くつがえされる祇園イメージ
皆さんにとっての祇園は、どんなイメージだろうか。
祇園=おっかないところ。
平凡な大学生活を京都で送っていた筆者の、正直な印象である。
もちろん、修学旅行で行ったことはあった。
けど、関東の純朴な中学生には、古風な観光地としての顔しか見えてなかった。
関西の人には当たり前だろうが、祇園といえば現代においても一大歓楽街なのだ。
まだ成人もしてない頃、野次馬気分で夜の祇園を通ってみたことがある。
ビビってしまった。
ネオンの灯る通りは客引きであふれ、派手なホストやキャバ嬢が闊歩しており、関東のベッドタウンから出てきた田舎者の大学生には、ミニ・歌舞伎町のように感じられたものだ。
(2015年に客引きが条例で禁止され、今はそんなこともないらしい)
それも、風情あふれる町並み保存地区と隣り合わせでやってるのがおもしろい。
そんな祇園だからこそ、バブル時代に建てられたとがった建築が多数あるのだ。
ここまでやるか!な祇園のアバンギャルド・バブル建築たち
さて、古い町家と近未来ビルがひしめき合う、祇園のもうひとつの魅力に迫っていきたい。
この一筋縄ではいかない、メタリックで力強いデザイン。なんと形容すればよいか…SFアニメに出てくる、研究所の実験棟みたいだ。
このうなぎの寝床のような細長ーい敷地をこれだけダイナミックにみせられるのだ。
作った人はタダモノではないんじゃないか。
実はこれ、同じ人が設計している。
のちに京大教授となる、高松伸(たかまつしん)だ。
関西きっての大御所建築家で、特にバブル時代にアバンギャルドな作品を多数残している。
そして、まだまだこれでも序の口なのだ。
富永町通を進んでいこう。
なんだこれは…!ロケットのような、蜘蛛のような。この狭い敷地から今にでも跳び出していきそうだ。
設計は若林広幸(わかばやしひろゆき)という人で、高松伸とともに京都を代表する建築家だ。
京都市出身、もともと陶磁器の「たち吉」のデザイナーで、その後我流で建築を勉強した個性派なのだそうだ。
同じく若林広幸設計のマルトー17ビル(1991年)だ。ビルの間から甲虫が生まれるかのような、すげーデザイン。
こういうところ、単なる近未来風なだけでないところが京都っぽい。
庭石っぽいといえばぽいような…。
この祠も建物と一緒に建てられたのだろう。ちゃんとデザインの一部になっていて、こういうところ好きだな。
さて、東京の人ならこの感じになんとなく見覚えはないだろうか。
渋谷のディズニーストア。
ディズニーとかに道楽が同居するこのビルも、若林広幸設計なのだ。
さて、これだけだと当時たまたま2人の超個性的な建築家がいた、という話に終わってしまいそうだが、この80年代~90年代初頭という狂騒の時代も関わっている気がする。
というのは、今では「和の大家」なんて呼ばれ、新国立競技場の設計も行った隈研吾(くまけんご)も、当時はすごいやつを作っているのだ。
「ポストモダン」なんていわれて、当時はこういう大胆な建築が建てられた時代だった。
時代性半分、作家性半分といった感じだろうか。
(高松伸や若林広幸もその後はおおきく作風を変えたようだ)