くずし字解読アプリ、とんでもないシロモノだ……
以上『塵劫記』で気になる部分を、手当たりしだいに解読してみた。
何が書いてあるのかさっぱりわからないものが、断片的にでもだんだん見えてきて、しだいにはっきりしてくる感じ。これはおもしろい。
懸賞金のかかったような数学の難問を解くときもこんな感じなのだろうか。
古書市で、江戸時代の数学書『塵劫記』(じんこうき)を買った。
『塵劫記』は、くずし字で書いてあるので、文章はさっぱり読めない。しかし、最近はくずし字を翻訳してくれる便利なアプリがある。
アプリで文字を翻訳し、数学に詳しい人に見てもらえば、なにが書いてあるのか、だいたいわかるのではないか?
少しまえに、神保町の古書市で、江戸時代の数学書『塵劫記』を購入した。
かつて、江戸時代の日本では和算という独自の数学が発展し、ヨーロッパなど先進的な地域の水準に劣らないほど発達したといわれる。教科書にも出てくる関孝和などはみなさまご存知だろう。
『塵劫記』は、江戸時代初期に、吉田光由が著した和算のテキストで、寺子屋でそろばんや初歩的な数学について学ぶさいに使われた。
江戸時代の数学入門書は、ほぼこの本しかなかったため、幕末まで様々なバージョンの『塵劫記』が数多く出版された。
中身を見てみると、おもしろそうな挿絵や図版が豊富で、いったいどんなことが書いてあるのかとても興味がわく。
しかしながらご覧のとおり、本文はすべてくずし字で書いてあるので、内容の詳細はなにがなにやらさっぱりわからない。
塵劫記に限らず、古文書や古い書籍は、くずし字で書かれたものが多い。文字が続けて書いてあったり、変体仮名という今では使わないひらがなを使っているので、読みかたを知らない素人がパッと見てすらすら読めるものではない。
しかし、昨年めちゃくちゃ便利なアプリが登場した。AIでくずし字を自動的に認識するアプリ「みを」だ。
くずし字で書かれた文章をカメラで撮影しアプリに読み込ませると、AIが解読し、現代の文字に変換してくれるという、ひみつ道具みたいなアプリだ。(開発者は『キテレツ大百科』の神通鏡をイメージして作ったらしい)
もちろん、100%完璧にくずし字を認識してくれるわけではないけれど、まったく何も判らないゼロの状態よりも格段にわかりやすい。
どんな事が書いてあるのかの大体の意味がわかるようになるのはかなり便利だ。
なんの知識もない素人が見てもさっぱり意味がわからない『塵劫記』だが、算数、数学の得意な人と一緒に、くずし字認識アプリがあれば、どんな事が書いてあるのか、だいたい分かるのではないか。
というわけで、人に集まってもらった。
以前、私が勝手に考える掛け算九九の難解さを聞いてくれた鯵坂もっちょさん、それから、数学と謎解きが得意なライターほりくん。そして、大学で国文学を学び、くずし字の心得があるほりくんの奥さま、まゆこさんに来ていただいた。
なお、聞き手の編集部の古賀さんと私(西村)は、数学がさっぱりわかっていない。(以降敬称略)
『塵劫記』は、国立国会図書館のデジタルコレクションにもあり、現代語にわかりやすく翻訳された解説書もたくさん出ているが、今回は可能な限りアプリを使って読み解いてみたい。
まずはパラパラとながめていて気になったこれ。
鼠の絵だ。数学で鼠といえば、ねずみ算の事だろう。そこまでは、ぼくでもなんとなく想像はつく。ただ、それ以上のことがどんなふうに書いてあるのか気になる。
さっそく、文章をアプリでよみこんでみる。
西村:正月に……ねずミちえゝ出て子を……ちえ?
さっそくつっかかってしまう「ねずミ」みたいに、ひらがな・カタカナがまぜこぜになってるのはまだわかるけれど「ちええ出て」というのは意味がわからない。
まゆこ:(ちええに見えるところは)ちち?
西村:あぁ、父か!
どうやら「みを」は、文字が離れていたり、小さかったりすると、読み取りの精度が落ちるらしく、「ちゝ、はゝ(ちち、はは)」の部分をうまく読み取れていなかった。近づけて撮影したところ、ちゃんと読み取った。
ちなみに「はゝ」の「は」は「者」を元にした変体仮名の「は」だ。そばやでよく見かける「きそば」と書いてある変体仮名の「ば」の部分の文字だ。
で、アプリを頼りながらなんとなく解読した文章はこちら。
正月にねずミちゝはゝ出て子を十二ひきうむおや共に十二てになる此ねずみ二月には子も又子を十二疋つゝうむゆへにおや共に九十八ひき小なるかくのとくに月に一度つゝおやも子も又まごもひこも月々に十二ひきづゝうむときに十二月にはなにほどになるぞといふ一年の分合弐百七拾六億八千二百五十七万四千四百二疋也
(意訳)正月に、ねずみの父と母は、子を十二匹うむ。親共に十二てになる、二月には子も、また子を十二匹づつ生む。ゆえに親とあわせて98匹になる。このように、月に一度づつ親も子も孫もひ孫も月々に十二匹づつ生むとき、十二月には何匹になるでしょう。
西村:これ、最初の1月の部分でいきなり12匹増えるのって、めちゃくちゃ増えますよね……親は毎月12匹づつ生むってことかな?
もっちょ:これ、単性生殖してるのかな? それとも、オスメス6匹づつ生まれてツガイになって子供が生まれているってこと?
西村:どうなんでしょう……
もっちょ:子供同士でツガイになってるとしたら、倫理観……。
西村:まあ、それはそれとして、ゴチャゴチャ言わずに計算してみいやってことなんでしょうね……。
もっちょ:生まれた12匹が、一匹ずつ12匹生むのか、6組のツガイになってその6組ごとに12匹生まれるのか、これは2月に98匹になっているのをヒントに考えればいいのかな?
西村:え、どういう計算式になってるんだ?
ほり:1月に、親から12匹の子供が生まれる。2月に、親がまた12匹生んで、先月生まれた12匹が6組のツガイになって、それぞれ12匹子供が生まれる。これを全部足すと2+12+12+(6×12)で98になるんですよ。
西村:98の内訳はわかりました。けれど、12月にいくらになるのかはどう計算すればいいんだ?
ほり:これ、もしかして、最初は2匹、次が14匹、次が98匹ということは、トータルの数が7倍ずつ増えてる?
西村:じゃあ、7を12乗すれば、12月のトータルの数がわかる?
もっちょ:いや、7の12乗×2ですね。
西村:え、最後の×2はなんの数字ですか? 最初の親の2匹?
ほり:トータルの数の法則なんですよ、最初の2匹は、7のゼロ乗が1で1×2で2。次の14は7の1乗が7で7×2で14、次の98は7の2乗が49で49×2で98……。
※筆者の西村は、xのゼロ乗が1であることをこのとき知り、たいへん衝撃を受けたことを申し添えておきます。
西村:ということは、12月のトータルの数を求めたいときは7の12乗*2をすれば、二百七拾六億うんちゃらかんちゃらの数字になるということなんですね……でも、なんで7なんだろう。
まゆこ:ツガイの数かな。親のツガイ1と、生まれた12匹のツガイの数6を足した7?
もっちょ:そうですね、親のツガイ1プラス、6組のツガイ。それが毎月一つのツガイごとにどんどん増えていく。
西村:んー、ねずみ算の計算ってけっこうややこしいですね……古賀さん合ってます?
古賀:えーと、はい、合ってます。
今回、古賀さんには『塵劫記』をわかりやすく解説した『夢中になる! 江戸の数学』(桜井進・集英社文庫)と、現代語訳版の『塵劫記』(大矢真一校注・岩波文庫)の、該当箇所の解説を見て、推理と計算が合っているのかどうかを判定してもらっている。
※ちなみに「7の12乗*2」をコピーしてグーグル検索してもらうと「弐百七拾六億八千二百五十七万四千四百二」が、アラビア数字で表示されるので、ぜひ試してみてください。
ねずみ算で、いきなりややこしい問題にぶち当たったので、簡単そうな俵の数の数え方の問題をちょっと解いてみたい。
西村:総数何程と問、三様六秋? なんだろう。
まゆこ:三拾六俵ですかね?
西村:なるほど、これは精度の問題かな。
アプリを近づけて撮ると、きちんと解読の精度があがり、三拾六俵と解読してくれた。
もっちょ:あぁー、はいはいどういうことかわかりました。
西村:どういうことですか。
もっちょ:つまり三角形に積んだものを数えるのが大変なとき、横の数に1をプラスして同じものをかけて、出た答えを2で割れば数が求まるよということですね。
ほり:あー、なるほど。8に1を足して9俵、8×9で72、72割る2で36俵ということだ。
西村:これはつまり、三角形に積み上がった俵は底辺の俵の数を数えて、その数とそれに1を加えた数をかけて、出た答えを2で割れば、総数がわかる。三角形の面積の求め方と似てますけど、なんで1をプラスしてるんだろう?
もっちょ:三角形に積み上がったものを2つ用意して、片方をひっくり返して長方形になるように合体させると、どうしても一辺は1つ分のズレが発生してしまう……ということですね。三角形そのものの場合はピッタリ重なってくれるのでプラス1する必要がないんです。
西村:ほう、粒を数えているのか、線を境界にしているのかの違いかしら……。
上の三角形に積み上げた俵の問題の次のページに載っていた、油を分ける問題。これはアプリで翻訳した問題をなんとなく聞いた時点でほりくんが今でもよくある水を分けるクイズのことだとわかった。
あぶら一斗を七下ますと三升升と二づに五升づゝはかりわけよといふまづ三升ますにてて升ますへ三ばいいるゝ時三升ます三升のこる扨七舛升の油をおけへあけ三升ますに二舛あるを七升升へ入又三升ますで一はい入ハ五升つとなるなり
※アプリが間違って読み取った文字もそのまま書き起こしています。
西村:途中の手偏に刃はなんて読むのかな。
もっちょ:手偏に刃は「さて」ですね。
西村:そうなんですね……これ、ほりくんはもう、どういうことかわかった?
ほり:つまりこういうことですね。
ほり:まず、一斗(10升)入ってる10升ますから3升ますで7升ますに7升いっぱいに入れると、7升ますに7升、3升ますに2升、10升ますに1升残る、7升ますに入っている7升を10升ますに戻すと1升+7升で8升入っていることになって、3升ますの2升を7升ますに移し、3升ますで8升から3升とってさっきの2升に足すと5升と5升に分けられる……。
古賀:わーすごいっすねこれ、めっちゃ行ったり来たりで分けられる……。
西村:なるほど、つまりこれは、10升ます、7升ます、3升ますしかないけれど、10升ますに入っている10升の油をなんとか5升づつに分けたいと、そういう時にどないしたらええんやと……というか、やりかたと答えが書いてあるわけか。
鶴亀算、旅人算など算数にはいろんな「算」があるけれど、この本には「からす算」というものも載っていた。いったいどんな算か見てみたい。
○からす九百九十九羽あるとき九百九拾九うらにて一羽のからす九百九十九こゑつゝなく時此からすのこゑ合てなに程ぞといふ
合九億九十七百令令二千九百九十九こゑといふ法に九百九十九に九百九十九をいて二度かゝればしるゝ也
西村:からす999羽あるとき999うらにて一羽のからす999こえつつ鳴く時? あわせて? 鳴き声がいくつ聞こえるのかってことかな。 足し算?
ほり:答えが9億とかになってるので、掛け算?
西村:計算としては999×999×999を計算すればいいのかな、999の三乗? 古賀さん合ってます?
古賀:合ってます、ちなみにうらは砂浜のことですね。
西村:ただ普通に掛け算するだけだから、工夫はなにもないですね。
もっちょ:でも、ちょっと工夫することはできますね、三乗の展開方式を使う……。
西村:えぇ! 三乗に展開方式なんてあるんだ……なんか簡単そうな計算だったのに急に難しくなってませんか?
ほり:(三乗の展開方式は)中学校か高校のときに習いますよ。
西村:中学! 中学校以降の数学の時間、意識不明だったんですよ……。
古賀:私、二乗の展開方式もあやふやですもん。
もっちょ:この方式を簡単なものとして認めてもらえるならば、999の三乗はこうやって計算することができますね。
西村:筆算の答えが『塵劫記』に書いてある数字と一致しますね……すごい。
『塵劫記』には展開方式までは書いてないけれど、寺子屋の先生が子供に掛け算で計算させて、ホントはもっと簡単に計算する方法があるんだよ、みたいに教えるきっかけの問題として使っていた問題かもしれない。
もっちょ:すみません、問題の話ではないんですが、三平方の定理というのが昔、鉤股弦(こうこげん)の法と呼ばれていたのは知っているんですが、それがここにも書いてあると思って……。
西村:えーと、三平方の定理……ピタゴラスの定理というやつ……。
もっちょ:そうです、それです。
西村:記憶が断片的に散らばっててそれが結びついてないんですよね……どんな話かは思い出せず……。
もっちょ:三平方の定理は、直角三角形a,b,cがあるとき、aの辺の二乗と、bの辺の二乗を足すと、cの辺の二乗になるよというやつですね。
西村:はい、今、カンペキに思い出しました!(ちょっと嘘)
もっちょ:左下に書いてある図、三平方の定理の証明でよく出てくる図なんですよ……。
ほり:それ、鉤股弦の字を使って江戸時代風に証明したらいいんじゃないですか?
西村:辺にそれぞれ漢字がふられてるんですね、斜めの線が「玄」、横線が「勺」? もう一つの横線が股の字の右側「殳」ですかね。
まゆこ:ちなみに勺じゃなくて勾配の勾らしいですよ。
西村:あーなるほど。
ほり:できたー、三平方の定理の証明!
以上『塵劫記』で気になる部分を、手当たりしだいに解読してみた。
何が書いてあるのかさっぱりわからないものが、断片的にでもだんだん見えてきて、しだいにはっきりしてくる感じ。これはおもしろい。
懸賞金のかかったような数学の難問を解くときもこんな感じなのだろうか。
2022年6月25日発売の『ぬる絵地図』の発売を記念して、八重洲ブックセンターで発売記念イベント「西村まさゆき×林 雄司 トークイベント 「あなたの知らない47都道府県 本には書き切れなかった話を語り尽くす!」」を行います。
昨年『地図なぞり』を上梓したデイリーポータルZウェブマスターの林さんと、47都道府県の細かすぎるツッコミどころを探してひたすら紹介します!
日時:7月15日(金)18時30分〜
場所:八重洲ブックセンター 8F
八重洲ブックセンターで、『ぬる絵地図』または『地図なぞり』を購入していただければ参加できます!
詳しくは八重洲ブックセンターのイベントサイトを御覧ください。
今までに存在しなかったジャンルの図鑑が出ました! その名も『押す図鑑 ボタン』!
世の中にあるありとあらゆるボタンを、ひたすら集めて紹介するという、どうかしちゃっている本なので、みなさまぜひ、お買い上げいただき、その目で新しい世界をご体験ください。よろしくどーぞ。
姉妹編に宮田珠己著『のぞく図鑑 穴』もあるよ。
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