無線塔から徒歩3分、吉田さん宅をたずねる
無線塔から徒歩3分の自宅に住む吉田さんを訪ねた。
吉田さんは生まれも育ちも針尾のひとだ。ドール作家をしている筆者母のハンドメイド仲間という不思議な縁で、今回お話を聞かせてもらえることになった。
「見学受付」と書かれた看板を横目に見ながら車を走らせ、すぐに到着。
「ひょっとして管理人さんですか」と吉田さんに聞きたくなるぐらいに無線塔から家が近い。
吉田さんはお母さんと一緒に住んでいる。そして自宅の隣にはガレージ付きの工房が併設されている。
工房にお邪魔して、窓から外をのぞくとすぐに1本の無線塔(二号塔)が目に飛び込んできた。
「もし倒れてきたらここは確実に潰れるよねハハハ」と吉田さん。想像してみるが、桁違いの規模に頭が追い付かない。何度か地震は起こったが、地盤が強い地域のため、今のところそのような危機には見舞われていないようだ。
日常の風景の1コマとして、洗濯物を取り込む姿を見学させていただいた。なんだか特撮映画のワンシーンのようだ。
ちなみに家の隣のガレージあたりには、無線塔建設当時に資材を運んでいたトロッコが行き来していたそうだ。
吉田さんに、ここでの暮らしについて聞いてみることにした。
遊び場は、海・山・無線塔
ーここに住んでどれぐらいですか?
「生まれも育ちも針尾だよ。今の家に越してきたのは17年前かな」
ー 生粋の針尾っ子ですね。住民の方と無線塔との関わりってどんなものだったんでしょう。
「管理に関しては、海上保安部が所管してたりしたから、直接住民と関わるということはなかったかな。ただ、貴重な文化財としての保存活動はずっとされているよ」
ー あんな大きな建築物が身近にある生活ってどうなんでしょう。日照の問題とか、騒音とかはありませんでしたか。
「いやいや、まったくそういう問題はなかったよ。音ならウチのそばの高圧鉄塔の方がすごい(笑)。ただ面白いのはね、雨が降ったとき、なぜか無線塔の半分だけがキレイに濡れて色が変わるんだ。もう半分はそのままなんだ。おかしいでしょ」
―ふしぎ!いったいそれはどういう現象なんでしょうね!
ー 子どもの頃(4〜50年前)ってどうでした?
「その頃は、あたりを耕運機しか走ってないような環境だった。駄菓子屋とかあるにはあったけど、僕らの遊び場といえば山、海、無線塔。だいたいこの3つ」
ー 無線塔も遊び場だったんですか!
「うん。塔がある針尾送信所の敷地は8000平米あるんだけど、そこを自由自在にウロウロと。今では半分ほど立ち入り禁止になったけどね。僕は周辺の山で遊ぶことが多かったけど」
8000平米というと、東京の国立競技場の芝生部分をちょっと広くした感じか。よくある東京ドーム換算だと約6分の1だ。子どもの遊び場にしては申し分なさすぎる広さでは。
ー どんな遊びをしてたんですか。
「秘密基地をつくったりだとか、アケビやらザクロやらスモモやらを採って回ってTシャツがベッタリ染まるまで食べたりとか、クサギムシの幼虫をフライパンで炒めて食べたりとか、とりもちでメジロを捕まえてたりしてたよ」
― 捕まえたメジロはどうなるんですか。なんだか不安な文脈ですが…。
「竹カゴ作って飼ったり、友だちと持ち寄って鳴き声の大きさを競わせたり」
なぜかホッとした。ゲットしたメジロでバトル、ポケモンの原点かもしれない。
「あとは、このへん野鳩が多いから、卵とって食べたり。ワナで仕留めた鳥をその場で羽毟って焼いて食べたり」
ー やはりワイルドクッキングになるんですね。おやつ(?)は基本、自分たちで調達していたと。
「もらえるお小遣いも少なかったからね。紙芝居屋が来てたりもしたけど、タダ見しようとしたら煙たがられたりして。昔はみんな小型ナイフ持ってるのが当たり前だったから。年上のお兄ちゃんから使い方を学んで、工作やらアレコレやってたよ」
ー 危険や楽しさを教えてくれる人が身近にいたからこそ出来る遊びですね。とても手先が器用になりそう。ちなみに、無線塔ではどんな遊びを?
「当時は自衛隊さんが何人かいたんだよね。防空壕にあった卓球台で一緒に遊んだりとか、ソフトボールやったりとか」
ー ほほえましい。そしておおらかな自衛隊員のみなさん。
「あとは男子グループで、塔に登って紙ヒコーキ飛ばしたりしてたよ。どの高さからどれくらい飛ばしたかで順位を競ってたんだ」
ー えっ、あの塔に、のぼっ。紙、ヒコーキ??ちょっと意味が…
「実際に見てみるのが早いよ。ちょうどいま見学時間だから行ってみよう」
そのまま家を出て、無線塔にサクッと見学に行くことになった。まさにお散歩気分だ。
飼っている愛猫たちを自由に放して遊ばせてあげる散歩コースでもあるらしい
かつての少年たちの遊び場を見せてもらう(※国の重要文化財です)
2013年に国重要文化財に指定されてから、見学ができるようになった針尾無線塔。地元ボランティア有志が常駐しており、ガイドつきで敷地内を散策することも出来る(要事前予約/見学時間は9:00~16:00)。
入口すぐにある油庫(ガソリンや軽油、灯油類の保管庫)を通り過ぎザクザク進む。
さっそく、戦後ボーイズたちの“度胸試し”の舞台となった無線塔内部へ行ってみることにした。
三号塔は一番南端にあるため、うず潮で有名な針尾瀬戸と西海橋を見下ろせる。
抜群のロケーションだ。きっと恋人たちの格好のデートスポットだったに違いない。
目指せ頂上。勲章きざむボーイたち
中に入り上を見上げる。
圧巻だ。圧巻だとしか言えない。ただぽかんとそう思った。
基底部の直径12m、頂上3mの煙突のような構造。壁に沿ってまっすぐにかけられているように見えるハシゴは、登るにつれて徐々に内部に向かって傾斜していく形となる。
ちなみに段数は555ある。
なので、壁側を背にして登らなければならない。逆から登ると背もたれもないとんでもなくデッドオアアライブな状態になる。
「疲れたら壁に背を預けて一息つく。怖くて進めなくなったら中間地点の足場まで降りて後続にハシゴをゆずる」など当時のルールを聞いているだけでめまいがした。
少しでも下を見たら全身の筋肉が硬直しそうだ。
「僕たちのグループでは、ハシゴの上で紙ヒコーキをつくって、採光窓に向かって投げてその飛距離を競っていたんだ。外と真下に見張り役を置いて順位を記録してたんだよ。紙はポケットに入れてたから、たいていグシャグシャになってたけどね」
それを不安定なハシゴの上でエイヤエイヤと広げて折っていたのか。その集中力、わたしが原稿を書くときにほしいぐらいだ。
あとやっていたのは、どれだけ大声を長く響かせることができるかの競争や、壁に向かってガンガン石を投げて遊ぶなど。これぞ男子だ。
吉田さんは、頂上まで登ったことはないらしい。そりゃそうだ。命綱なしで30階超えの超高層ビルの高みへゆくなんて。ブルース・ウィリス並の精神力がなけりゃ膝から崩れ落ちる。まさにここはダイ・ハードの世界だろう。
しかしやはりレジェンドというものはいるようだ。
覚えていないほどの登頂回数を誇る77歳の男性にお会いした
小学6年生で登頂デビュー。以来、高校3年生にわたるまで仲間たちと無線塔へ登り続けた人物が、田平さんだ。田平さんは、地元有志100名ほどで結成された「針尾無線塔保存会」の会長を務めている。
貴重な遺構を今の世代に語り継ぐ貴重な存在の一人だ。そんな彼は世界一の鉄筋コンクリート建築物の頂きの景色を知る人物でもある。
ー お会いできて嬉しいですレジェンド。ずばり頂上ってどんなところなんですか。
「塔のてっぺんには、一辺18m三角形の“かんざし”っちゅうもんがついてたんですよ。初期の有線の名残ですね。そこは人が立って歩き回れるようになっとって、僕らはよくそこで走り回ったり景色やら空を眺めたりしよったんです」
ー 風とかビョウビョウ吹いてますでしょうに!ぶっちゃけ、事故とかなかったんですか?
「それがね、一件もなくて。周りにいた大人たちもね、『気ィつけて!おっちゃけんなよ(落ちるなよ)!』って笑うぐらい」
ー ほんとうにおおらかな時代だったんだな。公園の遊具がどんどん使用禁止になってる現代じゃ考えられないや。
ー この写真なんて、柵もなにもないですし。この堂々たる胡座の裏で、実は怖がってたなんてエピソードありませんか?
「いや、けろっとしたもんだよ。足場の幅なんて80cmしかないのにね」
ー 肩幅の2倍もないじゃないですか。ところで、ここまで到達するのに何分ほどかかるものなんですか?
「僕らだと15分程度だったかな。あっ、そういえば1人だけ、登ってた女子がいたよ」
女レジェンドもいた。
なお、現在ではもちろん一般人が登ることはできないが、3ヶ月に一度業者さんが航空障害灯(航空機に対して建築物の存在を知らせる電灯)の点検のため登っている。そのタイムは命綱アリでおよそ25分だそうだ。
しばらく、思い出話に花を咲かせていた吉田さんと田平さん。二人に改めて、針尾無線塔の存在についてたずねてみると、
「僕らの生活にとって無線塔は誇りだよ。これからも歴史と魅力をどんどん伝えたいね」と同じ返事がかえってきた。
自分たちを優しく受け入れて成長を見守ってくれた遊び場から、度胸試しの挑戦の場へ。そして大人へと羽ばたく記念の場所に。戦争遺構という厳かなスポットではあるが、彼らにとっては人生の一部分を形成する大切な要素に他ならない。
途方もない高さから故郷を眺め続けたかつての少年たちは、無邪気に笑いあった。
卓球台があった防空壕はここ
吉田さんの話に登場し気になっていた、子どもたちが卓球を楽しんでいた場所がどうやらここだ。
針尾無線塔はまだまだ遊べるのでは
無線塔ととの暮らしというより、“遊び”がメインテーマになってしまった。
などと考えていると、観光客がちらほら無線塔見学へ訪れているのが目に入った。地元民としてちょっと嬉しくなった。それと同時に思ったことがある。
ここはまだまだ“遊べる”魅力的な場所だということだ。
「グッズ販売しましょうよ!道の駅つくってコラボメニュー出してみたりとか。昔の写真のポストカードも売れると思うんですけど」
わたしはすっかりおじさま達と盛り上がってしまった。
戦争遺構という特性ゆえなかなか自由にはできないのだろうけど、新しい“遊び場”にしたら色々と面白いんじゃないかなぁと、そびえ立つ塔を見ながらニヤニヤしてしまった。
いっそ「塔フェス」とかやったらどうだろうか。わたしは歌も楽器スキルも壊滅的なので誰かしたい人が頑張ってくれたらとても良い。