この日、朝の静かな祇園新橋の切通しではウェディングフォトを撮っている和装のカップルがいたんですが…旗にふられて、スマホを構えた外国人ツアー客の団体が横を通りかかる。さらに修学旅行生も集まる。その横でビルを撮る自分もいる。
祇園に負けないカオスな瞬間でした。
このビルもやっぱり若林広幸設計。どこからどうみても和風…だけどそこはかとなくロボチック。
1991年の本人による対談記事を読むと、実はここ、ビルの敷地の左側2mだけ保存地区に入っているという本当のはざま。
当時、保存地区内はガチガチに景観規制されているが、その一歩外では15m以下なら何建ててもよいという極端な断絶があったそうだ。
その断絶に対して、たった5mの敷地でなんとか伝統と現代の緩衝帯をつくろうとしたのがこのビル。
さらに、記事によると当時の若林広幸がテーマとしていたのはこんな感じ。
『産業革命以降の機械崇拝からくるメカのダイナミズムと、ヴァナキュラー(土着的、固有の伝統)なものを結合したアンビバレンツなデザイン、「メカオリエンタル」がもっとも現代を表現するデザインになりえる』
…むずかしいけど、このビルを見るとちょっとわかる気もしないだろうか。
安直な和風ビルではけっしてないことは確かだ。
清々しいまでに、和風を意識しない夜の街のビル。中にはお高めのキャバクラが入っているらしい。
日本屈指の町並み保存地区の入口に堂々とたつ洋風ビル。
中国ならお上の一声で取り壊しちゃうだろうし、ヨーロッパなら元々建たないだろう。
そう考えると、この自由で堂々としたデザインは、エネルギッシュな高度経済成長やバブルを経験した日本にしかない、特異的な町並みなんじゃないだろうか。
祇園というのは、江戸時代の鴨川治水とともにひらかれた、京都にあっては比較的新しい街なのだ。そして、戦前までは娼妓(江戸時代風にいえば遊女)が芸妓と共存していた街でもある。
この猥雑さこそが祇園、という気もする。
われわれが感じる風情のほうが、後からやってきたのかも。
この日、朝の静かな祇園新橋の切通しではウェディングフォトを撮っている和装のカップルがいたんですが…旗にふられて、スマホを構えた外国人ツアー客の団体が横を通りかかる。さらに修学旅行生も集まる。その横でビルを撮る自分もいる。
祇園に負けないカオスな瞬間でした。
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