宮崎県の日之影町へ
日之影町の岩井川という地域に目当ての山岳牧場がある。僕が住んでいる高千穂町からは車で30分ほどの距離だ。ちなみに車で30分は車社会の基準でいうと「すぐそこ」の範囲内である。
えっ、大丈夫?と言いたくなるような狭くて細い道を進み続ける。
それはそれとして、朝ゆっくり過ごしすぎて牧場の方との約束の時間がギリギリまで迫っている。焦って道にも迷った。渡そうと思って事前に用意していた菓子折りも家に忘れた。ああ、遅刻したせいで牛の生活のルーティンが乱れたらどうしようか。
木陰の道を抜けると開けたところに出た。
あたたかな日差しを草原がやさしくはね返して、木々は臆せずしゃんと立っている。吹き抜ける風。どれだけ見回してもいびつな人工物は目に入らず、きっと一千年前もこんな風景が広がっていたのだろうと思う。
吹き抜ける風…とか言ってる場合じゃないよ遅刻だよどこに行けばいいんだあっご夫婦で出てきてくださってるすみませんおはようございます窪田ですお世話になります牛はどこから出てくるんですか?
牛の行進を見る
午前9時、さっそく牛たちが牛舎から出てくるというので教えてもらった方向をじっと見る。ちなみに、ここで飼われている牛たちは繁殖雌牛という子牛を生む母牛とのことだ。
「…ンモ~~~!」
牛の声が聞こえる!きたぞ!
牛がのそのそと奥の方から出てきた。そりゃそれを見にきたんだけど、この嬉しさはいったいなんだろうか。アイドルのライブを見にきているかのような高揚感がある。
向けられたカメラを気にしているのか、先頭の牛が足を止めた…かのように見えた。そう見えただけで、僕はもうだめです。リーダーの機嫌を損ねてしまったせいで隊列が乱れるかもしれない。物陰に隠れよう。ごめんなさい。
それはけっきょくただの自意識過剰で、しばらく様子を見ていると僕のことなんか気にせず牛たちがぞくぞくと出てきた。牛は前を歩く仲間のあとについていくことを好むらしい。
道路の脇に生えている草をむしゃむしゃ食べるもんだから、なかなか先に進んでいかない。「道草を食ってるのね」と牧場の方が言う。道草の語源ってこれか。
このように牛たちが道中の草を食べてくれるので、草刈りの必要もないらしい。
感心してると「牛歩だからゆっくりね」とつづけて言う。なるほど、政治的意図のない牛歩だ。
この土の道からいよいよ公道に出るぞ。
牛が公道に出る
牛たちはそのまま公道に出て、少し進んだ先の牧草豊かな放牧地に向かう。
この辺りの集落が賑わっていたときはこの道路もひろく使われていたらしいが、別に便利な道ができたこともあって、今はほとんど牛たちの専用道路になっている。
公道に出た牛たちがこちらに向かって歩いてくる。ゆったりしていながらも規律があり、人間社会の式典行事を思い起こさせる。ちょうど黒いスーツみたいな皮を着てるし。
脇道に逸れず人間が舗設した道路を歩いていく。れっきとしたモラルを感じる。
牛は自然の環境では群れをなす生き物だから、はぐれると不安になるらしい。一匹だけ別の道に進んでしまった子がトットコ小走りで群れに追いつこうとしている様子に萌えた。萌えたって久しぶりに聞いたな。