「山とかにあって取って食べてた」
食いしん坊を自覚する筆者がなぜこれまであけびを食べてこなかったか。
その回答はあけびを食べた大人が口をそろえて言う「山とかで取って食べてたよ」にある。東京の下町に育った筆者は山を知らない。あけびもない。せいぜい公園の近くの老木になっていたザクロを盗み食いしたくらいである。
あけびは山で食べる、わざわざ買うものじゃない、地方出身者の特権ともいえる食べ物、という認識だった。いつか食べれたらいいな、と思いつつ、あの水彩画で描いたような淡い紫をどうおいしがればいいんだという気持ちもあった。
山で適当にとって食べられるものが、上野では300円払わないといけない。でも仕方ない。上野にはパンダとか美術館とかあるしな。
食べ方が全く分からない。これナイフとかなくて大丈夫なんですか?どうやって剥くんですか?一緒に買いについてきてくれた安藤さんに聞く。
実と種。知らない植物の種を見るのは少し怖い。集合体恐怖症というわけではないけれど、知らないものが整列している姿をみるのが漠然と怖いのだ。でも食べたいと言ったのは自分なので、剥きます。
整然とした種の配置に生命の息吹を感じて怖くなる。筆者みたいな人間がいるから種なしの果物が発展しているのかもしれない。
50年後くらいには「最近の若い子たちはメロンに種があることも知らないんですよ」なんて言ってそうだ。
筆者はあけびという植物を繁栄させるための秩序を今、興味本位で乱そうとしている。人間の愚かしさよ。
種も食べられるという罠
皮をむいてあとは食べるだけ。ちょっと待てよ。種は食べられるのか?青果には種を食べてもいいものと、ダメなものがある。はじめての果物を前に判別がつかない。
安藤さんに聞くと、少し間をおいて、「食べられるはずですよ」とのことだった。パッションフルーツみたいな感じか。これだけ種があって食べられないなんていじわるすぎるもんな。
愛知の山であけびをもいでは食べていたであろう幼い頃の安藤さんの記憶を信じて、かじりつく。
種、たぶん食べちゃダメだと思う。みかんの種を誤って食べたときか、それ以上の渋さが口の中に広がる。ちょっと体に良くない気すらしてくる。
はじめての食べ物を口にすると、自分の感じている味覚を信じていいのか、一瞬ためらいが生じる。誰に気を遣っているわけでもないのに、この渋さを楽しむものなのかも……?と逡巡し、反応が遅れる。これは発見だった。
このあと、果肉だけを食べたが、種の渋みが後を引きすぎて、あんまり味がわからなかった。バナナや柿の風味に似ている気がした。きっと繊細な味を楽しむものなのだろう。種を噛んでしまったことによって全部台無しだ。安藤さん、どうしてくれるんですか。
あなたが食べさせたんですよ。でもむかない安藤でしか見たことのなかった表情を生で見れて少しうれしい。むかない安藤じゃなくて種を取らない安藤として復活したらどうですか。
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