色々思い出しながらまた公園へ
明治座から人形町方面へ歩くと「甘酒横丁」という商店街があって、その通り沿いに好きな飲食店もあるのだが、今回はそっちへは行かず、再び浜町公園方面へ。
中学生だった頃、浜町公園近くの路地裏にいきなり「びっくりハウス」という名の駄菓子屋ができた。これは私の人生の中でも最もエキサイティングなできごとの一つで、このあたりにはそういう、子どもが喜ぶような店がほとんどなかったので、その店がオープンしたことで世界が急に輝き出した気がした。
いつの間にかその店は閉まってしまったのだが、あの頃、本当によく通った。どこにあったっけ……と今はもうわからない路地を歩く。
再び浜町公園の周りを歩いてみる。公園の一角に見慣れない建物ができていたのだが、それは「日本橋中学校」の仮校舎で、本校舎を建て替えるため、2025年9月からここが学校として利用されるらしい。
すぐ近くにある「浜町軒」は昔ながらの町中華として人気。お腹も減ってきたしここで食べていこうかと思っていたら私が東京にいることを知っている母から連絡がきた。
「お昼でも食べるかい?」とのことだったので、浜町公園内にある「中央区立総合スポーツセンター」で待ち合わせることに。このスポーツセンターは大小様々な競技場や屋内プールがあり、利用者も多い。
ご飯を食べつつ母に聞く
母と合流。雨が強くなってきたところをどこで食べようかと歩いていると、道端にポーチが落ちていた。雨に濡れていて、私なら手に取らないなと思ったが母はそれを拾い、交番に届けるという。
母が交番で手続きをしている間、私は、清洲橋通り沿いにある「港屋絵草紙店」に立ち寄っていくことに。竹久夢二の絵やグッズを売っているお店で、2025年6月いっぱいで閉店してしまうという。
1994年にオープンし、この地で31年営業を続けてきたというこの店。店主の大平孝子さんがお店に立ってきたが、体力的にも大変になってきて、店を閉めることにしたという。
店内には、竹久夢二関連商品から可愛らしい雑貨まで所狭しとならび、海外の人もよく訪れる。京都出身の大平さんは後に移り住むことになった浜町周辺が好きで、特に店の入口のドアから見える浜町駅の街路樹がお気に入りなのだという。
「閉店までにまた来ます」と挨拶して店を出て、日本橋蛎殻町にある「レストランラグー」で母と合流した。
生ビールで乾杯し、ランチのハンバーグセットが運ばれてくるのを待ちながら浜町の話を聞いた。
――交差点あたりもかなり変わったよね。昔は清洲橋通り沿いに銭湯があったよね。「松の湯」。
変わったよ、「松の湯」の向かいも変わった。「成城石井」のところはうなぎ屋さんがなかった?うなぎのタレのいい匂いがしててさ。
――そうだっけ。
うん。お前たちの学校の通学路が新大橋通りだったから。画廊の池は懐かしいでしょ。時々池に落ちる子もいたらしいよ。
――あの池はよく覚えてる。
あそこの角に梅の木が植えてあって、早咲きなのよ。それがいつも楽しみでさ。前は白梅だったの、すごい年寄りの樹でさ、おじいちゃんっていう感じの樹でさ、それが今度、紅梅になったの。それは見返り美人の絵みたいな感じで、腰をキュッと折ったような樹なのよ。
――植え替えたっていうこと?
そうそう。白梅がきっともう歳だったんだな。
――へー。あ、さっき「浜町軒」の前を通ったら混んでたよ。
あそこに向かう路地を今も通るから、ほら、お母さんが足を骨折したじゃん。15年も前だね。松葉杖ついて一生懸命あの路地を歩いてたじゃん。そしたら浜町軒のお店の人に初めて声をかけられてさ。「頑張ってるね」みたいなことを言われたんだったかな。その時に、自分を見ててくれる人がいるんだって思ったな。
――そんなことがあったのか。あの路地に「満る賀(まるか)」ってあったよね。うどん屋さん。よく行ったよね。
行った。出前取ったりもしたね。満る賀のおじさんが配達に来るとさ、モモ(浜町公園出拾ってずっとうちにいた猫)がお腹見せてころっとなってさ、クリーニングのおじさんが来ると威嚇するのよ。なんの違いなんだろうと思ってさ。
――ははは。なんか違いがあったのかな。
――でもこの界隈って食べられるところは少ないよね。
あんまりないよね。
――コンビニは割と早めにできなかったっけ。新大橋のたもとのファミリーマート。
あったよね。お前たちはよくそこでお菓子だのなんだの、買ってたよ。
――うん。「ケンちゃんラーメン」をよく買ったよ。
あと、新大橋通りのギンビスの方にコンビニがあって、何かでそこがテレビに映ったんだよ。そしたらお前が自転車で店の前をすーっと走ったんだよ。なんていうコンビニだったかなー。「映った映った!」って。
――はは、そんなことあったっけ。あとあれ、日本橋中学校、浜町公園に仮設で作るんだね。
うん。びっくりしたよ。
――あそこが思い出の校舎になる生徒もいるんだもんね。
3年間あそこの子もいるんだよ。
――まあでも、通いやすくなる子もいるか。公園の中に学校があるっていうのも楽しそうではある。
うん。子どもはなんでも適応するからね。でも本当に寂しくなるなー。次々なくなるから。
――ああ、「港屋」も閉めるしってこと?
うん。いつもあそこでお正月の飾り物とか買ってたんだよ。行くと色々話してさ。行くところが無くなって寂しいよ。体力のあるうちにお店をやめて、好きなことしたいと言ってたよ。
――そうか。あとあれだ、「藪そば」も閉めたんだよね?
そうだよ。あれも急だったもん。体力の限界だったのかね。
どんどんマンションになっていくからねぇ。
――東京はそういう街だから仕方ないよね。
浜町ねぇ……、住みやすい街なんとかって書いてあったよ。
――あったね!シニアランキング第1位って。
でも今は便利だよ。コンビニもスーパーも昔はなかったから買い物が大変だったけどな。あと、高速道路が近いから朝6時になるともう音が違うの。大型車とかが増えるのがわかる。窓閉めてる分には気にならないけどね。
――マンションの屋上に登れた頃もあったよね。今思うと危ないのかもしれないけど。
うん。隅田川の花火が見えたもん。今は無理だろうね。田舎から出てよくやってきたよ。
――落とし物、大丈夫だった?
うん。大事なものが入ってたっぽいよ。
――そうか。浜町をよりよい街にしたよ。
※その後、ポーチは落とし主の元に無事戻ったそうです
近所に最近できた銭湯へ
食事を終えて母と浜町を少し歩き、私一人になって、最近浜町にできたと聞いていた銭湯、というか、温浴施設へ向かうことにした。
日本橋浜町三丁目にある「HAMANOYU えど遊」が目的の施設だ。2025年4月にオープンしたばかりの施設で、父や妹が「浜町に銭湯できたらしい」と話題にしていたのだ。
できたばかりということもあって、館内は隅々まで綺麗で、浴場内のスペースは決して広いとは言えないのだが、その中に、湯舟が3つ、サウナが2つ、収まっている。
決まった時間にサウナストーブに水がかかって熱い蒸気が出るオートロウリュウ式のサウナで体を芯まで温め、水風呂に入って、と、満喫した。サウナ好きの方に支持されているようで、予想以上に多くの人が利用していた。
最後に湯舟に浸かってそろそろ出るかーと思っていると、湯けむりの向こうから見覚えのある人が裸で歩いてきた。父だったので笑った。母から私が銭湯に向かったと聞いて入りに来たらしい。
もうしばらく湯につかり、二人で出て、ロビーへ向かう。ロビーにはテーブルと椅子が置かれ、カウンターで提供されるドリンクを飲むことができる。生ビールを二つ注文した。
――雨でも結構人がいるんだね、ここ。
うん。ここら辺、ないからな。
――昔は銭湯あったよね。結構何軒もあった記憶がある。
あったよ。新大橋のあたりにもあった。行ったよな?
――うんうん。そこに行った記憶があるな。
この辺りは、川沿いに料亭があったりしたんだ。
――そうなんだね。
江戸時代はその辺りから「ちょき船」っていう船が出て、浅草だとか吉原の方まで行ったみたいなんだ。昔は土手だったんだろうな。「浮いた浮いたの浜町河岸~」って歌がある。「浮かれ柳のなんとか~」って。
――へー!そうか、花街で芸妓さんがいて、みたいなの聞いたことあったな。あの、“新田さん”(父が好きでよく通っていた明治座の近くのバー。だいぶ前に閉店した)の跡地はどうなってんの?
駐車場。更地になった。あそこらへんにも料亭があったしな。
――『アド街ック天国』で浜町の回あったよね。そういう時ってどこが出てくるんだろう。
明治座と、ギンビスと……あとはわかんない。新田さんも出たことあったよ。
――藪そばは?
どうだったかな。
――前に食べたのが最後だとは思わなかったな。
急にやめたんだな。あそこは通しでやってたからメシ食いそびれた時にちょうどよかったんだよ。量も少なくて、いいんだ。
――あのカレー南蛮、好きだったな。
と、そんな話をしてビールを飲み終え、自転車を押して帰っていく父を見送った。
こうして振り返ってみると、私が浜町について知っていることはそれほど多くはなかった。公園の記憶、川の記憶、あちこちの好きだった店の記憶。でもその、あまり色々あり過ぎない感じが、私にとっての浜町なのだ。
これからも東京に来るたび、結局はこのあたりを歩いて、あの店がなくなったとか、あそこに新しいビルが建ったとか思いながら、自分がここで過ごしてきた時間があったことを確かめるんだろう。

