、新品の型が普通に売られていたらしい。群馬における家庭用製麺機みたいだ。
佐渡の小学校では体験学習としてしんこを作るそうで、児玉さんは近所の小学校などに型を貸している。
児玉さんの実姉である大平トシさん(87歳)にも加わっていただき、しんこがどういう食べ物なのかをじっくりと伺った。
伊平さん:「私は集めるのが好きなだけで、詳しくはわかりません。日本各地に同じような型があったので、しんこみたいなものは全国的なものだったと思いますよ。佐渡に今も残っているというだけで」
---落雁の型もたくさんあるのはなぜでしょう。
「佐渡は金山があるから、江戸時代からお偉いさんがどんどん入ってきて、食文化や生活習慣も都会から入ってきた。当時流行っていたものを食べたいと、職人を連れてきて落雁とか作らせたのかもしれません。自分の家で作るところもありました」
---しんこはどんな時に食べましたか?
トシさん:「お雛様の時に作ります。子供の頃、おやつなんかない時代、行事の時に食べられるのがうれしくて。材料はお米の粉で、あんこは入れたり、入れなかったり。いつからあるのかわからないけど、少なくとも母親の代は作っていました。よく練って、食紅で色を付けて。食べる喜びの前に、作る喜びがあったわね」
伊平さん:「昔は何でも家で作ったけど、今は手作りするものが生活の中でなくなった」
トシさん:「お釈迦様へのお供えに作る、米粉で作る金太郎飴みたいな『やせうま』とか、私は今でも作りますよ。デザインをこしらえるのが楽しいの。3月に来たら教えてあげますよ!」
お二人の話を聞いて、おこしが生活の中でどんなものだったか、うっすらと見えてきたような気がする。
残念ながら今もおこしの型を作っている職人さんは見つからなかったが、佐渡の友人から「型を遊びで作っていた人なら宿根木(しゅくねぎ)にいるよ」という情報をいただいた。
遊びでってどういうことだろうと思いつつ、さっそく宿根木へと向かい、教えてもらった敏美屋(としみや)さんと会う。
敏美屋は苗字ではなく屋号。この辺の家はだいたい屋号があって、今も屋号で呼び合っているそうだ。
ここ宿根木で生まれ育った敏美屋さんによると、しんこは子供のころから当たり前に存在していた食文化で、この辺では「型おこし」か「おこし」と呼ぶそうだ。
今年で44歳になる娘さんが小学生の頃、おこしをやりたいとねだったが家に型が無く、それならと自分で彫った。当時は電気屋のサラリーマンで、彫刻の経験なんてゼロなのに。
借りてきた型を手本にして初めて作ったのが、以下のタイである。
多少荒い部分はあるものの、素人が試しに彫ってみたというレベルのものではなかった。すごい。
敏美屋さん:「いや全然、全然。こんなのタイじゃないって言われた。浅いっていうことなんだよね、彫りが。深く掘らないと。木は加工しやすいシナノキがいいんだけど、この辺にはないからホオノキで作った。おこしは雛祭りにやるんだけど、この辺は一か月遅れの4月にやる。子供は喜ぶよね。孫も一回やったけど、この前聞いたら覚えてないって。だからもうやめた!」
「当時も型専門の職人っていうのはいなくて、大工だったり、獅子頭とか鬼の面を彫る人が作っていた。今もこの集落なら型はだいたいみんな家にあって、時期になると誰かがコンコンってやってますよ。落雁の型もあるみたいだけど、もうあまりやらないかな」
「材料は母ちゃんが作るからよくわからないけど、この集落は砂糖とかあんこを入れない。甘味のないシンプルな米粉の味。もち米の粉も混ぜるのかな。クマザサとかバランの葉っぱを下に敷いてね。6月(一か月遅れなので)の節句では、カシワとかカヤの葉っぱでだんごを包むタイゴロウっていうのを作る」
今も宿根木の集落に根付いている、おこしを作る食文化。当時の様子をはっきりと想像させてくれるエピソードが聞けて大変満足だ。
私が小学生の頃、父親が犬小屋を作ってくれたこと、長野のおじいさんがハチの子を捕ってきてくれたことを思い出した。
ここまでは型というハードウェアの話が中心だったが、やはり作り方というソフトウェアも知らなければ、おこしの真実を知ることはできない。
そこで以前、特殊な蕎麦文化を教わった岩首(いわくび)の集落(こちらの記事)で、今もおこしをよく作っているという親子を訪ねた。
マチさんによると「しんこ」と呼ぶのが正式で、「おこし」や「おこし型」という言い方は芸名(通称)とのこと。なので、ここではしんこと呼ぶ。
しんこはやはり雛祭りのお菓子で、3月2日(この集落では宿根木のように一か月遅れではない)の夜にみんなで作って、雛人形と一緒に飾ったそうだ。
しんこの主な材料はお米の粉。昔はうるち米(普通の米)の米粉ばかりで、時間が経つとすぐ硬くなったが、近頃はもち米の粉を配合して柔らかく作ることが多い。ただ硬いのをトースターで焼いて食べるのが好きだという人も。
あんこを入れたほうが美味しいが、入れずにみたらしの甘いタレで食べるのがうまいという人もいるし、何もつけずにお米の味を楽しみたいという人もいるとか。
しんこが食文化として今も根付いているからこそ、人によって好みがいろいろあるようだ。
本日のブレンドは、もち粉700g、米粉300g、そこに水900g、砂糖100g。さらに笹だんごを柔らかくする魔法の粉を加える。これを加える裏技は結構昔からで、岩首では当たり前とのことらしい。
世の中に笹だんご専用の添加物があることにも驚いたが、それを佐渡のしんこに入れる作り方が定着しているというのがすごい。
ここまで落雁としんこの関係性がよくわからなかったのだが、ここにきて笹だんごという存在が登場し、自分の中で繋がったような気がした。
その昔に落雁という高級なお菓子が佐渡に伝わってきて、型を使った製造方法が広まる。それが新潟(本土側)でよく食べられていた笹だんごと合わさって、おこしが生まれたのではないだろうか。
だんごを形作るものが笹から木の型に、落雁の材料が砂糖から米粉になったという説だ。
なーんていう考えは一日や二日の浅い調査での勝手な仮説であり、本当のことはよくわからないが、様々な食文化が影響しあって、現在のしんこになっていることは間違いないのだろう。
もしかしたら、同じく日本海に面した富山などのかまぼこの影響も、どこかで受けているのかもしれない。
生地の材料をよく捏ねたら、少し取り分けて、食紅(食用色素)をちょっとだけ練り込んで、色をつけた生地を用意しておく。
食紅はマチさんが子供のころから普通に使われており、生地に練り込むのではなく、少量の水で溶いて筆で上から塗る人もいるそうだ。
しんこの型はマチさんが買い集めたものと、美春さんが追加した落雁用など。
今はしんこ用の型を作っている人がいないため、新しい型を買うことができず、なにか流用できるものがないかと試しているそうだ。
おこしの作り方だが、まずは打ち粉として米粉を型に少し入れ、歯ブラシで満遍なく伸ばす。これをしないと生地が型にくっついてしまうのだ。
ただ打ち粉が多すぎるとせっかくの模様が浅くなったり、できあがったしんこの表面がザラザラするので、ほどほどが大切。
捏ねた生地は2時間程寝かせておき、アクセントとして色を刺す部分に、まず色付けした生地をちょこっと置く。
「どうしてやるときれいかなー、かわいいかなーって考えるのが楽しい」と、笑顔で作る美春さん。
メインとなる生地は、一色ならそのまま適量をまとめ、ツートンカラーにするなら2つの生地を合わせる。
丸めて全体に打ち粉を軽くまぶしておく。
中にあんこを入れたい場合は、この時点で包んでおく。なるべく多く、でも溢れないように。
これを型の凹みに押し込み、隅々まで生地をいきわたらせる。型の彫りが浅いと、薄いしんこになってしまうのだ。
強く押しすぎたり、ゆっくりモタモタやっていると、生地が型にくっついてしまうので、丁寧にすばやくやるのが肝心。これが簡単に見えて難しい。
押し込んだ生地の上に葉っぱを乗せる。昔は子供たちが集めてきたツバキの葉っぱを使ったそうだ。この集落では3月に作るので、硬くてツルツルして生地の離れがよい常緑樹のツバキが都合よかったのかな。
宿根木ではこの葉っぱが、バランやクマザサだったのだ。こういった微妙な差がおもしろい。
この生地を型から取り出すのだが、そのやり方が独特だった。テーブルの角をタオルなどでガードして、型でガンガンと強めに叩いて、生地をおこすのだ。
「はずす」とか、「はがす」ではなく、「おこす」という言葉のニュアンスがぴったりとくる力強さ。まさに叩きおこす、だからこそ「おこし」と呼ばれているのだろう。
生地を固めに作ればおこしやすいが、食べたときに柔らかくない。なるべく水分の多い生地で形を崩さずに作るのが、腕の見せどころである。
取り出した生地を蒸し器で15分ほど蒸したら、うちわであおいで一気に冷まして、ようやくしんこのできあがり。
火が通ることで生地に艶が出て、かまぼこっぽい質感になった。ベジタリアン向けのかまぼことして売れるかもしれない。
こうしてできあがったしんこが、こちらである。
さっそく出来立てをいただくと、もち粉が7割だけあって弾力があり、お米の美味しさがしみじみと伝わってくる。とても懐かしみのある味だ。
あんこが入っていると嬉しいけど、入ってなくても生地に砂糖が入っているのでほのかに甘く、これはこれで美味しい。いっそ砂糖抜きのも食べてみたい。
シンプルな食べ物だからこそ、米粉ともち粉の配合やあんこや砂糖の有無など、好みが別れるという話がよくわかった。
マチさん:「桃の節句に作るものだから、お花とか、タイとかカメとか、七福神とか、めでたい型が多い。私が子供の頃は、旧暦の4月2日に作って、3日に備えた。蓮、菊、椿は葬式とか法事用であんこを入れない。
明治って書かれた型を持っていた人がいたから、その頃からあったんだろうね。作るのは楽しかったね、戦争の時だから。女の子はこういうのを覚えると楽しい。でも、うちの実家には型が無くて、自分の子供にはちゃんと作ってやりたいなって型を集めたの」
「型を作る人は岩首にいなかった。羽茂(はもち:少し離れた場所の集落)の人が彫っていて、岩首には獅子を彫る木があって、それを持っていっていた。シナノキが一番だって。
私は親の体が弱かったもので、炭焼きとかいっぱいいろんなことをやった。落雁作りも押しずしもやった。今もやろうと思えばできるけど、もうあまりやりたくない。今日も取材なんて嫌だなーって思ったけど、(私が前に書いた岩首の)蕎麦の記事をみて、できることはやったほうがいいなって」
マチさん、美春さん、ありがとうございました!
私は佐渡で初めて型で作るカラフルなだんごに出会ったのだが、この記事を読んでいただいた人の中には、「それ私の地域にもあるよ!」と思った方も多いはずだ。
記事の最初に登場した型コレクターの児玉伊平さんの考察にあった通り、おこしのような食べ物は全国的に点在している食文化なのだろうか。
この記事を書くに当たって、こちらのアンケートをツイッターを通じてとったところ、佐渡だけでなく全国から様々な回答が届いた。集まった合計72件から、一部をピックアップして紹介したい。
まずは回答の約半数を占めた佐渡からは(佐渡の知り合いがリツイートしてくれたので佐渡からの回答が多かったのかも)、私が取材した話を裏付けるようなコメントが多数集まった。雛祭りだけでなく、お彼岸やお盆に作る家も多かったようだ。
回答は以下の項目だが、抜けがある場合もある。
出身地/年齢/呼び方/家で作るか店で買うか/どんなとき食べるか/材料/中身/エピソード
新潟県佐渡市両津夷/70代/しんこー/お盆かお彼岸/もち粉/何も入っていない/たいしておいしいものではなく、飾っておくためのもの。お仏壇の前に置いていたが、ひもじさに負けていざ食べるときは軽く炙って食べた。味は何もついていなかった。
新潟県佐渡市/20代/おしんこ、しんこもち/家で作るもの/こしあん/保育園時代に行事のような時に祖母と作った記憶があります。お年寄りから教わる食べ物、郷土料理のようなイメージ。型に関しては、お花が多かった記憶があります。型以外にも太巻きのようなものを作り、切ったものを蒸して食べたような記憶もあります。それにはあんこは入っていませんでした。柄はチューリップや動物もあった気がします。
佐渡に次いで多かったのが、なんと遠く離れた愛知県で、その呼び名は「おこしもの」。佐渡と同じく雛祭りに作って食べるようだ。ルーツをたどれば一緒なのだろうか。
愛知県尾張地区/40代/おこしもの/家で作るもの/ひなまつり/米粉と砂糖/入ってない/桃の節句に作ってあぶりやきする。古いおうちはいっぱい型がある。でも、もう私の世代では廃れてます。団塊より下の母も伝統としてしか知りません。
愛知県豊田市/30代/おこしもの/家で作るし、店でも買う/ひな祭り/米粉?/何も入っていない/作るのは楽しいが、特においしくはない、という記憶。
愛知県三河地方/30代/おこしもの、おこしもん/家で作るもの/ひな祭り/米粉/入ってない/型は梅、鯛、筍、お雛道具など春っぽく縁起のいいもの。保育園や小学校の調理実習でも作る。色粉は生地に練り込む派と水で溶いてぬる派と家庭により様々で練り込む派は塗る派を色が汚いと思っていて、塗る派は練り込む派をめんどくさいと思っていることが多い。砂糖または砂糖醤油で食べる。
愛知県の隣、静岡県には「しんこもち」があったようだが、羊羹に変わっていったようだ。甘さと日持ちで負けたのだろうか。 愛知がおこしで、静岡がしんこなのが不思議。
静岡県掛川市/40代/しんこもち/店で買うもの/お祝いの仕出しに入っていました/たぶん米粉と砂糖/こしあん/小さい頃の記憶です。たぶん今はありません。鯛の形のがかわいかったです。だんだんカラフルな四角い羊羹とかに変わっていきました。
北海道では「べこもち」と呼ばれ、白と黒が元祖であり(ホルスタイン柄?)、カラフルなバージョンも存在するらしい。また「口取り」というお菓子もあるようだ。
北海道余市郡余市町/40代/べこもち/家で作るし、店でも買う/こどもの日、お盆など/米粉、砂糖、黒糖(黒くするとき)/私の地方では白と黒(黒糖味)がまだらになっているものが多く、葉っぱの形にして(確か専用の型もあったはず)作られていました。主に端午の節句の食べるもので、味はすあまに近いです。数年前、地元に帰ったときには、黒糖部分が抹茶のような緑色になっているものがスーパーで売られていました。
北海道苫小牧市/謎餅、カラフルなべこもち/店で買うもの/おめでた目のイベント/米粉、餅、たぶんお砂糖/なし/おめでたげな時期にスーパーでも売っていました。名前が定かではなかったので適当に謎餅と呼んでおりました。 美味しいとは言い難い味でした。
北海道函館市/30代/口取り/店で買うもの/あんこ入り
青森県では「うんぺい」。ちょっと画像検索したら富山のかまぼこにしか見えないけどお菓子だった。富山県民が青森県に行ったら混乱しそうだ。また青森市では、正月の「あんだま」というクジの当たりでもらえるお菓子が似ていると、2人から投稿があった。
青森県東津軽郡/30代/うんぺい/店で買うもの/正月、結婚式の引き出物、彼岸/餅粉、砂糖/具無し、もしくはあんこ入り/鯛やエビのおめでたい形を詰め合わせたタイプと、ナルトのような模様の薄切りタイプがある。もちもちしているが砂糖のジャリジャリ感もある。
青森県青森市/30代/あんだま/店で買うもの/正月/砂糖の練り菓子/あんこそのものでできていて外側がテカテカでコーティングされている/正月にやるあんだまというくじの景品。花や鯛の形をしている。
青森県南部地方/甘い餅/店で買うもの/結婚式のお膳または引き出物に鯛の形や花の形でついてきた。これは砂糖をビニールで包んだものになったりもしたけどね。落雁だと葬祭ででたかな/米粉、もち粉、砂糖/入ってない。みっちり餅。逆に普通のお吸い物に紅白の小さな饅頭っぽいものが入っててそれにはあんこが!なかなか衝撃的組合せでしょ?/甘い、歯にも手にもつくし。小田原に行った時に似たようなものが名物の蒲鉾で出来ててこっちのがいいじゃんって思った。写真のような着色してから生成ではなく表面だけ着色が殆ど。
秋田だと「なるともち」、「椿餅」となり、花型のものが和菓子として売られている。なるともちはラーメンに入るナルト型でなない。
秋田県角館/40代/なるともち/店で買うもの/お盆/道明寺粉もしくは米を石臼で引いたもの/あんこ/梅の花の形の型で黄色い色をつける(ここまでカラフルではないので同じものとは言えないのですが似ている気がしました)。
秋田県横手市/30代/椿餅/店で買うもの/いつでも。スーパーの和菓子売り場や和菓子屋さん/もち米、黄色の着色料(中央だけ)/こし餡/和菓子が好きなので小さいときから食べてました。そういえば東京では見ませんでした。
山形県では「餅菓子」。児玉伊平さんが見せてくれたキノコの型は、飴細工用だったのかもしれない。
山形県鶴岡市/40代/餅菓子/雛祭り/小麦粉や砂糖/こしあん/実家でお雛様の時期に、地元の和菓子屋さんで詰め合わせて売っていたのを祖母が買ってきて飾っていました。鯛の形や飴細工(ぜんまいやキノコの形)なども入っていた。ただひたすら甘くて、美味しかった記憶は無い。
島根県では「はなもち」と呼ばれる。佐渡とは同じ日本海側ということで、どこかでつながりがあったのだろうか。北前船が運んだのか。
島根県松江市20代/花もち/家で作るもの/節句/もち米/あんこ/幼い頃祖母と作っていました。素焼きの型に着色料を混ぜたもちをはめ焼いていた気がします。生地は少なめで餡子が多く表面が固くなっていた事を覚えています。
島根県/40代/はなもち/家で作るし、店でも買う/春先だったような。/あんこ/保育園で親子参加ので作った思い出があります。
佐渡から遠く離れたところからは、米粉で作るだんごとは全く違う食べ物が集まった。見た目はとても似ているのに、地域によって素材が米粉だったり魚だったり砂糖だったりするのがおもしろい。しんこの存在を知らなければ、やっぱりかまぼこに見えるよね。
宮城県栗原市/30代/かまぼこ/店で買うもの/お祝い、結婚式/魚のすりみ/入ってない/市内の瀧川ってかまぼこ屋さんで作ってたと思います。あと県内ローカルのウジエスーパーでも売ってました。
神奈川県小田原市/40代/祝い蒲鉾/店で買うもの/結婚式などのお祝い/蒲鉾/何も入ってない/鯛や打出の小槌の型で真空パックされていました。美味しくないので普通の蒲鉾が良かったです。
香川県小豆島/40代/かまぼこ/店で買うもの/お祝いのお膳についているお土産にはいつまでいたような。結婚式とか/魚のすりみ/何も入っていない/もっと大きくて、正方形の折箱いっぱいの大きさだったように思います。下は巻き寿司とか。ここ40年近く見かけません。 法事の時は似たような折箱いっぱいの羊羹の細工物が入ってました。
福岡県小倉市/40代/らくがん/店で買うもの/お彼岸/砂糖と何か粉/小さい頃、商店街に専門店があって、そこに買いに行ってた記憶があります。
福岡県久留米市/30代/生麩/雑煮に入ってた/グルテン?/入ってない/博多雑煮に入ってるやつでは?
以上が今回の調査結果である。
米粉を木型で固めたお菓子は、ある地域から放射状に分布しているのではなく、日本全国で飛び飛びに今も継承されているようだ。
もっと深彫りできそうな話である。おこしの型だけに。
佐渡にしんこを作る食文化が残っているとはいえ、さすがにもう一部の家庭だけだろうとも思ったのだが、スーパーをチェックしてみたところ、米粉にあんこに着色料がまとめられた、おこしを作るのなんて当然だといわんばかりの陳列がされていた。雛祭りのある3月でもないのに。
せっかく作り方を習ったのだからと、米粉やささだんごの素を買って帰ったのだが、よく考えたら肝心の型が家にはないのだった。その存在を初めて知った5年前だったら、佐渡のホームセンターで買えたのにな。仕方ない、私も彫るか(無理)。
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