節分への誘い
節分は立春の前日と先に書いた。季節の変わり目で、冬から春へと変わる日だ。そのため「寒ばなれ」や「節替り」などと呼ばれることもある。旧暦の太陰暦では、正月の七日頃までに節分を迎えるので、正月行事と重なり合う部分もある。
現代で節分と言えば「豆まき」だ。鬼を追い払う「追儺」は古代中国で盛んだった。紀元前300年頃の先秦時代にはすでに行われており、室町時代に日本に伝わり、やがて民間にも広がっていった。室町時代に書かれた「看聞御記」でも1月8日に豆まきをした的なことがうかがえる。
なぜ大豆をまくのだろうか。大豆は挽くと黄色い粉となり、稲と花と同じ色で霊力があるとされ、災難払いに使われた。また豆類の根には根粒菌が存在し、これが地力を高めてくれる。肥料がない時代は根粒菌が水稲に栄養を供給したのだ。そのようなことも豆をまくことに関わりがあるのではないだろうか。
必ずしも豆まきに大豆を用いるとは限らない。私は鹿児島に住んでいたこともあるのだけれど、その時は落花生だった。新しい文化だと思う。大豆は古くから日本にあったけれど、落花生の栽培が日本で始まるのは明治時代になってからだからだ。
私も子供の時は自宅で豆まきをした。「鬼は外、福は内」の声を出して豆をまいた。ただ大人になってからは豆まきをした覚えがない。ニュースを見ていると著名人がどこかの神社などで豆まきをしたとあるので、どこかでは豆まきは行われているのだ。
私には豆まきは関係ないと思っていたけれど、近所の神社で豆まきをやると告知されていた。それは行ってみようではないか。自宅でしか豆まきをしたことがないので、外で行われる豆まきに興味があったのだ。
下見に行く
豆まきの一番小さい単位が自宅で行うもので、一番大きな単位がニュースになる著名人が来て行う豆まきではないだろうか。その中間が今回私が眠れないほど楽しみにしている近所の神社の豆まきになる。自宅ではないけど、著名人は来ない。中間なのだ。
私の住む家の近所にある「伊豆美神社」。創建は889年らしいので歴史は古い。大國魂神社から分霊を勧請したものだ。私はいつもここに参拝している。近いからここ一択なのだ。初詣も伊豆美神社だし、散歩も伊豆美神社だし、家にあるお札も伊豆美神社のものだ。
基本的にはいつ行っても静かな神社だ。初詣や秋祭りの時にだけ人が多い。その時には木々の間に裸電球が吊るされ、ぼんやりと温かな色の光を放ち、日が暮れるととても美しく感じられる。
何度も来ている神社ではあるけれど、豆まきに行くには初めてだ。どのようにまかれるかを考えるために下見に来たわけだ。行くからには豆を手に入れたい。