特集 2023年7月14日

バブル遺産。京都・祇園のド派手近未来ビルが楽しい

古い町並みとのはざまで、圧倒的存在感をしめすふたつのビル

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風情あふれる町並みとして有名な祇園新橋の切通しだが…
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すこし視野を広げると何かあるぞ
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切通し大西ビル(1989年、元・守離破ビル)だ

このビルもやっぱり若林広幸設計。どこからどうみても和風…だけどそこはかとなくロボチック。

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メタリック・桃山風って感じか

1991年の本人による対談記事を読むと、実はここ、ビルの敷地の左側2mだけ保存地区に入っているという本当のはざま。

当時、保存地区内はガチガチに景観規制されているが、その一歩外では15m以下なら何建ててもよいという極端な断絶があったそうだ。

その断絶に対して、たった5mの敷地でなんとか伝統と現代の緩衝帯をつくろうとしたのがこのビル。

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冒頭で紹介した南座(1929年)に似てる気もする

さらに、記事によると当時の若林広幸がテーマとしていたのはこんな感じ。

『産業革命以降の機械崇拝からくるメカのダイナミズムと、ヴァナキュラー(土着的、固有の伝統)なものを結合したアンビバレンツなデザイン、「メカオリエンタル」がもっとも現代を表現するデザインになりえる』

…むずかしいけど、このビルを見るとちょっとわかる気もしないだろうか。

安直な和風ビルではけっしてないことは確かだ。

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切通しを保存地区側からみる
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白川沿いに美しい町並みがつづく祇園新橋地区。余談だが、この広い石畳は戦時中の建物疎開(空襲による延焼防止のための強制的な取壊し)によるものだ
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そんな石畳の入り口に立つ、一風変わったビル
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1971年に作られたオークラビル。町並み保存地区の制定よりも古いビルなのだ

清々しいまでに、和風を意識しない夜の街のビル。中にはお高めのキャバクラが入っているらしい。

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昼間は修学旅行生も入っていく

日本屈指の町並み保存地区の入口に堂々とたつ洋風ビル。

中国ならお上の一声で取り壊しちゃうだろうし、ヨーロッパなら元々建たないだろう。

そう考えると、この自由で堂々としたデザインは、エネルギッシュな高度経済成長やバブルを経験した日本にしかない、特異的な町並みなんじゃないだろうか。

祇園というのは、江戸時代の鴨川治水とともにひらかれた、京都にあっては比較的新しい街なのだ。そして、戦前までは娼妓(江戸時代風にいえば遊女)が芸妓と共存していた街でもある。

この猥雑さこそが祇園、という気もする。

われわれが感じる風情のほうが、後からやってきたのかも。


 

この日、朝の静かな祇園新橋の切通しではウェディングフォトを撮っている和装のカップルがいたんですが…旗にふられて、スマホを構えた外国人ツアー客の団体が横を通りかかる。さらに修学旅行生も集まる。その横でビルを撮る自分もいる。

祇園に負けないカオスな瞬間でした。

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四条通りに面するぎおん石ビル。1969年築で時代は違えどかっこいいので最後に紹介させてください

 

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