海水浴とは
夏と言われて思い浮かべるものの一つが「海水浴」ではないだろうか。青い空に青い海、実に夏らしい風景だ。そんな景色の中で泳ぐ。夏を代表するイベントなのも頷ける。
明治18(1885)年に日本で最初の海水浴場が誕生した。それが大磯海水浴場だった。開設者は松本順。彼は長崎でオランダ海軍軍医「ポンペ」に蘭医学を学び、徳川家茂や慶喜の主治医を務め、維新後は初代陸軍軍医総監となった人だ。
松本順は江戸時代末期にオランダ人薬学者ハンデ・ワートルが書いた「薬性論」で治療としての海水浴を知る。松本は適した海水浴場を求めて、日本各地の巡り、やがて大磯にたどり着き、大磯海水浴場を開設。明治19(1886)年には海水浴啓蒙書「海水浴法概説」を刊行している。
明治20(1887)年になると鉄道の開通などもあり、大磯海水浴場には数多くの海水旅館が建てられた。その筆頭が「禱龍館(とうりゅうかん)」だった。また海水茶屋もあった。これは今でいう海の家的なものだと思う。
当時の海水浴は泳ぐというより浸かる、という感じで、海にポールが刺さっており、それを手で掴み浸かっていた。やがて医療よりもレジャーの方向性が強まり、東京からのアクセスもいいため、多くの人で賑わうことになる。
今も大磯海水浴場はあるけれど、「禱龍館」はない。ただそれがあった場所から察するに、「照ヶ崎海岸」がその中心地であったのではないだろうか。今の海水浴場の中心は大磯海水浴場なので、少し場所が異なる。
せっかく発祥の地で海水浴をするならば、「照ヶ崎海岸」がいいと思い、私は「照ヶ崎海岸」で泳ぐことに決めた。歴史ある海水浴場で泳ぐのだ。不思議なことに「照ヶ崎海岸」に海水浴客はいなかった。
発祥の地を歩く
到着した照ヶ崎海岸は素晴らしく曇り空。風も冷たい。人もいない。夏の名残を感じることはできなかった。それはそうなのだ。今は夏ではないからだ。海水浴とは夏に行うもので、私が訪れた時期は素晴らしく夏ではないので、人はいないし、夏の名残もないのだ。
思いを馳せる。明治18年の開設以来、ここには多くの人々が海水浴に訪れた、夏に。そして禱龍館を筆頭に海水旅館が建ち並び、泳ぎ終われば旅館に戻った、夏は。レジャーへと進んでからは多くの家族連れがこの海で泳いでいた、夏は。
照ヶ崎海岸の入り口付近には「松本順謝恩碑」が建立されている。昭和4(1929)年にできたものだ。その隣には功績を記した同じく石碑があり、そこには「海水浴発祥の地」と刻み込まれている。間違いなくここで海水浴は始まったのだ、夏に。
照ヶ崎海岸からは禱龍館は見えない。禱龍館が今はもうないことがその一番の理由だけれど、さらに高架道路が走っているからだ。それが景観的にどうのという話はどうでもよくて、その上にある空が曇っていることが気になった。陽が照れば少しは暖かいはずなのに、曇りなのだ。


