文字がないという感動(!?)
先日、わら半紙が欲しくて探しているときに「まっさら新聞紙」という商品を見つけた。
古新聞を使うようなシーンに同様に使え、しかもインクがついていない分、ラッピングや商用の緩衝材など用途が広い。
衝撃だったのはパッケージのキャッチコピーだ。
「文字がないという感動を」
しれっとものすごい過激なことを言ってくるではないか。
意図としては、上にも書いた、インクが付いていないことの利点を訴えているわけだが、それにしても文字がないことに感動を宿しえるとは、人類への皮肉みたいな寓話っぽさだなと思ってしまう。
「まっさら新聞紙」は大変なヒット商品のようで、サイズもさまざま。さらにもう少し厚手のものや、色の白いものなど商品展開があった。
厚手のタイプ
こっちは白いの
厚くしちゃったら新聞紙の範疇から出てしまうのではとも思ったし、色が白いのも新聞っぽさから離れるのではと素人の私は思ってしまうが、「もうちょと厚手の(もっと白い)、しかも文字のない新聞紙があったらなあ」という尽きない願いが人々の間にあって、それにこたえたのだろう。
無地の新聞への望みの熱さがうかがえる。文字のある方の新聞とは別の意味で商品としてホットだ。
調べるとこの世界には「まっさら新聞紙」だけではなくいろいろと文字を排した新聞というのがあるようだ。
ぎゅっと縛られたさまがいかにも新聞紙っぽいが、無地
本当の「無地の新聞」も売ってた
へえと思ったのは、東京新聞のオフィシャル通販サイトだ。なにも印刷されていない新聞を販売しているという。
注文すると、「こんな感じで送ります」とサイトに断りがあったとおり、みちっと東京新聞のA4の封筒に入って届いた。
新聞の印刷所では、印刷の際に何も印字されない新聞が毎日出るのだそうだ。
新聞ぐらいぎゃんぎゃんに大量に刷る印刷物となると、その勢いで無地の新聞が輪転機から飛び出してくる様子はなんとなく想像できる。
新聞になれなかった新聞
販売サイトではこの商品を「新聞になれなかった新聞」と紹介していた。
なんちゅう悲しいことを言うのかよ……。『人間になりたがった猫』の新聞編がいま開幕してしまう。ありったけ買って抱えて泣きたいキャッチコピーではないか。
活躍できる場があって堂々と出荷されるのだから温かいことである。
物理的に広がる無
広げると、何も書かれてない。そうなんだけど、「おお……」と思わされる迫力がある。
虚無がこんなに物理だったことがかつてあったろうか。
めくってもそこには何もない。私が悪いのではないか、となぜか思った。誰も悪くないんだよ、誰も。
無地の新聞の方が一般的になる未来
Amazonには、ふつうの文字の入った古新聞も売っていた。軍手付きのセットなどもあって、読むためではない、作業に使う強い意思がうかがえる。
新聞を窓ふきに使った際は、インクの性質が窓を磨くのに向いているのだと教わった覚えがあり、無地にはできない本物の新聞ならではの良さもあるんだろう。
この先新聞の電子化が進むと、もしかしたら紙の新聞紙は無地の方が一般的になったりするんだろうか。
そんなとき、印刷されたほうの新聞は、「文字新聞」などと呼ばれるのかもしれない。「固定電話」とか「有観客」みたいに。
利便のために何も書かれていない新聞が求められ、そして売られている。考えを及ばせる必要のない、これは事情である。
しかし、やっぱり、そこにあった文字がないことには目を開かせるものがあった。
お~~~~い! 文明~~~~! どこいった~~~! と思った。
探した。
おもわず買いたくなる商品紹介記事をまとめたページを作りました。
無性に散財したいときはこちらへ!→商品紹介まとめページ