特集 2026年4月17日

常設展示は世界で2体のみ! エゾオオカミの剥製を見に行く

エゾオオカミというものがいる。北海道に生息していたオオカミで、すでに絶滅している。そのため正しくは「かつて」エゾオオカミというものが「いた」と、書く方が正しいだろう。本州に生息していたニホンオオカミとはまた別のオオカミだ。

札幌にある北海道大学植物園に存在する4体のみが、世界に残るエゾオオカミの剥製で、常設で見ることができるのは2体のみ。その2体のエゾオオカミを見に行こうと思う。

1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(ライターwiki)

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エゾオオカミとは

かつて日本には二種類のオオカミが生息していた。本州、四国、九州に生息していた「ニホンオオカミ」と、北海道に生息していた「エゾオオカミ」だ。この二種は日本にやってきた経路も生息圏も異なる全く別のオオカミ。共通点はかつて日本にいたことだ。

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和歌山県立自然博物館のニホンオオカミです(詳しくは前回の記事を参照

エゾオオカミは、1888年以降はほぼ絶滅状態であったと考えられている。『北方動物誌』を読むと、1896年に函館の毛皮商である松下氏がオオカミの毛皮を数枚ほど輸出品として取り扱った記録が最後とある。ちなみに本州では、その一年前の1895年を最後にニホンオオカミも姿を消している。

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「北方動物誌」犬飼哲夫 北苑社 1975

ニホンオオカミが絶滅した理由は環境省の『レッドデータブック』を見ると「開発」や、「伝染病」などと書かれている。一方でエゾオオカミは「駆除目的の過剰捕獲」や「駆除の結果」などが挙げられている。

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「レッドデータブック2014 1 哺乳類」環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進 ぎょうせい 2014

つまりエゾオオカミは人間との熾烈な生存戦争に敗れ絶滅したと言える。『北方動物誌』にもエゾオオカミについて書かれた章のタイトルは「人間に滅ぼされたオオカミ」とある。

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国立科学博物館のニホンオオカミ

エゾオオカミの剥製は世界に4体のみ。エゾオオカミの駆除に対して報奨金制度があった1877年から1888年の間に捕獲された数は1539頭。もっと多くのエゾオオカミが生息していたと思うが、現在残る剥製は4体のみなのだ。全てが「北海道大学植物園」所蔵であり、そのうちの2体が同じく北海道大学植物園で常設展示されている。

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ということで、札幌に来ました!

 

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札幌の開拓

札幌に到着したけれど、この旅のクライマックスを「エゾオオカミ」と決めていたので、まだ見ない。まずはベタに「時計台」を選択した。元は1876年に開校した「札幌農学校」の演武場。正式名称は「旧札幌農学校演武場」なので、実はどこにも「時計台」は付かない。というのも、当初は時計がなく、1881年にボストンで購入された自鳴鐘つき時計が後から取り付けられ、1903年頃から時計台と呼ばれるようになったそうだ。

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時計台!

時計台内には札幌の開拓使にまつわる展示があった。1869年に明治政府は開拓使を設置した。その頃はまだ北海道という名前もなく、蝦夷地と呼ばれていた。札幌も今とは大きく異なる景色が広がっていた。海と膿くらい違う。札幌はもともと未開の荒野だった。

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札幌の歴史を知ることができます!

明治政府は近代的な国家づくりのため、海外から有識者を招くことを奨励していた。いわゆるお雇い外国人と呼ばれるものだ。北海道ではアメリカ人のホーレス・ケプロンを最高顧問として招いた。

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時計台にはクラーク博士の銅像があります!

ケプロンは洋式農法を導入し、米作ではなく、北の地に適した作物の導入を行った。また牛や羊などを取り入れ、馬の改良も行った。馬はもともと貨物運搬用に道産子という在来の馬がいたけれど、農耕や乗馬用に馬が必要で、アメリカからトロッター種を輸入している。

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「イザベラ・バードの日本紀行 上(講談社学術文庫)」イザベラ・バード,時岡敬子 講談社 2008

明治時代の初めに日本を旅したイザベラ・バードは、日本の馬について「一頭の哀れな馬が引く」とか、「貧弱な馬に引かせて」とかと書いている。あまり褒めていない。馬の近代化も必要だったわけだ。そのために牧場が開かれた。これがエゾオオカミの絶滅とつながる。牧場にやってくるのだ、エゾオオカミが。

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なんか植物がデカかった!

 

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エドウィン・ダン記念館

次は札幌市南区の真駒内泉町にある「エドウィン・ダン記念館」を目指した。ダンはアメリカからお雇い外国人としてやってきて、1873年に開設された新冠牧場や1876年の真駒内牧牛場の創設などに貢献した人だ。

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エドウィン・ダン記念館

エドウィン・ダン記念館では、エドウィン・ダンの功績を知ることができる。記念館の外壁は白く塗られ、屋根は緑色をしている。レトロな洋風の建物だ。もともと真駒内に開拓史牧場が開かれた時に、事務所として使われたものが移築され記念館となった。

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綺麗な館内です!

館内では油絵によるダンの功績が記されている。競馬をしている様子や、馬にまたがりバッタが襲来した集落へ行く様子など。新冠牧場にエゾオオカミが襲来し馬を襲っている絵もあった。

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エゾオオカミが馬を襲っています!

1878年の記録が書かれた『お雇い農業教師 エドウィン・ダン-ヒツジとエゾオオカミ-』を読む。それによると、新冠牧場では2000頭の馬を飼育していた。牝馬が1300頭いて、その内の900頭が毎年仔馬を産む。しかし、300頭しか成育しない。600頭の仔馬はオオカミやクマなどに襲われて死んでしまうとある。

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「お雇い農業教師 エドウィン・ダン-ヒツジとエゾオオカミ-」田辺安一 北海道出版企画センター 2008

かなりの被害が出ていたことがわかる。原因のひとつが1878年に日高・十勝地方で大雪が降り、多くのシカが餓死したことだ。開拓使が作った鹿肉の缶詰工場を閉鎖するほどシカがいなくなる被害だった。この辺りにはエゾオオカミは多く生息していた。エゾオオカミもシカがいなくなり餌に困ることになる。そして、ダンの牧場は日高・十勝地方にあった。結果、エゾオオカミは餌を求めて牧場を襲うわけだ。エゾオオカミが人を襲った記録はないそうだけれど、家畜は容赦なく襲われた。

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新冠牧場

1878年、ダンは新冠牧場で野獣毒殺の許可を申し出る。7月1日から9月30日までの間に牧場内で毒殺を実施したいというものだ。その結果、エゾオオカミは急速に数を減らすことになる。

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「新冠百話」新冠町郷土資料館 社会教育課生涯学習グループ文化財係 新冠町教育委員会 2017

『新冠百話』を読むと、浅川氏が父から聞いた話として、ダンは優しい人で、狼の死体を集めて塚を作ったとある。ただ現在はその塚の場所が不明とあった。

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現在は「家畜改良センター新冠牧場」

せっかくなので新冠牧場にも行った。現在は「家畜改良センター新冠牧場」となっている。また新冠の辺りは今でも馬産が活発に行われている。道の駅の名前は「サラブレッドロード新冠」だ。三冠馬のナリタブライアンもコントレイルも新冠で生まれた。

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オグリキャップの銅像と写真を撮った!

 

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