地球はほんのちょっと感動する
散歩の写真を再び使って、地球の画像を作ってみた。
「なんてことない散歩の時間も、全てこの地球の上で起こっているのですよ」というメッセージを勝手に感じてほんの少し感動してしまった。
やっぱり自分の真顔がいい。
駅で、モザイクアートを使った広告をたまに見る。遠くから見ると人の顔だが、近寄って見ると小さなたくさんの写真からできているというものだ。
広告以外では、結婚式や卒業式で使われているイメージがある。全体では新郎新婦の写真だが、よく見ると2人の思い出の写真が集まってできている、という感じ。小さな日常の積み重ねが大きな結果に繋がっていることを表現しているのだ。感動する。
僕もやりたいなと思ったが、あれは大きな節目に作るのが相応しいのだろう。今の僕には節目などない。でもやりたい。
だから感動しないモザイクアートを作ろう。
そもそもこんな軽い思いつきでモザイクアートが作れるのか、確認しておかなければいけない。
調べるとモザイクアートを作ってくれるアプリがいくつか見つかった。今回はブーケというアプリを使ってみる。作り方は簡単だった。
なんとこれだけでいい。あとはアプリがピースの写真をうまく当てがってくれる。ピースの数や、写真の色味の相性でモザイクアートの精度が変わってきそうだ。
とりあえずやってみよう。
以前、おみやげでもらったご当地カレーの箱。おいしかったが、モザイクアートにするものではない。
ブレた写真や暗すぎた写真。
ご当地カレーとは関係のない失敗した写真。105枚探して集めた。アプリで読み込んで作ってもらったモザイクアートがこちらである。
すごい、ちゃんと「シャインカレー」と読めるぞ。
100枚じゃ少ないかな、と思ったが細かく分割して同じ写真をたくさん使ってもらう設定によってそれらしくなった。
そして肝心の感動するかどうかだが、あろうことかほんの少し感動してしまった。
「今までの写真」というのがいけない。こんなところ行ったな、この時は失敗して慌てたな、とか思い出してしまうのだ。その思い出1つ1つが組み合わさって大きなものを作っている。作っているものがご当地カレーでも愛おしいのだ。いや、むしろちょっと変なものを作っている方が愛嬌があってグッとくるかもしれない。あ、ダメだな。どんどん感動してきた。泣きそうだ。
モザイクアートの、時間の経過を圧縮する特性を甘く見ていた。昔の写真を使うのはダメだ。当日だ、当日撮った写真だけにしよう。
翌日、植物園に行ってみることにした。写真がたくさん撮れるし色のバリエーションがありそう。
撮った写真で感動しないモザイクアートを作ろう。目標はさっきの倍の200枚。ちょっとでも気になったら写真に残す。そして感動をしない。思い出してグッときそうな散歩にしない。
ノルマがあると写真を撮るハードルが下がって楽しい。感情の起伏がなくていい、というのも安心する。
ここまでで50枚ちょっと。枚数が足りないので散歩を続ける。
歩き続けて2時間半ぐらい。202枚の写真が撮れた。お、というものがあって気持ちが動いたりもしたが、散歩の範疇である。ちゃんと感動はしなかった。
この写真でやってみよう。アプリを起動してさっき撮った202枚の写真を選ぶ。
これは皆さんも同じ気持ちかと思う。全く感動しない。
全体の写真が自分の疲れた真顔、というのが効いている。モザイクアートに真顔の人はいない。そして部品の写真全部がさっきの散歩だ。サムネイルを眺めるのと同じ気持ちなのだ。
そのサムネイルが、僕の真顔になっている。なぜ真顔なんだ。こっち見るなよ、と思う。見事に感動する要素がない。成功だ!
これは良い趣味だ。たくさん写真を撮る理由ができるし、できあがる瞬間はおもしろい。感動しなくていいのでハードルが低い。
散歩の写真を再び使って、地球の画像を作ってみた。
「なんてことない散歩の時間も、全てこの地球の上で起こっているのですよ」というメッセージを勝手に感じてほんの少し感動してしまった。
やっぱり自分の真顔がいい。
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