後味を噛みしめる
食べ終わった後、夜の便で帰国するフクダ君を大急ぎで見送ってから、帰りに茶館でお茶を飲んだ。私がしきりに「帰ったら友達に自慢しよう」「これで1800元は安い」(ちなみに、支払いはビールやエビもすべて含めて1800元だった。理由はわからないがかなりサービスしてくれたのだと思う)などと言うけれど、聞かされているまこっちゃんは「羨ましがる......んでしょうか?」とピンときていないようだった。感覚の差みたいなものが可視化されて、おもしろかった。
チンさんにお礼の電話をかけた。そして、「高い方の店を予約してください」と頼んだ。チンさんの反応は「え、マジで?」という感じだったが、「役に立ててうれしい」というようなことを言ってくれた。
やってきたのは、虾佬圣汤(首座店)というお店。成都は内陸にある都市なのだが、ここは新鮮な海産物が食べられることが売りのようだ。
フクダ君がこの日の夜の便で帰国しないといけなかったから、16時という半端な時間に席を予約した。これはこれでよかった。他のお客はまだ誰も来ていなくて、店内はとても静かだったからだ。
主菜は決まっているから、スープの種類や副菜を選ぶ。娃娃鱼に合うのはどんなスープなのだろう?
「どれがおすすめですか?」と聞くと、「キノコのスープが一番です」と教えてくれた。辛くない方が娃娃鱼の味がわかりやすいだろうと思っていたから、迷わずそれにした。他に、野菜とエビを注文した。
広大なパンダ繁殖研究基地を歩き回った後だったから、突き出しとビールが沁みる。すでに極楽に半分足を踏み入れた気分で待っていると、店の奥から男性の店員がカートをガラガラと押しながらやってきた。
歓声が漏れた。ついに、ついに娃娃鱼にたどり着いた!
大きくて、ぬるぬるで、魚みたいで、でも手足が生えていて......。ああ、ダメだ。普段使わない脳の領域がかき乱されている感じがする。
手で持つと娃娃鱼はなおさら激しく暴れる。そのたびにムチムチとした筋肉が動く感触が指に伝わってきた。とても力が強い。本気で暴れられたら、手に負えないにちがいない。
触った手を嗅いでみたけれど、山椒の香りはしなかった。代わりに生臭いような、池や川の水の匂いを濃縮したような香りがした。
鍋の出汁は、鶏肉、マツタケ、アミガサタケ、ヤマブシタケ、そしてそれ以外にも名前を知らないいろいろなキノコでとっているようだった。
まだ何も具を入れていないのに、夢中で飲んでしまいそうなくらい美味い。濃厚で、それでいて香り高くて、澄んでいて、なんて複雑で奥深い味なんだろう。あえて言うなら一口飲んだだけで寿命が10年くらい伸びそうな味だ。
最初に出されたエビは、出汁の良い香りがしみこんでいてとても美味しかった。そして、凄いと思ったのは、具材を鍋に入れるところからエビの殻を剥くところまで全てスタッフがやってくれたことだ。客である我々がすべきなのは、お膳立てされた食べ物を箸で口まで運ぶことだけ。他に何もしなくていい。とにかく、味わうことだけに集中できる、しないといけない環境が整備されている。
至れり尽くせりでまるで天国ではないか、などと我々が感心している間に、先ほどのオオサンショウウオが本物の天国に送られて切り身になって出てきた。胸に迫るものがあった。気づかないうちに、自分の中ではオオサンショウウオが、ハムスター以上、猫未満くらいの立ち位置になっていたんだなと感じた。
オオサンショウウオは栄養である脂を尻尾に蓄える。つまり黄色っぽい脂身の多い部分は尻尾であるということだ。こちらも匂いを嗅いでみたけれど、やっぱり山椒の香りはしなかった。「サンショウウオ」は風評からきたネーミングだということがはっきりとわかった。
エビの時と比べて、娃娃鱼は煮る時間が長い。あんまり長いから
「ひょっとしてこっちは自分で引き上げて食べるんでしょうか」
「『この人たち、なんで食べないんだろう』って思われてたりしてね」
などと、ひそひそと話し合っていたところ、15分以上たったところでようやく鍋から取り出して盛りつけてくれた。
そういえば、魯山人も「オオサンショウウオの肉は長時間煮ないと柔らかくならないから時間に余裕をもって調理すべき」みたいなことを書いていたっけ。
ドキドキしながらその様子を見守る我々。三人とも、なにかにつけて写真を撮りまくるから、係の人はやりにくかっただろうと思う。
これを食べるために成都まで来たのだ。他の楽しみもたくさんあるけれど、やっぱり今回の目的はこれなのだ。そう思うと箸を持つ手が少し震えた。
読者は味のレポートを期待していると思う。ただ、正直に言うと一口目は肝心の味は半分も感じ取れていなかった。
ある体験の後ろには、そこに至るまでのストーリーが無限に控えていて、体験のドアが開くことでそれらが我先に飛び出てくるのだ。美味しいとか嬉しいとか感動したとかそういう次元の話ではなくて、喜怒哀楽をミキサーにかけた感情の塊が腹の底から湧き上がって来て、具体的な感覚を押し流してしまう。
最初の衝撃が収まると、味わう余裕が出てきた。
娃娃鱼は、例えるなら、フグとすっぽんと豚肉を合わせたような味がした。白身の部分はぷりぷりとした食感で、淡白で、フグ要素が多く、黄色い脂ののった部位ほど、豚肉の要素が増した。たしかに、これはキノコ出汁の優しい味でこそ映える繊細できめの細かい味だ。
外見のせいで「食料の乏しい山間部で、他に食べるものがないからしかたなく食べる貴重なタンパク源」と思われがちだが、とんでもない。実食した今だからこそ、オオサンショウウオはご馳走なのだと胸を張って言える。
いっぽう、オオサンショウウオを単なる高級珍味としてとらえているまこっちゃんは、私よりもずっとフラットな目線でその味を楽しんでいたようだ。
我々二人を横から見ていたフクダくんは、まるで感情の交互浴をしているようだと言っていた。
いずれにせよ、美味しいと感じてくれたのならよかった。
食べ終わった後、夜の便で帰国するフクダ君を大急ぎで見送ってから、帰りに茶館でお茶を飲んだ。私がしきりに「帰ったら友達に自慢しよう」「これで1800元は安い」(ちなみに、支払いはビールやエビもすべて含めて1800元だった。理由はわからないがかなりサービスしてくれたのだと思う)などと言うけれど、聞かされているまこっちゃんは「羨ましがる......んでしょうか?」とピンときていないようだった。感覚の差みたいなものが可視化されて、おもしろかった。
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