特集 2024年5月22日

人生で初めてお伊勢参りをする

お金を積み立てて代表者が伊勢神宮に行くようになる

多くの人々が伊勢に参詣できたもう一つの理由が「伊勢講」の発達だ。そもそも講とは同じ信仰を持つ者が集まり仏をまつる方式だった。仏教の民衆化によって発達したものだ。 

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これが内宮です!

最初の頃は御師と村人一人一人が結びついていたが、やがて講を結集して御師と結びつくようになる。15世紀頃までは御師を迎えて大麻(お祓い札)などを受けて、その代わりに米やお金を納めた。
16世紀頃になると代参講としての性格を強めることになる。御師と一緒に伊勢に行くようになったのだ。

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宇治橋から見える木除け杭(流れて来た木が橋に当たらないようにするもの)

代参講とは講の人々で米やお金を持ち寄り、共通の財産を持ち積み立て、それを参拝のお金に当てて、代表者を伊勢神宮に参詣に行かせるというもの。共通の財産とはたとえば田んぼで、その田んぼの米を売って参詣用にするという感じだ。

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ありがたいな

長く講に入っていれば一生に一度は伊勢神宮に行けた。距離によって参詣する頻度は異なり、毎年というところもあれば、東北では5年に一度などということもある。参詣する人数も地域によって異なる。

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ありがたいな

代表者は御師の家に泊まる。御師は伊勢神宮近くに住んでいるのでそこに泊まるわけだ。また伊勢神宮だけに行くのではなく、京都や金毘羅様などを一緒にまわることも多かった。またこのお伊勢参りは地方に文化を伝える役割も持ち合わせていた。

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ありがたいな
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ある島では伊勢神宮に行った際に歌舞伎を見て、その脚本を持ち帰っている。お伊勢参りにはそのような副産物もあったのだ。また講により、あるいは一緒に参詣することで、人々との結びつきも強くなった。

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神馬!

この伊勢講は江戸時代に最盛期を迎える。1777年の記録によれば檀家の数は4,389,549軒となっている。一軒あたり5人で計算すると約2200万人。当時の人口が約3000万人ほどなので伊勢信仰の絶大な支持が伺える。

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宮内庁の牧場で生まれた馬です!

江戸時代には「お蔭参り」というたくさんの人が一定期間に伊勢神宮に参詣する現象が周期的に起こる。これだけの檀家がいれば、何かの拍子に爆発的に参詣する人が増えることも納得できる。

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馬が好きなのでずっと見ていた!
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初参拝の感想

このような歴史のあるお伊勢参りではあるが、先に書いたように私はしたことがなかった。行ってみて思うのは、だんだんと「ありがたいな」という気持ちになることだ。また人も多かった。今も昔も多くの人々が伊勢神宮を参詣するのだ。

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おかげ横丁もすごい人!

江戸時代の人々は派手な格好で参詣することもあったようだ。鬼のお面をつけたり、一本歯の下駄をはいたり。今はそんな人はいなかったけれど。むしろ広いので歩きやすい靴で来て正解だった気がする。一本歯の下駄とか考えられない。

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しかも私がはいている靴は防水なんだぜ!

手を合わせたし、お札ももらったし、これで私は一人前ということになるのではないだろうか。必ず明るい未来が来ると信じることにした。女も嫁に来ない、と先に書いたけれど、これできっと解決すると思う。そう信じることにした。

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外宮でお札を!

本当の聖地巡礼

伊勢神宮は聖地である。いつか訪れたいと思っていた。明治に入ると交通網の発達や御師という制度の廃止などで伊勢講はだんだんとなくなっていった。だから私のように伊勢神宮に行ったことがない人が生まれたのだ。

ちなみに今回だけでは書ききれなかった話もある。「お蔭参り」の詳しいお話もそうだし、伊勢信仰の分布や、伊勢講の詳細など。それはまた今度伊勢神宮を訪れた時にでも書きたいと思う。何度参詣してもいいのだから。

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お土産は赤福!

参考文献
「るるぶ お伊勢まいり」JTBパブリッシング 2022
「伊勢参宮 増補改訂版」宮本常一 八坂書房 2013
「お伊勢まいり(とんぼの本)」矢野憲一,山田孝雄,宮本常一 新潮社 1993

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