日本のオオサンショウウオは食べられない
日本にオオサンショウウオを食べる習慣があったということはずいぶん前から知っていたが、具体的な記述に接したのは北大路魯山人の随筆が最初だったと思う。青空文庫で読めるので、ぜひ目を通してみてほしい。
その中で魯山人はオオサンショウウオを「すっきりした上品な味」だの「ゼラチン質の分厚な皮がとびきり美味い」だの、手放しで褒めちぎっている。初めて読んだとき、そんなに美味しいならぜひとも食べてみたいと私は思った。しかし、それは叶わぬ願いなのである。オオサンショウウオは日本の天然記念物に指定されていて、食べることはおろか、川を泳いでいる個体を見つけても手に取って観察することすら法律で禁じられているのだ。
後になってオオサンショウウオについての知識が増えてくるにつれて、魯山人の記述には怪しいところがあることがわかってきた。調理のために腹を割いたら山椒の香りが家中に広がったと書いているのだが、研究のためにオオサンショウウオを解剖したことのある人に話を聞いても「いや、そんな香りはしませんでしたよ」という答えが返ってきたからである。実際のところどうなのだろうか?
確かめてみたいが、前述の事情があるので捕まえてみて匂いを嗅ぐことすらできない。
中国語でオオサンショウウオは「娃娃鱼」
ところでオオサンショウウオの生息地は日本だけではない。
代表的なのが、チュウゴクオオサンショウウオの生息する中国だ。チュウゴクオオサンショウウオは大昔に食材として日本にも持ち込まれたものが逃げ出して野生化し、在来のオオサンショウウオと交雑して近年問題になっている。
中国語ではオオサンショウウオのことを「娃娃鱼(wáwáyú / ワーワーユィ)」という。捕まえると娃娃(赤ん坊)のような声で鳴くからこのように呼ばれるようになったらしい。
その話を聞いて不気味に感じるとともに、私は感動した。まず前提として、捕まったオオサンショウウオが赤ん坊みたいな声を出して鳴くことはない。これもオオサンショウウオの研究者に聞いた話だが、声を出すとしても小さくグエッと鳴く程度のようである。つまり娃娃鱼というネーミングは完全に風評と俗説に基づいている。そして日本ではオオサンショウウオはまたの名をハンザキとも呼ばれるが、これは「半分に割いても死なない」くらい生命力が強いという俗信による命名である。
お判りいただけただろうか?この生き物は、山椒の香りなどしないのにオオサンショウウオと呼ばれ、切られれば普通に死ぬのにハンザキと呼ばれ、さらに赤ん坊の声で鳴かないのに娃娃鱼と呼ばれているのだ。
ヨーロッパでは、オオサンショウウオの化石が聖書に出てくる大洪水で死んだ子供の化石だと誤認され、一時期はHomo diluvii testis (ラテン語、「大洪水の目撃者」という意味)という学名がつけられていたという噴飯もののエピソードまで残されている。
と、ここまで書いて私は感嘆の息を漏らす。オオサンショウウオとは、なんと魅力的な生き物なのだろう。ここまで誤解されまくっている生き物など、ほかにいるだろうか?いったいなにが、我々人間のインスピレーションをここまで刺激するのだろう?
前置きが長くなったが、そんな話をヘビの研究をしている友人のフクダ君としていたら、とんとん拍子で話が進んで一緒に中国・成都までオオサンショウウオを食べに行くことになった。
中国でも野生のオオサンショウウオは絶滅危惧種として厳重に保護されているのだが、完全養殖で三世代が経過したものに限っては食材として扱ってもいいことになっている。現地でもかなりの珍味という扱いではあるが、しかるべきところに行けば食べることは可能だというのだ。現にフクダ君は研究の都合で成都に住んでいたときに、現地のレストランでオオサンショウウオの料理を食べたことがあるという。
経験者という心強い味方を得て、オオサンショウウオを食べるという長年の夢が前に進み始めたのだった。
成都へ
成都には私とフクダ君、そして中国はモンゴルの隣国だからということで声をかけたライターのまこまこまこっちゃんの3人でいくことになった。
私は二人から半日ほど遅れて到着することになっていた。合流してから夕飯を、と思っていたのだが、なんと乗り換えの杭州空港で飛行機の出発が遅れに遅れ、結局宿で合流したときには夜中の11時半をまわっていた。
最初の食事だから成都っぽいものを、という厚意で用意してくれていたウサギの頭の煮物を齧りながら、翌日以降の動きについて協議する。
スパイスが沁みた肉が旨い。ただ、骨の周りに薄く肉がついているだけだから可食部は少ない。ぜんぜん腹が膨らまないので、辛いカップ麺を食べてビールを飲んだ。美味しかった。深夜に到着した旅先で、明日からの予定をわちゃわちゃと話し合いながら食べる雑な食事、不味いはずがないのだ。
翌日は(といってもこの時点で午前0時を過ぎていたから「今日」の予定なのだが)、午前中にペットショップが集まったエリアに行ってみることにした。
ペットショップストリートはありとあらゆる種類の動物が集まってくる市場だ。かつてその中にオオサンショウウオが売られているのを見たという話を、日本出発前にフクダ君から伝え聞かされていた。
レストランでオオサンショウウオを食べる場合、出てくる料理は当然のことながら中国風に味付けがされているはずだ。それももちろん楽しみなのだが、私には北大路魯山人の随筆に出てくるような和風の味付けも試してみたいという願望もある。
そこで、まずは生きたオオサンショウウオを探してみることにしたのである。しかも、もし発見して購入することができれば、生きたオオサンショウウオを手に持って観察することもできるではないか。
期待を膨らませながら、成都初日の夜は更けていった。
残念!?ペットショップストリートでは見つからず
大阪の千日前には道具屋筋といって、調理に関係する道具を扱う店が軒を連ねる道がある。ここは、それのペットショップ版であると思っていただければいいだろう。道の両側、100m以上にわたって、鳥、魚、爬虫類、両生類、哺乳類などさまざまな動物を扱う店がひしめいている。路地を入ったところには観葉植物を扱う店が並ぶエリアがあり、さらに横の雑居ビルにもペットショップがたくさん入居しているというから驚きだ。
水槽を設置している店を一つずつ見ていく。青い水槽の中、ネオンの光の下で極彩色の魚たちがひしめくようにして泳いでいる光景は、なんとなくサイバーパンクチックだ。
いろいろな動物が見られて楽しいのだが、オオサンショウウオはいっこうに見つかる気配がない。水槽の底に大きくて黒っぽい塊が横たわっているのを見つけて、急いで近づいてみても、チョウザメやナマズだったということが何度もあった。
2000万人都市成都のペット需要を支えるだけあって、どこの店も生き物がひしめいている。店の質もピンからキリまであるようで、中には「もしここでオオサンショウウオを見つけても、買って食べるのはちょっと......」と思わざるを得ない飼育環境の店もいくつかあった。
あとでまこっちゃんがこぼしたところでは、彼はこの時「もし本当にオオサンショウウオが見つかってしまったらどうしようかと怯えながら歩いていた」という。
ただ、幸か不幸か、探せども探せどもオオサンショウウオはいなかった。
「ここで見つかったものを食べるのはちょっと......」などと言った舌の根も乾かぬうちに言うのもなんなのだが、オオサンショウウオが売られていないという事実は私をひどく落胆させた。なんと言おうが、はるばる成都くんだりまでやって来たのは、オオサンショウウオを食べたい、可能なら食べる前に愛でたいという一心に動かされてのことである。
ペットショップストリートでオオサンショウウオが売られていたのは5年以上前である。それ以降、コロナ禍があり、そしてかつては単独の種と考えられていたチュウゴクオオサンショウウオが遺伝学的研究の進展によって複数の種に分けられるという発見もあった。そうした諸々の結果、取り扱いが厳格化されて安易にペットショップでは売れなくなったのではないか、というのがフクダ君の見立てだった。
もちろん単にタイミングが悪かっただけの可能性もある。

