プロローグ:節約の日々
NISAをきっかけに株にハマり、資金捻出のために無理な節約をして暮らしている。サブスクなどの固定費をイジったあとは食費しか削るところがなく、おかげで適当な食事をすることも多い。
幸いにして親戚から食べ物をよく貰うこともあって、スーパーに買い出しに行く機会もとんと減った。今ではなんでもない豚コマや鶏胸のパックですら手に取るのに勇気がいる。
そんなだから、外出するときもご飯を食べてから家を出るように心がけている。飲み物はカルディの試飲コーヒーや給水器でなんとかする。なんとかなるものだ。
キャベツと出かけるしかない状況
そんな日々のなかで、散髪するために遠出する日に寝坊してしまった。
朝に食べるために用意しておいた料理を温める時間はなく、髪のベタつきも落としたかったがそれも無理そうだ。性格上、予約している散髪屋の時間をズラしてもらうことはできない。テンパった。
次の瞬間、無意識がキャベツを洗っていた。
キャベツを持って出かければ食費の節約になるんじゃないか。お腹が空いたときにかじればいいのだ。潜在意識が言ってるのはそういうことなのだろう。
このキャベツは畑をやっている方から直接いただいた新鮮なもので、冷蔵庫のなかでも成長を続けているのか葉が裂けてボロボロになっていた。食べやすくて都合がいい。
玄関から出てすぐキャベツを食べた。
キャベツと街歩き
というわけで散髪のために街に出てきた。二ヶ月に一度、都会の文化に触れる貴重な機会である。
あたりを見回したがキャベツを持っている人は他にいないようだ。おまえら大丈夫か?
僕は僕でキャベツの重さを直に感じ、なぜだか自信が湧いてきたところである。いつでも無料で物を食せるという優越感があるのかもしれない。お腹が空いたら食べよう。
散髪が無事に済んだところで、キャベツと一緒に街を歩くことにした。手持ち無沙汰なのでキャベツをかじりながら。味のなさにも慣れてきて、いつもは忌避する芯の辛味みたいなものも好ましく思えてきた。
この調子で散歩を続けよう。常にキャベツを噛んでいるので口の中がさっぱりして清々しい気分である。ガムとしてのキャベツ。こりゃいいや。