朝から空気がにぎやかだった
その日は朝から違っていた。
いつも通りの暑い日だったのだけれど、外にでると道ゆく人はどこか浮き足立っていて、歩く速度もちょっと速かった。なにより小さい子どもを連れた家族が多いように思う。あとカップルも多い。
僕は普段職場まで歩いて通っているのだけれど、そういえば何日か前から通り道の小学校にのぼりが立ち始めていたのだ。
のぼりのおかげで(いつかここで夏祭りがあるんだな)という認識はあったのだけれど、まさかそれが今日だったとは知らなかった。
僕はこの近くに住んでいるのだけれど、まだ引っ越してきて日も浅い。それに子どもがこの小学校に通っているわけではないし、僕は高校の教師なので、そうなるとうちの生徒がここにいるはずもない。
つまり近所っていうだけで、社会的関係性という点で行くと、僕にはほとんど無関係な夏祭りなのだ。
では地域の夏祭りって誰が行っていいのだろうか。
覗いてみても特に参加条件みたいなものは書かれていなかったので、意を決して入ってみることにした。止められたら「間違えました!」と素直に謝ればいいんだろう。もうそのくらいの失敗には慣れているのである。
なるべく不審な色を出さないよう自信ありげにゲートに向かう。入り口に立っていた蛍光ベストを着た係員の人は、緊張で挙動不審な僕を見ても止めることなく、あっけなく入場することができてしまった。
会場では盆踊りみたいに、何か共通の目的があるわけではない様子で、みんながそれぞれぶらぶらと歩き回っているだけだった。とはいえ見たところ一人で来ているのなんて僕くらいなものだ。
みんな子どもの手を引いたり近所の家族と話をしたりして楽しそうにやっている。僕と同年代の大人が一人で不安そうに歩いているのを見つけたので声をかけようかと思ったら、遠くのテントに子どもを見つけて安心した顔に戻っていた。いいなと思った。
どこかに置かれたスピーカーからは光GENJIの曲がループで再生されていた。今、この音量で光GENJIを聴けるチャンスはそうそうないと思うので、これだけでも来た価値は十分にあるなと妙なところに価値を見出したりしていたのだけれど、これは予想以上に居場所がないぞとも思い当たる。
いや物理的な居場所ならどれだけでもあるのだ。精神的な行き場というか、いてもいい理由みたいなものが、僕にはまるでない。
ところで僕がいま住んでいる地域は「大谷」と書いて「おおや」と読む地域である。
アメリカでオバマが大統領になったとき、福井県にある小浜市が「うちもオバマよ!」といってにぎわっていたのを覚えているだろうか。
僕がここに引っ越してきたときにもちょうどメジャーリーグで大谷が大活躍した年で、もしかしたらにぎやかになるのかしら、と期待したのだがまったくそういった素振りはなかった。
大谷には「おおや」という読み方にプライドがあるのかもしれない。
人恋しくて、地域の人たちが作った野菜を出店しているテントでオクラを買った。普段そうそう買わない野菜である。
そういえば家の近くの畑で野菜を作っていたなと思い出した。これを買ったということは僕はもう地域の一員、イコール夏祭りへの参加資格あり、ということでどうだろう。今日の目的達成、バンザイだ。
そう自分に言い聞かせ、このあとは少し早歩きで会場から出て家に帰った。
帰りながら思った、おれ夏祭りを楽しめてなかったな、と。



