宇宙の上にのっている
西村:東大寺の大仏様は盧舎那仏だということは予習してきたんですが。盧舎那仏というのは……如来。ということでいいんでしょうか?
安達:そうですね。
西村:仏さまにもランクがあって……悟りを開いているのが「如来」、悟りを開くために修行している仏さまが「菩薩」ということですよね。観音さまというのは……。
安達:観音菩薩ですね。菩薩の中でも、観音様やお地蔵さまみたいな人たちは賢いからもう如来レベルにあがっても良いわけなんですよ、ホントならもう「オレいける」みたいな。でも、あえて、菩薩のレベルに居るわけですね。それは、みんな悟りを開いて如来になっちゃうと、衆生で人々の悩みや苦しみを聞いてあげる存在がいなくなってしまうから。
安藤:あえて現場に残るタイプのひとですね。
安達:みんな、社長だとか会長になっちゃうと、気軽に会えなくなっちゃう。だから、現場と上をつないでくれる存在としていてくれてるわけですよね。
西村:中間管理職だ。社長とか会長とかよりも、課長とか部長ぐらいのほうが身近というか、親しみはでますね。
安達:如来は服が薄いですよね。ふつうは、偉いと絢爛豪華にしそうなもんですけれど、スティーブ・ジョブズのジーンズと黒のタートルネックだけみたいな。
安藤:偉いと逆に服装がシンプルになるという。
安達:如来はシンプルなんです。でも、菩薩はまだそこまで行ってないから、身にまとっているものが多いんですよ。まだ煩悩があるというか、菩薩のいでたちは、釈迦が悟りを開く前の王子様だったころの姿に似てるわけですね。
西村:だから王冠みたいなのもかぶってるんですね。
安達:そうですね、髪型もちょっとおしゃれしちゃうし、飾り付けもしちゃうし。そういうわけですね。
復興がめちゃくちゃ大変だった
西村:東大寺の大仏さまは何度も焼けたというわけですけど、大仏は奈良時代のものではない?
安達:そうですね、大仏の肌の質感をよくみてもらうとわかるとおもいますけど、お顔と体の部分。お顔がツルツルしてるけど、体のほうはちょっとマットな感じにみえませんか?
安達:お顔は江戸時代に作り直されたものなので、表情も江戸時代の雰囲気が出てるんですよね。
西村:奈良とか鎌倉時代の表情に近づけるということはしなかったんですね。
安達:大仏殿の中で、奈良時代から伝わるものは、大仏さまの体と台座に残るものを除けば、ほとんど江戸時代に再建されたものですね。
西村:脇の菩薩像などもそういうことですね。
安達:大仏の後ろ側に、広目天と多聞天の大きな像がありますよね。
安藤:ありました。
安達:これ、江戸時代に再建したときに、増長天と持国天も作る予定だったんですけど、残りのふたつは、お顔を作ったところで力尽きてしまったんです。
安達:実は、戦国時代に松永弾正の戦に巻き込まれて建物が焼ける前、鎌倉時代に再建された大仏殿には、運慶、快慶作の四天王像が安置されていたらしいんですよ……。
西村:あらーもったいない!
安達:ですよね、運慶、快慶の四天王像も見てみたかった……。それほど、大仏や大仏殿の再建にはお金と労力がものすごくかかった……そういうことなんですよね。
盧舎那仏は宇宙
西村:そもそも、盧舎那仏ってどういう仏さまなんでしょう?
安達:膝下のレリーフをみて欲しいんですが……。
安達:よーくみると、小さな顔がたくさん彫ってありますよね。
安藤:あります。
安達:世界の中心の須弥山の周りに大陸があって、須弥山の上には天界があって、天界には、このさくらももこの絵みたいな仏さまが無数にあって、そのさらに上には大きな仏さまがあって、そしてその上には巨大な大仏がある……。これ、要するに宇宙なわけですよ。
安藤:はー、階層を重ねて無数に仏があるわけですね。
西村:つまり、悟りを開いた仏さまは一人……という数え方がただしいかどうかはわかりませんけど、一人じゃなくて、無数にいると。ゴータマシッダールタもそんな悟りを開いた仏さまの一人ということですね。
安達:そうです。宇宙なんですよ。太陽系があって、銀河系があって、それをまとめる銀河団……みたいなことを表しているんですね。もともとこの考え方は華厳経というお経に、盧舎那仏がどんな仏さまかということが書いてあるんですね。それを表現しているんです。
西村:なるほど。
安達:それを、いちいち文字が読めない一般のひとたちに説明するのは難しい。だから仏像の姿でもってその世界を表現しているわけですね。
安達:だから、奈良時代に大仏さんができたとき、みんな「なんかよくわからないけど、すげー」ということになったわけですね。さらに、当時は金箔でキンキラで、髪の毛は青くて、ものすごかったはずですね。
安藤:え、大仏さま、髪が青かったんですか?
安達:青かったですね。
「なんかすげー」という気持ち
安達:事前に予習して見学に来るのももちろんいいですが、逆に全く知らずにくると、それはそれで、奈良時代に何も知らずに大仏さんを見に来た庶民と同じ気持ちになれるのでは? という気もしますね。
安藤:「なんかすげー」っていう気持ちですね。
安達:そうです「なんかすげー、なんか救ってくれそう」と、当時の人はそう思ったはずですね。
安藤:たしかに当時、字もわからず、貧しくて何もわからない状態でこれだけ大きな仏さまをみたら「なんかすげー」という気持ちになるのもわかる気がしますね。
安達:当時は今と同じで疫病が流行って、人がバタバタ死んでいくわけですよね。それだけでなく、災害や政情不安などさまざまな苦難が頻発してました。そこで、医者を増やすとか、災害の対策をするとか、そういう方向に行かずに、国のお金で巨大な仏像を作ろうってなるのは、今考えたらちょっと狂気の沙汰のようにも思えますよね。
西村:ちょっとどうなのとは思いますね。
安達:でも当時は疫病の原因もわからないし、災害の対策もなにをどうすればよいかわからない。できることは限られていたんですよ。そこで、神仏の力に頼ろうと、そういう気持ちになるのもわかるし、それはそれで当時の人の必死さを感じますよね。
動物・植物も含め、すべてのものが栄える平安な世を願う仏さま、をみんなの力で作ろう、そういう形で、心をひとつにして前を向こうというのが、大仏さまに込められた思い。そして後の時代も人々によって護り伝えられて今日がある。
素直な心で向き合えば、なんでもおもしろくなるのでは?
かなりざっくりとした予習ではあったけれど、事前に予習して行くと、現地で詳しい人に話を聞くときの「姿勢」がよくなるようなきがする。
大仏さんに関しては「でかいな」という感想は相変わらず出てしまうけれど、話を聞く姿勢がよいと見学の解像度が上がり、興味深い情報がたくさんあることに気づいておもしろくなってくる。
ただ、やはり何も知らずに来て見たときのファーストインプレッションの衝撃はそれはそれでよいし、大切にしたい感情でもある。
知っているようで意外と知らないものは、予習した上で来てもおもしろいし、逆に予習せずに来ても、素直な心でたのしめば、それなりにおもしろいのかもしれない。
NHKラーニングでしっかり学んでから旅にでよう!