どんな仏様が多いのか

藤田:やっぱり多いのがお地蔵様と観音様で、地蔵堂とか観音堂みたいな感じです。
なので、先ほど荻窪さんが道端のいろんな仏様を見せていましたけど、大体それと似たような感じです。
※初回の記事で二十三夜待の石仏コレクションを紹介していた

藤田:左は愛媛県の山奥の鬼北町で、四国八十八か所なので、やっぱり真言宗の影響ですね。
真ん中は馬頭観音で、よくある旅路の安全とか、牛馬が倒れたときの供養とか、そういう観音様なんですけど、右側にあるのが大日如来、左側がお大師様、弘法大師です。
四国八十八か所は弘法大師なんですけど、真言宗で一番尊い、一番大事な仏様は何かというと大日如来なんです。
会場:でも真ん中じゃないんだ。
藤田:右側は先ほどの久井町なんですけど、ここは真ん中が観音菩薩で、脇侍が不動明王と毘沙門天。これは天台宗の様式ですね。
これもやっぱり、地域の人の宗派というか、大事にするものが表れているという感じです。
辻堂だからというよりは、元々その地域が真言宗とか天台宗だからその仏様がいて、その地域の様式として、ああいう壁を作らない建物がある、ということなのかなと思います。

藤田:せっかくなので、お大師さんだけちょっとコレクションしてみました。
会場:すごい!
藤田:分かりやすいのは、手に三鈷杵(さんこしょ)を持っています。
※先端が3つに分かれた、密法の法具
合祀するパターン

いろんな仏様を一緒に祀る(合祀)するパターンもある。
藤田:例えば隣のお寺が廃寺になっちゃったから、そこの仏様を譲り受けて一緒にお祀りするとか。
辻堂は、四国だと茶堂という言い方をしますけれど、そこでは合祀というのがある程度当たり前のように行われています。
左のやつはもう棚が2段になってます。
会場:増えたんですね。

藤田:これは、先ほどの記録集によると茶堂と観音堂の2つがあるはずなんですが、行ったら1個しかない。どこだと探していたら石碑があって、実は合祀したことがわかった。
元々は、この茶堂の簡素な建物の方にはお大師さんをお祀りしていて、だから大師堂とも言われていた。それが道の拡幅で移設して、観音堂が廃止になったという経緯です。
会場:民間信仰的な、地蔵堂にいろんな仏様がだんだん集まってくるような感じですね。
藤田:だから多分これは住職さんが管理しているんじゃなくて、地域で管理しているんですね。

藤田:合祀しているものを見ていると、観音様とか色々あるんですけど、デザインコンセプトが似ているんです。
会場:同じ石工がやったんですかね。
藤田:馬頭観音が真ん中にいて、両脇に大日如来と弘法大師がいたので、おそらくこの3体が元々ここの茶堂のベースの組み合わせだった。
観音様は西国三十三か所で、左が1番那智山、右が33番谷汲山と書いてあります。
じゃあ2番から32番はどこかというと、昔の観音堂の跡のところに、石仏としてずっと並んでいるんです。
それも、本当にその観音堂に最初から33体あったのか、あるいは集落とか地域の33か所に散らばっていたのを集めたのか、その辺りは分かりません。いわゆる西国三十三か所の写しとして観音堂があって、その観音堂がなくなっちゃったので、ここの茶堂に一緒に合祀したと。
会場:鞆の浦でも、三十三か所の仏像がバラバラになっているのを、地元のおじいさんがちゃんと集めて番号をつけて整えた、というのがありました。

藤田:だんだん緩さ加減が分かってきていると思うので、今度は習合という話です。
会場:仏教と神道の要素が入り混じっている。
藤田:そうです。左はさっき言ったように仏様をお祀りしているんですけど、すごく神道の様式が入ってきちゃっている。
辻堂の前に茶色で囲ってあるのが、笹がもう枯れちゃっているんですけど、しめ飾りで、ここは辻堂の敷地自体が近くの神社の所有地になっていて、お祭りのときにはお神輿がここに立ち寄ります、というところです。
会場:神仏分離に引っかからなかったんだ。
藤田:そうですね。これぐらいはいいだろう、みたいな感じだと思うんですけど。
会場:お坊さんがいないからいいのか。

藤田:これは、お祀りしているのがお地蔵さんなんですけど、なぜか狛犬なんですよ。
会場1:これ何ですか。
会場2:狛犬が普及していく過程で、最初は狛犬のイメージがついていなくて、石工が聞いた話だけで作った、とかそういうものですよ。
会場1:めっちゃ可愛い。
会場2:想像で描いた象みたいな。

藤田:ここは道祖神、才の神のお堂と言われています。この場所が村の境だったので、(災いが入らないように)最初から注連縄が巡らしてあったりした。中を開けたら、御幣(ごへい)がこんなに。
※御幣:お祓いのときに使う神主さんが持っている白い紙
会場:こういう習合の形態を残しているんですね。
バス停としても使われる

藤田:街道に面しているので、ここでバスを待っている間に休むという使われ方もしています。
会場:バスはもう本数少ないですもんね。

藤田:その他の使われ方としては、左は念仏講です。
※念仏講:無病息災などを願って人々が組織した民間信仰の集まり
藤田:これは先ほどの記録集から持ってきたものなんですけれど、今はなくなっちゃったり、逆にたまにですけれど、地蔵盆とか念仏講とかを復活させたという話もあります。
会場:復活させるのは偉い。

藤田:杭茶堂にちょうど田植えの時期に行ったので、空の苗箱が置かれていました。
会場:マジか。
藤田:なんと50年前の写真でも置いてあるんです。多分肥料の袋か何かだと思うんですけど。
会場:そういう場所だったんだ。
藤田:ここの辻堂はずっと以前から農作業の物置きのような使われ方をしてきたんですね。
会場1:置き方がまた面白いですね。屋根の下に置きたいんですかね?
会場2:肥料は濡れちゃうと困るのかも。
藤田:あとは例えば、取りに来てくださいと言ったときも、茶堂のところにあるからね、と言うと分かりやすいですよね。

藤田:で、これは「旅人の休憩の場です」という札です。
「土足で上らないで下さい」と書いてあって、こういう意識が2011年の時点でもまだありました。右側は別の辻堂ですけど、こちらに付いてるのはゴミの収集日程が書いてあるプレートなんですよ。
会場:なるほど。
藤田:ゴミの集積場になっていたこともあった、ということですかね。

藤田:左は記録集の写真で、おばあさんが腰掛けていて、子供は元気に中で飛び跳ねている。ちょっと泣いちゃうようなノスタルジーの世界です。
右は、小学校高学年の女の子2人なんですけれど、放課後に宿題を持ち寄って辻堂に集合しているんですよ(※後述する取材のために撮影をお願いした)。
だから、この地域の子供たちの間では、辻堂で集まろう、みたいな感覚があるし、あそこに行ってダベっていてもいいんだ、という感覚もある。
会場:自由に使っていい空間なんですね。
藤田:左が50年前で、右が今です。また50年後はどうなっているのかなと。こういうのがまだ続いているといいなと思っています。
会場1:今の子だったら、絶対ここでみんなで集まってゲームをやってますよ。
会場2:すでにポケストップになってそう。
辻堂の発生形態について

藤田:あとは簡単に歴史です。これは土佐、高知県の方で、戦国時代の長宗我部氏の検地帳に記録が残っていた、というもの。ある程度自然発生的なものなのかなと思います。

藤田:旧福山藩領では、藩主がこういうもの(辻堂)を作りなさいと言っています。
会場:みんなが自由に使えて、日陰で雨風をしのげるところという役割なんですかね。
藤田:それと関係していると思うんですけど、左の写真は、仏様が建物の外にいますよね。右も、仏様を祀っている祠が別にあって、その前に建物を建てています。
文献資料とかがないので分からないんですけど、多分仏様が最初にあって、後からこの建物を建てたんじゃないかな、という匂いがプンプンしています。
会場:街道沿いとか村の入り口とかだから、こういうものを置くのにふさわしい場所なんでしょうね。

最後は宣伝。「路傍の建築」(実業之日本社)という共著の本が11月に出るとのこと。
今日のお話も、この本のための取材を元にしているとのこと。ありがたい。


