キャベツで欲望から解き放たれる
歩いているうちに無敵の気分になってきた。手の中にキャベツがあるから、生きるうえで他に何も要らないのである。具体的にはこういうことだ。
世の中の広告や宣伝文句を無かったことにできる。すなわち食費以外のお金も節約することができるということだ。都会の街歩きは誘惑が多いのでこれは心強い。
一騎当千、すべてをキャベツがなぎ倒す。
外部からの刺激をすべてシャットアウトできるので、欲求や欲望に人生を左右されることなく穏やかに過ごせる。経済システムからの解放。自由。幸福。現代の答えはキャベツだったのだ。
楽器店の前にストリートピアノが設置されていた。わざわざピアノなんて大層なものを用意しなくても、口内のキャベツ・オーケストラが奏でるシャキシャキの調べは心を満たしてくれるのに。
はじめ大きかった葉の音は咀嚼とともにディミヌエンド、口のなかに残るほのかな甘さはドルチェ。臓器に優しいその響きは胃腸調のハーモニーを紡ぎ、ビタミンUの旋律が体内でグリッサンドのように滑らかにいきわたる。
キャベツにまさる芸術なし。
調味料と惣菜で贅沢に
お腹が膨れて少しキャベツの味にも飽きてきた。正直がモットーです。
そういうときはスーパーで調味料と惣菜を買うくらいの贅沢をするのもいいだろう。お店で食べる食事より遥かに安くつくし、残りの調味料は家に持って帰れる。
キャベツに合うものを探してスーパーを覗いたことは今までなかったので楽しかった。テンション上がってチキンカツなんて贅沢品を買ってしまったぜ。
腰を据えてキャベツを食べるため、地図アプリで調べた公園にやってきた。着いてはじめて分かったことだが、この公園にはオシャレな洋食レストランが隣接していた。
何気なく目をやるとテラス席のお客さんと目が合う。ナイフとフォークをカチャカチャする音が聞こえる。僕はカチャカチャする飯を食ったことがない。どっちの手でナイフを持つのかも知らない。
それでも僕にはキャベツがある。
肉、うますぎる。朝から昼過ぎまでキャベツしか食べていなかったので揚げ物のカロリーがとても嬉しい。これはキャベツあってこその美味さだ。節約云々はもはやどうでもよくなって、今はただこの振れ幅がおもしろい。
へへっ、どんなもんだ!見たか!!
そして、実はこのほかに塩昆布も用意しているのだ。
キャベツに昆布を乗せて食べたらもっとハッピーになれるだろう。楽しみでならない。
これが不思議とチキンカツを凌駕する美味しさだった。用意したのはなんてことのない塩昆布である。塩分か旨味か、なにがなんだか分からないが段違いのうまさだったのだ。スカッと脳の霧が晴れるような。
キャベツの神様が特別に魔法をかけてくれたとしか思えなくて、その夜に僕は西の空に煌めくキャベツ座の方角に向かって祈りを捧げるしかなかったといいます。
このあとは回転寿司店に行き、4皿だけ食べた。チキンカツや昆布を入れてもだいぶ安く済んだのでよかった。現代を生きるみんな、あらゆる誘惑を断ち切るためにキャベツを持ってでかけようぜ。