長崎県佐世保市の重要文化財「針尾無線塔」とは
針尾無線塔(※正式には「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」)は、1922(大正11)年に旧日本海軍によって155万円(現在の約250億円)の費用と4年の歳月を投じて建てられた。
3本の塔はどれも136mで、300mの間隔を置いて三角形に配置されている。
1941(昭和16)年12月8日に、太平洋戦争の口火を切ったとされる“ニイヤマタカノボレ”の暗号文はここでも中継された……のではないか、と言われている。しかしながら発信、送信に関する資料はないそうだ。
終戦後はGHQに接収、その後は海上保安庁が使用し海上自衛隊も共同で使用、1997(平成9)年に無線塔と電信室ともにその役割を終えた。
天空に向けそそり立つインパクト大なビジュアルは、SF的な異様さとカッコよさ、同時に戦争の歴史の重みをずしりと感じさせてくれるのだ。
ちなみにここは針尾地区で暮らす少年少女たちの遊び場にもなっており、塔の頂上で度胸試しが行なわれることもあった。
2013(平成25)年に国重要文化財に指定されたことを機に施設の一部公開がスタート。
令和2年に至るまで各種ガイダンス整備(駐車場、側溝、案内板や復元建物建設、Wi-Fi)を進めてきた佐世保市が次なるステージに進んだのが保存調査だ。
現況撮影・各種図面作成・耐震診断などを行う予定らしい。
人間でいうところの健康診断だ。「100歳になったし、そろそろ体のこと考えなきゃね」ということである。
そんな保存調査の一環として、1号無線塔の基礎の形状を確認するために深さ6mまで掘削した礎を特別に公開することとなった。
“—灰塔の礎 出現—”のフレーズとともに突如佐世保市のSNSに現れた告知は、市民のTLやメディアをざわつかせたのだった。
初日で1,300人が来場。文化財に車の列ができて大興奮
礎の公開は2日間限定とあって、初日は1,300人の見学者が訪れたそうだ。
昼過ぎ頃、わたしのTLにも「めっちゃ並んでる」の知らせが立て続けに入り、翌日は早めに出ないとなとそわそわしていた。
そして2日目の当日、朝10時過ぎには現地に到着したのだが1号塔の前には人の列がずらりと並んでおり「おぉー」と声が出る。大型商業施設の観覧車が見えた時と同じテンションだった。
普段停めないところに誘導してもらい、なんとか駐車して降りた。無線塔を見上げるより先に、これまで見たことのない目の前の光景をぼーっと眺めてしまった。とにかく人が多いのだ。
これは、ちょっとしたフェスじゃないか。うれしくて顔が勝手ににやけた。
10年前はきっと「おれ、図体だけデカくて地味だから…」とか言っていたかもしれない無線塔に「よかったじゃん!」と、肘でつつきたい。文化財に対し、気分は勝手ながら幼馴染である。
道すがら、以前取材したレジェンド(少年時代、無線塔の頂上まで昇ったことがある人)にお会いしたのでご挨拶がてらお話した。
「沢山の人たちに来てもらって本当に嬉しいよね。針尾無線塔は私たちの誇りですよ」の言葉に胸がじんとして、にやけていた口元がきゅっとなった。
1号塔へ続く人の数はざっと100名ほど。「25名ずつ説明を行ないますので、並んでお待ちください」と市教委文化財課の職員さんがマイク越しに呼びかけている。
この待ち時間もフェスっぽい。針尾無線塔デザインのタオルを自作して持ってくればよかったなぁと思いながら、人の列を眺める。
さきほど手渡された資料を見ながら「へぇ、そうなんだ」「すごかよね」と話している人たちがいる。
たぶん、新聞やニュースで見てなんとなく来た人たちも、何事かが待ち構えている様子に気持ちが高まっているようだ。
15分ほどで塔は目の前に。礎はもう少し先なんだけど、ここで職員さんのガイドが始まった。予想外のサービスだ。