言葉をいろいろな角度から見る
とりとめもなく新聞データベースで遊んでしまった。
おもむろに「タピオカ」と検索しただけでも、様々な情報が手に入った。いま、私たちがイメージする「タピオカ」とはまったく異なるタピオカの一面を知ることができた。
当然のことだが、新聞は時代を反映する。その時代に何があり、ある言葉がどのように扱われていたのかがその紙面から読み取れる。
つまり、自分の好きな言葉をデータベースで調べてみると、時代ごとに異なる、様々な角度でその言葉を見ることが出来るのだ。
「新聞データベース」というものがある。
新聞に掲載された単語や見出しを調べることが出来る機能で、これが面白い。
ある単語を調べると、それが掲載された紙面と、掲載された日付がズラッと出てくるのだ。図書館で古い新聞を漁らなくても、家にいながら時間旅行ができる。
今回はこの機能を使って色々と遊んでみることにしよう。
(この記事は特別企画:コタツ記事デーのなかの1本です)
新聞データベースは、各新聞社から提供されている。
毎日新聞の「毎索」、読売新聞の「ヨミダス歴史館」、そして朝日新聞の「聞蔵Ⅱ」。これらが各社のデータベースである。
すごいのはボリュームと質。
それぞれのデータベースでは、新聞創刊時からのデータが検索できる。例えば、読売新聞の場合、新聞創刊の1874年から今日の記事に至るすべてを、調べることができるのだ。150年分の紙面検索が、検索ボタン一つで。
記事によっては当時の紙面をデータで見ることもでき、その画質がとてもよい。細かい文字もはっきり見える。
公立の図書館や教育機関などでは、このサービスを契約している場合が多い。私が所属している教育機関も契約しており、自分のパソコンから各新聞社のデータベースが見られるのだ。
自宅のパソコンでこれが見れる幸せ。ずっと見ていられる。
さっそく使ってみる。
検索方法は簡単で、「検索」のところに調べたい単語を入れるだけ。試しに朝日新聞のデータベースに「デイリーポータルZ」と入力してみよう。
すると、過去に朝日新聞で「デイリーポータルZ」が取り上げられた記事がずらっと登場する。
それによると、デイリーポータルZが朝日新聞に登場したのは15回。初めて取り上げられたのは、2004年4月25日のことだ。デイリーポータルZ編集部が編集した『おとなの自由研究』という書籍のレビュー記事で登場している。
その次に取り上げられたのは、2007年3月9日付の「(疑問解決モンジロー)猫舌って何が違うの」。見出しからはなぜ取り上げられたのか分からない。記事を読んでみると、どうやらこれは読者からの質問コーナーのようで、ある読者が「猫舌って何が違うの」と質問したらしい。
その回答が、DPZでの猫舌調査記事を出発点にして書かれているようなのだ。DPZの記事、新聞の質問欄で参考にされていたのだ。
他にも、DPZ編集部の石川さんがお子さんとスマートスピーカーを使って話しているという記事もあったりして、ワードを打ち込むだけで、私が知らないDPZの歴史を知ることができるのだ。データベース、すごい。
さて、ここでクイズである。
新聞データベースの面白いところは、ある言葉が初めて新聞に載った日が一瞬にして分かることだ。最近の流行語を検索してみると、それがいつから一般に使われ始めたのか、すぐ見られる。
ここ数年、街で見かけることの多い「タピオカ」。
2019年には「タピる」が流行語大賞の候補にノミネートされたことも記憶に新しい。最近の新聞記事にはもちろん、タピオカに関する記事が掲載されているだろうが、そもそも日本と「タピオカ」の出会いはいつからなのか。
覚えている方もいらっしゃるかもしれないが、タピオカは過去何度かブームになった。
現在のブームは「第3次タピオカブーム」。ということは第1次、第2次ブームのとき、新聞に取り上げられているかもしれない。つまり、第1次ブームが起こった1990年代初頭にタピオカは日本の新聞に初めて登場したのだろうか。
そんな予想を立てながら、それでは答えを一挙にどうぞ。
古かった。
想像以上だ。
朝日新聞に至っては、2世紀前である。
いったいそんな前に、どんな内容でタピオカは新聞に現れたのか。
新聞にタピオカのまた異なる側面を見た
もう一度、各新聞の記事一覧を見てみる。
3紙の中でも比較的新しかったのは毎日新聞。タピオカ初登場は1965年のこと。東京オリンピックの翌年だから、新しいといっても十分古い。
見出しを見ると、「タピオカ飯」とある。
タピオカ飯。
新しいスイーツだろうか。ただ、その後には、「石ケン」とか「密林生活」とかいう言葉が続いており、どうもそうした類のものではなさそうだ。
さらに、タピオカには注が載っており、それがまだ一般には馴染みが薄かったとわかる。
記事は以下のように続く。
だそうだ。タピオカというか、タピオカの葉である。
記事全文を読んでみると、ベトナム戦争中に現地へダムの建設調査に行った日本人が、ベトコン(ベトナム戦争でアメリカと敵対したベトナム側のグループの名前)に捕らえられたとき、タピオカ飯を食べさせられていたらしい。
タピオカ飯がどんなものかよく分からないが、タピオカを主食としたご飯のようなものだろうか。
いずれにせよ、現在のようにキラキラしたタピオカとは程遠いタピオカのまた異なる側面を見た気がする。
読売新聞ではどうだろう。
読売新聞での初登場は、1918年の「オランダ領インド禁輸」という項目。歴史の勉強のよう。この記事は、オランダ領インドからのタピオカ輸出について、政府の特許がない限り禁止にするというもの。ほんとうに世界史の勉強で覚えさせられそうだ。
ここでタピオカはタピオカではなく、「パピオカ」という表記になっているのがなんとも味わい深い。
こう見ていくと、タピオカが新聞に載ったのは、国内の記事というよりも海外ネタ、それも東南アジアやインドと言った地域での外交ネタとして登場したのがそのはじめらしい。
現在われわれは「スイーツタピオカ」というタピオカの顔しか知らないが、その前には「貿易タピオカ」ともいうべきタピオカの顔もあったのだ。
タピオカについて、もっとも古くにその言葉を載せた朝日新聞でもこれは同様だ。
1897年、「マラッカ事情」と称して、シンガポールの都市・マラッカについて書かれたレポートにタピオカが登場する。
「タピオカ屑は廉価なる食物なればなり」と書いてあり、やはり今のようなタピオカ人気とは程遠いことが伺えるだろう。
では、現在私たちが知っているスイーツタピオカが生まれたのはいつぐらいだろうか。これも新聞がはっきりと示してくれている。
どちらの新聞ともが、1994年1月18日にポッカからタピオカの新商品が登場したことを報告している。これ以前、健康食品としてタピオカが取り上げられている記事は少し見られるものの、「スイーツ」としてタピオカが取り上げられている記事はない。貿易関係で登場する「貿易タピオカ」がほとんどだ。
間違いない。
タピオカが(新聞上で)スイーツになった日は1994年1月18日なのである。
そう思って、最後に朝日新聞でも同様のことを調べてみることにした。
すると衝撃の結果が。
1974年12月6日。
ポッカがタピオカドリンクを発売する20年前のことである。朝日新聞に突如として「タピオカクリーム」なるものが現れる。もしや、これが日本におけるスイーツタピオカの元祖なのだろうか。
記事を見てみると、タピオカとバニラを混ぜて作るらしい。いかにもおいしそうである。
しかも、記事の終盤には「消化がよく、おとしよりにも向きましょう」とのこと。最近のタピオカはもっぱら若者が食べるが、このころはおとしよりにも食べやすいものだったのだろうか。ユニバーサルタピオカとでもいうべきか。
さきほどの言葉を訂正する。日本のスイーツタピオカの原点は、1974年12月6日の「タピオカクリーム」にあったのだ(新聞データベース調べ)。
新聞データベースを 使えばこんなことまで調べられるのだ。しかも、家にいながらにして。
とりとめもなく新聞データベースで遊んでしまった。
おもむろに「タピオカ」と検索しただけでも、様々な情報が手に入った。いま、私たちがイメージする「タピオカ」とはまったく異なるタピオカの一面を知ることができた。
当然のことだが、新聞は時代を反映する。その時代に何があり、ある言葉がどのように扱われていたのかがその紙面から読み取れる。
つまり、自分の好きな言葉をデータベースで調べてみると、時代ごとに異なる、様々な角度でその言葉を見ることが出来るのだ。
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