すごいところを人が歩いている
静岡県の山の方、川根本町という場所には長い吊り橋が架かっているらしい。それは行くしかないだろう。
吊り橋を探しながら川沿いの道をさかのぼっていると、道のはるか上を横切る橋みたいなものを見つけた。
空中を人が歩いているのだ。吊り橋って川を渡るためのものだとばかり思っていたのだけれど、道の上に架かっていてもいいのだ。下から見ていると明らかに怖そうに見えるけど、渡っている人は悲鳴をあげたりもしていない。
ここは静岡県ののどかな場所である。そんな平和な町の上空を、平然と吊り橋が横切っているのがおもしろい。
吊り橋がすごい
近くで見るとかなりすごい。
この橋、長いし高いし、改めてすごいところを通っているのがわかる。家?というか集落の上である。
この塩郷の吊り橋は、通称「恋金橋」とも呼ばれているらしく、長さ220メートル、高さ11メートル。大井川にかかる吊り橋の中では最も長いのだとか。
数字で言われるとピンと来ないのだけれど、前に立つとそのすごさが実感できる。
前から渡ってきた女性に話を聞いた。
――やっぱり怖いですか
「怖い。私は網がなくなるところまでしか行けなくて帰ってきた。怖い」
なんと、途中で網がなくなるのかよである。怖い、を二回言っていたのもリアルだった。しかしここまで来たのである。渡らずには帰れまい。
長い吊り橋を渡る
渡り始めてすぐ、これまで見たことのない光景を目にした。
吊り橋が集落を超えて道を超えて鉄道の線路を超えて伸びているのだ。
さっきの女性が言っていた網があるのは川ゾーンに入るまでだった。きっとスマホとか落とすとシャレにならないから網が貼られているのだろう。
網がなくなると確かに急に不安になる。スマホをポケットにしまい、デジカメのストラップがちゃんと首からかかっていることを確認した。
高さは正直たいしたことないのだ。ただ、高すぎないからこそ、下がリアルに見えて怖いのではないだろうか。もっとものすごく高ければあきらめがつく気もするのだけれど、このくらいの高さだと落ちたときの痛さを容易に想像できる。死にはしないが骨は折れる高さである。
ここで僕は、吊り橋は途中で立ち止まって振り返るとびっくりするくらい怖い、という大切なことを知った。みなさん、振り返ってはダメですよ。そして立ち止まると思いだしたように足もとがゆっさゆっさと上下に揺れているのにも気づく。
吊り橋はおもに木でできている。もちろん金属のワイヤーで補強してあるので安全なんだとは思うのだけれど、当たり前だが木は雨風にさらされてところどころ変色している。
この橋、かつては学生たちが自転車で渡っていた時代があるのだとか。トム・クルーズだろうか。どんだけ肝が据わっていたのかかつての学生。それとも毎日通って慣れたらそのくらいできるようになるのだろうか。あと年間で何人落ちていたのかも知りたい。
吊り橋は10人まで渡れると書いてあったが、この日のこの時間は僕一人だった。だからまだよかったのだが、複数人で渡ったらきっともっと自在に揺れるんだろう。そんなの嫌だ。
手に汗びっしょりにぎり尽くしたころ、ようやく吊り橋は上り勾配となり、それにともない対岸が近くなってきた。
吊り橋を渡る時には振り返っちゃダメなことに加え、なるべく足元を見てもいけない。そして立ち止まると揺れをダイレクトに感じちゃうのでこれもダメだ。まっすぐ前を向いて速足で歩く、これが攻略法である。
この攻略法に気づいたのは最後の最後だった。残り10メートルくらいはちょっと走った。


