人が変わると展開も変わるだろう
ジャンケンを5回やっただけなのにこの満腹感。クールさ基準のジャンケンを堪能できた。
思い返すと、デモンストレーションの伊藤さんの講評で空気が決まっていた。ただ派手なポーズをとればいいのではない、そこに込められたストーリーが大事だぞ、という空気である。その結果、知的でクリーンなファイトになったと思う。
人や場所、タイミングなどの要素が影響して今回はたまたまこうなったが、このジャンケンはやるごとに展開が変わるだろう。次の大会の開催が待たれる。
ジャンケンについて「どうだろう、もうそろそろ飽きてる頃ではないだろうか」と切り出した記事が当サイトにある。(こちら『クールさ基準でジャンケン対決』)
飽きてきたからどうするのかというと、ポージングのクールさで競うのだ。
何かすごいことを言いそうな出だしと、想像を遥か下を行くピュアな着地のギャップがたまらなく良い。楽しそうなのでやってみたが、これは参加者同士が作るムードが勝敗を左右する、高度なゲームであることが分かった。
この記事はデイリーポータルZ開設17周年企画「名作カバーまつり」のうちの1本です。カバー元「クールさ基準でジャンケン対決」(小野法師丸)
ポージングのクールさで競う、と言われてもオリジナルの記事を読んでいない方には酷な説明だろう。デモンストレーションの試合を紹介します。
左が筆者、右がライターの江ノ島さんである。
これがクールさ基準のジャンケンである。それぞれがグー、チョキ、パーのどれかの手を、全身を使ってクールに表現している。そして出した手に関係なく、クールな方が勝ちである。
「出した手、関係ないのか!」と僕も最初は思った。しかしやっていくうちに全く気にならなくなる。慣れは怖い。
このジャンケンには、己のポーズを解説する時間が設けられる。
審判の伊藤さんに「なんでかかとを上げてるんですか?」と聞かれて「体の隅々まで力を込めて全身がパーであることを表現しています」と答えた。質疑応答もあるのか。苦手だった就活での面接を思い出した。このポーズで。
「確かに」と思った。
1本筋の通ったクールさがある。ハサミを渡す時に刃を持って、相手に柄の方を向けるさりげない優しさ。あれを戦いの場で披露されたら器の大きな人間だな、と思わざるを得ない。つまりクールだ。
こういうゲームか、と現場にいた僕たちは思った。
伊藤さんのこの講評で、ただかっこいいポーズをするゲームじゃないんだな、というムードが場を支配したのだ。いかに周りを納得させるようなストーリーをポーズの中に含ませ、それを見た目のかっこよさと両立させるか。これが勝負の鍵になってくるのだ。
なんとなく雰囲気が暖まったのでその場にいる4人でトーナメントをすることにした。
能登さんはひざかけちゃーはんというサイトを運営している江ノ島さんの友達である。友達の友達から、クールなポーズでジャンケンをしてほしい、と頼まれる気持ちはどんなものだっただろうか。
ジャンケン、
「どうした、二人ともお腹痛いのか」と思ったが、別の角度から見たらちゃんとクールだった。
交差している手と足がチョキを表していて、それぞれ上と下に向けた指が、赤ちゃんからお年寄りまで、この世界の全ての人々を表している。全ての人々の思いがこもった「チョキ」だ。ポーズもダンスの人みたいでかっこいい。クールだ。
タイトルがある。『考えるグー』だ。ジャンケンとは出す手を読み合い悩むゲーム。その読み合いで悩むこと、そのものを表現したグーだ。「悩む過程と判断の結果が同時に存在している手です」とも言っていた。
時間を歪めて、ジャンケンの醍醐味を丸ごと自分の中に取り込んだのだ。クール…。
タイトルが良かったのと、ポーズに入るまでの動作が回転していてかっこよかった、すなわちクールだったので能登さんの勝ち。
こんな感じであと3試合ある。冷静になる前にどんどんいこう。
ジャンケン、
大岩二つと肩を組んでいる様子だ。それはまあいいとして伊藤さんのポーズが地味だ。
審判の能登さん:これはなんですか?
伊藤さん:これはね「ジャンケン」です。
能登:え?
伊藤:「ジャンケンホイ」という言葉の由来は諸説ありますが、そのうちの一つに仏教用語の「料簡法意(りょうけんほうい)」というものがあります。
「料簡」とは「考え」や「思案」という意味で「法意」は仏法のこころ、仏様の教えといったような意味。つまり料簡法意とは仏様の導きによりよく考えてみること。仏様の教えを尊重し、間違いのない決断をする事、という意味です。(参照:http://www.imacoco.net/sairakuji/enwa/jkp/)
つまり、私は今グー・チョキ・パーといった概念を超越した「ジャンケン」そのものを空間に描き出したのです。
「ズルい…!」と思った。しかし同時に「負けたな」と思ったのは完全にこちらの発想の外側から攻撃がきたからである。
そうなのだ。それをこんなにもクールに語れたことがクール。「岩二つと肩を組んでいます」と言った自分が恥ずかしい。なんだ、「岩二つと肩を組んでいます」って。
決勝の前に3位決定戦をしよう。デモンストレーションと同じく江ノ島さんと筆者である。
ジャンケン、
それはパーを出されている人であってパーではないんじゃないか、と思ったが、本人がパーで本人がクールと言えばそれでいいのがこのジャンケンだ。
筆者:江ノ島さんの後ろに木がありますよね。僕もこの木の一部になったんです。
筆者:この木と僕は地中でつながっていて江ノ島さんを挟んでいるんですね。だからチョキです。僕がこの手を出した瞬間、つまり木になった瞬間、僕の攻撃はもう終わっているんです。
理由は、ジャージが似合っていたから。クールって難しいな。
いよいよ最後の戦いである。
ジャンケン、
能登:グーとパーに対して、チョキの形は複雑過ぎます。このことから、まずグーとパーが先にあり、あとからチョキが付け足されたことは明白です。これは、ジャンケンを成立するために生まれた太古のチョキなのです。
伊藤:世界じゃんけん大会を主催するWRPS(World Rock Paper Sissors)Societymが公認するPaper、即ちパーなのです。日本のパーと異なり、指を閉じてより紙感を強調するこのパーはWRPSの公式サイト(http://www.worldrps.com 休業中)でもグラフィックで表現されています。静かなフォルムの中にじゃんけん界のニュースタンダードたる「権威」を取り込んだ最高にクールなパーなのです。
さすが決勝戦。二人ともすごいごちゃごちゃ言う。
「審判やった人、皆こんな気持ちなんですか?」と言って困っていた。クールさが拮抗している模様である。
どちらもジャンケンの起源に迫るクールを見せたが、そうなるとやはり下調べをしていた伊藤さんに分があった。
今回最もクールだったのは伊藤さんである。伊藤さんがジャンケンに2回勝った。
そしてそう、これがこの記事の結論である。伊藤さんがジャンケンに2回勝った。
ジャンケンを5回やっただけなのにこの満腹感。クールさ基準のジャンケンを堪能できた。
思い返すと、デモンストレーションの伊藤さんの講評で空気が決まっていた。ただ派手なポーズをとればいいのではない、そこに込められたストーリーが大事だぞ、という空気である。その結果、知的でクリーンなファイトになったと思う。
人や場所、タイミングなどの要素が影響して今回はたまたまこうなったが、このジャンケンはやるごとに展開が変わるだろう。次の大会の開催が待たれる。
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