汎ヨーロッパ的旅情からの脱却
アムステルダムは美しい街であった。街の中心には広場と教会。敷き詰められた石畳は放射状に伸び、道の両脇には高さの揃った統一感のある建築が続く。出張の初日、仕事の合間に半日程度のごく短い街歩きで、肺いっぱいに外国の空気を満たすことができた。
ただ、こうした”汎ヨーロッパ的”ともいうべき、隙のない美しさに目が慣れてくると、反動で生活の匂いがするものというか、人間くさい煩悩がこもったようなものが見たくなる。有り体にいうと、なんか面白いもん転がってないかなというモードになってくるのだ。
アムステルダムの場合。はたしてそれは、運河にあった。
個性かがやくハウスボート
地図を見れば一目瞭然。アムステルダムの街を唯一無二のものとして特徴づけているのは、運河の存在である。
中央駅(地図中のピン)をぐるりと囲むように何重にも設けられた運河は、17~18世紀に栄えた海洋国家としてのなごりである。物流、都市防衛機能、水管理機能を兼ねたものであり、今日のアムステルダムの礎となった。本来の役目を終えてからも人々に親しまれ続け、2010年には運河地区の景観は世界遺産に登録。いまも多くの観光客をひきつけるアムステルダムのシンボルとなっている。
そして運河の主役たる存在が「ハウスボート」、つまり小舟を改装した住宅なのだ。
はじめは、実質的に使われていない運河に、なぜこうもたくさんの小舟が停泊しているのだろうかと不思議に思っていた。
やがてふと気がついた。一艘の古ぼけたボートの脇を通ったときだ。
その瞬間から、陸上の景色は視界に入らなくなり、水面に目がくぎ付けとなった。右を見ても左を見てもハウスボート。
並んでいる船の多くは住宅用に造られたわけではなく、貨物船やタグボートとしての役割をまっとうしたのち、動力機関を取り払って人が住めるように改装されたものだ。したがって全てが一点モノ。住人の個性が発露するすてきな作品群である。
手前側の丸窓がついているあたりは、元々の船の構造物。それより後ろのライトブルーのエリアがたぶん”家”として増築された部分なのだと思う。手作りのちぐはぐ感が愛らしい。
後部デッキには、品のいい生活感が満載されている。
ぽつぽつと置かれた植栽。大きなタモ(たぶん水上に物を落としたときに使うんだろう)。ブルーの椅子は船体を塗装したときの残りペンキで塗ったのだろうか。
ここにはどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、つましく生きてきたおじいさんが、大型犬と一緒に余生を過ごしていてほしいなと思う。
この赤い小舟も個性的な顔つきだ。
木製ドアは、秘密基地への入り口だ。きっとワイルドな風貌の若い男が一人で住んでいるのだ。でもひょっとしたら頑固なおばあさんというのもお似合いな気がする。いやよく見たら自転車2台あるからその2人が同居している可能性もあるな。
最近塗り直したのだろうか。目の覚めるようなイエローに、窓枠のオリーブの差し色がおしゃれだ。わずか30cmほどの小さなデッキにも草花を配置するところに、住人の高い美意識を感じる。
テーブルの上のワイングラスや椅子の下に転がった酒瓶に、オランダ人の尊ぶ”自由”と"自律"を感じた。船という独立した空間を改装し、多少不便でも自分の責任のもとで工夫しながら暮らしていく。気が向けばボートの屋根に仲間を呼んで、水面を見ながらワインを飲もう、というわけだ。