お伊勢参りの語られかた
伊勢神宮には内宮と外宮のふたつがある。天照大神を祀る内宮は5世紀末には現在の地に鎮座していたと考えられる。
外宮はその後にでき、豊受大御神(とようけおおみかみ)が祀られる。内宮と外宮を正宮と言い、正宮には別宮、摂社、末社、所管社が所属し、全て合わせると125社にもなる。グループ会社がめっちゃある、みたいなことだ、たぶん。
伊勢神宮についてのお話は、多くのガイドブックなどに書いてあるので、今回はあまりしない。お伊勢参りについて書こうと思う。日本人は古くからお伊勢参りをしてきたのだ。記録上に残る一番古い一般民衆の参詣は平安時代。どんだけ昔なのかと。
時代が下るにつれて参詣する人は増えてくる。やがて各地でお伊勢参りは必ずするものという考えも生まれる。愛知県の現在の豊田市ではお伊勢参りは一生に一度は必ずするもので、しない人は地盗人などと言われた。現在なら炎上するような決めつけだ。
神奈川の湯河原町では、京都や伊勢へ参っていないような者のところには女も嫁に来ない、と言われていた。明治になってからの話だけれど、湯河原町は東京が近いが東京には行ったことがないのに、京都や伊勢には行ったという人もいた。伊勢は別格なのだ。
また地域によっては若い者を伊勢に参らせるという風習もあった。旅をして世間を見て、いろいろなことを学んで欲しいという願いから生まれたものだろう。また古くは歩いて行くしか方法がないので、若くないと難しいというのもあったのかもしれない。
私は今までお伊勢参りをしたことがなかった。もちろん存在を知っていたけれど行く機会がなかったのだ。だからかもしれない、未だに結婚していないのは。「伊勢へ参っていないような者のところには女も嫁に来ない」と言われているくらいだから、それだけが原因なのだ、たぶん。伊勢に参りさえすれば私は結婚できるのだ、おそらく。
お伊勢参りが流行った理由は暦
なぜ伊勢神宮は多くの信仰を集めたのだろうか。いくつかの理由が考えられる。その一つが「伊勢暦」の存在だ。年中行事を伝える暦は最初から宮廷が作り、宮廷から出される暦によって一年毎の月日が決定した。
その暦を民衆に配るのに大きな役割を果たしたのが伊勢暦であり伊勢神宮なのだ。今のようにカレンダーのアプリとかないからね。この暦でタネを播く頃を知り、収穫の時期を知り、耕作にあたった。いつ頃から伊勢暦があったかは定かではないが、室町時代にはすでにあったとされる。
伊勢暦は御師がお土産として民衆に配った。この御師というのが伊勢信仰に大きな役割を果たしている。御師は伊勢神宮に仕える神職祠官のことで、そもそもは伊勢神宮と御厨(みくり)の間を往復して年貢などの取り立て、運搬の指図にあたった。御厨とは神社に属して供神料(おそなえなど)を出す土地のことだ。
御厨は15世紀に入ると武士たちに奪われていくのだけれど、御師たちは土地ではなく、民衆と結びついた。つまり伊勢信仰を広げるために村々を歩いてまわったわけだ。その際にお土産として渡した一つが伊勢暦ということになる。
室町時代になると伊勢神宮に参詣する人が多くなる。御師や御師が配る伊勢暦などの影響で伊勢信仰が広がったためだ。室町時代の旅は大変だったろうと思う。室町時代後期には約120年ほど遷宮も中断している。治安が悪いのだ、きっと。