特集 2025年6月18日

私の地元・日本橋浜町を久しぶりに歩いてみた

東京都中央区の東の端、日本橋浜町で育った。すぐ近くを隅田川が流れていて、川の向こうは江東区の森下。人形町という街も近い。そんな場所にある。

「浜町ってどんなところ?」と、もし聞かれたとしたら、どう答えるだろう。結構困る。公園があって、「明治座」という劇場があって……それぐらいか。決して派手な街ではないと思う。

浜町がどんな街なのか、なんとなくの答えを用意しておくためにも、久しぶりに歩いてみることにした。

大阪在住のフリーライター。酒場めぐりと平日昼間の散歩が趣味。1,000円以内で楽しめることはだいたい大好きです。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーとしても活動しています。(動画インタビュー)

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ここが“地元”……なのだけど

私の両親は東北の山形県出身なのだが、父が郷里を出て東京で仕事をすることになり、母と一緒に江東区で暮らし始めた。私が生まれたのは両親が東京に出て間もない頃のことで、赤ん坊時代は江東区のアパートで暮らし、それから人形町あたりの借家に引っ越した後、浜町に建ったばかりのマンションの一室を父が思い切ってローンを組んで買い、そこに移った。

※これから「浜町(はまちょう)」と書くが、正式な町名は「日本橋浜町」である。

以来、今も両親はそのマンションの同じ部屋に暮らしている。私は現在46歳なのだが、小学校へはもう浜町のそのマンションから通っていた記憶があるので、両親は40年以上そこに住んでいるということだ。

私は物心がついた時には浜町にいて、18歳に一人暮らしを始めるまではそこで育ったので、自分の“地元”と言えば間違いなく浜町とその周辺なのだが、なぜか地元という言葉がしっくりこない。

両親が東北から移り住んできたこともあり、あまり土地の行事などに関わらずにきたからか、私が山形が好きで、むしろそっちを故郷のように感じているからか、もしくは私が大阪に移り住んで10年以上が経ち、東京を遠く感じているからか、理由は一つではないと思うのだが、「浜町が地元ということでいいのか?」と、不安だ。

そんな人が書くことなので、浜町への愛に溢れ、歴史をよく知っている方には物足らないかもしれないが、久しぶりに街を歩き、この街に対する印象を自分なりに書いてみるつもりだ。

浜町には地下鉄の駅がある。都営新宿線の浜町駅。もし友達に対して浜町を案内するとしたら、この駅で集合することになるだろう。もしくは、東京メトロの人形町駅や水天宮前駅も割と近いので、そこから歩いて来てもらってもいい。

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高校時代は都営新宿線を利用して学校に通っていた

駅前には「ナウマンゾウの化石『浜町標本』発掘の地」というプレートが設置されている。割と最近(去年ぐらいか)置かれたもので、浜町でずっと過ごしてきた私だが「そうだったの!?」と驚いた。

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1976年、地下鉄工事が行われていた際にナウマンゾウの化石が発掘されたそう
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とにかく浜町公園が遊び場だった

誰かと浜町で会うなら、待ち合わせ場所は浜町公園の入口あたりでいいかもしれない。

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ここが浜町公園の入口です

浜町公園は1929年に開園した歴史ある公園で、中央区内の公園としては最も敷地面積が広いという。私の実家は浜町公園の近くで、子どもの頃からそこが遊び場だった。幼少期の中の相当な時間を公園内で過ごしてきたと思う。

園内では1990年代に大規模な改修工事があって、それによってかなり風景が変わった。それまでは鬱蒼とした木々が生えていたのが、だいぶ見晴らしがよくなった。小さな子どもを遊ばせるには安心な公園になったと思うが、当の子どもだった時の気持ちとしては、鬱蒼とした公園の方が断然楽しかった。

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古い写真に昔の浜町公園が映っていた。二人の妹と私

あちこちに秘密基地にできるような場所があった。近くで拾った段ボールを低木に重ねて屋根を作って、友達とそこに身を寄せて過ごしたりした。園内には人工の小川があって、ザリガニがいた。滝があって、その上に登るのも好きだった。

走り回っていたのでよくケガをした。ジャングルジムから飛び降りて骨を折ったり、土の上で転んで擦りむいたところが化膿したり、広場に置かれたラジオ体操の木の台に顔をぶつけて派手に切ったり、たくさん痛みを知った場でもあった。猫も拾った。長生きしてくれた。

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こちらも昔の写真。自分の世界の半分ぐらいが浜町公園だった時期があった

整備された今の浜町公園には広場があって、桜の季節は花見客がシートを敷いて宴会していたりする。

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あいにくの天気だったのでちょっと寂しい写真だが
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こうして改めて写真で見てみると今の公園も割と鬱蒼としているな

公園の一角にあるグラウンド。これは昔から同じ場所にある。

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夏のお祭りで盆踊りの櫓が組まれるのもここ

公園の敷地の東側は隅田川に隣接している。事前に予約すると利用できるBBQエリアがあったりする。

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雨の日で寂しかったが、賑わう時は賑わうBBQエリア
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隅田川を眺める。それだけでいい

公園の東側から隅田川のほとりの遊歩道に降りることができる。首都高速の真下なので雨を防げる場所もある。

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川面がすぐそば。ランナーの姿が多い

川が近いからか、上の高速道路が屋根になっているからか、真夏でも少しだけ涼しく、ここでパリッコさんとチェアリングしたこともあった。子どもの頃はハゼを釣った。近くに新大橋という橋が架かっている。オレンジの塔が目印の橋で、このオレンジを見ると「帰ってきたな」という感じがする。

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タイマーで自撮りしてみました。右の方にあるのが新大橋

遊歩道を歩くのも好きだが、新大橋から眺める隅田川も大好きで、今も私は川の近くに住んでいるのだが、川が近くにないと落ち着かないのはこんな環境で暮らしたせいかもしれない。

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新大橋の上までやってきた
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橋の上から北側を眺める。川幅が広くていい

川の向こうは江東区なのだが、自転車に乗ってそっち側に遊びに行くのが好きだったので、本当に何度となくこの橋を渡ってきた。

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橋の中腹にベンチがあるのもいい

川を挟んだ中央区側に私の家のマンションがあって、川の向こうに仲のいい友達のマンションがあった。二つのマンションの屋上をジェットコースターで繋げたらいいのになーと、よく二人で話していた。現実にはあり得ないジェットコースターのレールを、橋の上から見る風景に重ねるようにイメージしていた頃を思い出す。

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新大橋通りから明治座あたりまで

新大橋から浜町側へ引き返す。新大橋通りという大きな道路は小学校時代の通学路で、懐かしい場所がいくつかある。風邪をひくといつも連れて行かれた耳鼻科があったビル。

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診察の順番を待つ間にジャンプを読むのが楽しみだった

通りを挟んだ向かいにあるのが「ギンビス」の本社だ。

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本社がここにあったせいでギンビスのお菓子をいつも身近に感じていた

ふと道端の貼り紙に目を留めると、「本当に住みやすい街大賞2023 シニアランキング第1位 浜町」とある。

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そんなランキングがあったんだな

「あくまでシニアランキングね、はは」と心の中で笑いつつ、でもわかる気もする。浜町は静かで便利で、うちの両親がそこで暮らしていることに安心感がある。

通り沿いにある「好文画廊」の建物も馴染み深い。

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正面の白い建物が好文画廊。調べてみると1972年からこの地にあるんだそう

ギャラリーの内部には入ったことがないのだが、外から見える位置に池があって、鯉か金魚が泳いでいるのをよく眺めていた。

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この空間が好きだったな

信号を渡った角には「かめや」という文房具店が昔からあって、ここでもよく買い物をした。

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子どもの頃からお世話になっている「かめや」
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ギンビスの本社が近いからか「たべっ子どうぶつ」の映画が推されていた

「かめや」の前から新大橋通りと清洲橋通りの交差点を眺める。好文画廊、かめやは昔からあるけど、他はかなり街並みが変わった気がする。

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成城石井とサイゼリアができた時は衝撃だった

清洲橋通りを北へ少し歩くと「明治座」という劇場がある。舞台あり、寄席あり、コンサートありのホールで、私も何度かここで舞台を見たことがある。志村けんの舞台とか、コロッケのショーなどを見た。

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浜町で一番多くの人を集めるスポットは「明治座」かも

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