ものがハッキリ見えるからなんだと言うのか
目が悪い。
とある暑い日の勤務中、掛けているメガネが鬱陶しくなって外してやった。
爽快な気分とは裏腹に視界はぼんやり。家の外でメガネ(コンタクト)を外すことはほとんどないので少し酔いもする。でも数分間そのままでいたら裸眼の景色に慣れてきた。
メガネやコンタクトでものがハッキリ見えるようになったからといって、それがなんだと言うのだろう。本当に、なんだと言うのだろうか。
なんとなくぼやけた視界のままで外作業をしていると、そのよさに気づかされた。余計な情報が目に入ってこないので自分の世界に集中できるのだ。
言うなれば幼稚園児のころの没入感。園内の毛虫という毛虫をわしづかみして泥水ためたバケツにぶちこんでいたあの頃の充実感。海釣りのゲームで釣りをせず延々とカラスをボコり続けた日々。
ああ、おかえり、純真なわたし……。
人の表情が見えないのもいい。周りのひとがのっぺらぼうに見えるのは余計な気遣いもしなくていいし快適だ。
近眼は神様が与えてくれたギフトなのかもしれない。適応進化という考え方でもいい。それをわざわざお金を払ってまで視力を矯正しているとは!今までどうかしていたよ!もう裸眼しか考えられない!こうなると思考まで近視眼的だ。
裸眼で生活するメリット3選
それからというもの積極的に裸眼で過ごすことにしている。パソコン作業と車の運転をしているとき以外はほとんど裸眼だ。
裸眼ライフでいちばん大切なのは、目の焦点を無理に合わせようとせずにぼやけたありのままの世界を受け入れることである。
見えないものを見ようとして目を細めると頭が痛くなるのでよくない。必要なときにはすぐにメガネを掛けられるようにチェーンを買った。これがあると着脱がスムーズだ。
ここからは裸眼で過ごすようになって分かったメリットをすこしだけ挙げよう。没入感と他人の顔色を気にしなくていいというのは先に挙げたのでそれ以外で。
①世界がきらきらして見える
なんせ目の焦点が合わないので遠くのものがきらきらして見える。
夢の中にいるような陶酔感があっていい。つらいことがあってもメガネを外すだけで即この世界に逃げ込めるのだ。
まるでインスタントなテーマパーク。入場資格は近眼。そこには国籍も性別も年齢もなく(顔が見えないから)、ただ地球人であるということだけを共有できるのであります。
②いろいろどうでもよくなる
裸眼で過ごすと辺りがぼやけて、小さなことも大きなこともどうでもよくなる。
「メガネを外す」くらいの些細なことをきっかけに実在感がなくなる不安定な世にあって、なにをクヨクヨ悩むことがあろうか。将来、老後資金4,000万、おもらし、すべて些細なことじゃないか。
③自分の体調の変化に気づける
裸眼でいると視覚から得られる情報量が著しく減るので、その分の注意力を自分に向けることができる。ぼくは裸眼で過ごすようになって喉の乾きに気づけるようになった。
数十m先の看板に書いてある文字と自分の体調、大事なのはもちろん自分のことだ。裸眼でいると自分中心で生きられるのがいい。傍らに人無きがごとく楽しく生きよう。
そしてここまで書いてきて自分の性格の後ろ向き加減に驚いている。つらいとか逃避とか悩みとか、なんだこれは。
どうも辛気臭くなってきたのでリフレッシュがてら裸眼で散歩に出掛けてみよう。
イエ~~~イ!!