特集 2024年10月18日

橋のアスファルトの下に残っていた、都電のレールと敷石が出てきた

東京にかつて走っていた路面電車の都電。今から60年ほど前の昭和40年代に、自動車交通の妨げになるとしてガンガン廃止されてしまい、今は荒川線のみを残して消えてしまった。

先日、工事中の橋のアスファルトを引っ剥がしたところ、約60年前に廃止された都電のレールと敷石の遺構がそのまま出土(出アスファルト?)したという。

今回、その遺構の見学会が行われたので行ってみた。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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白鳥橋でレールと敷石が出土したぞ!

都電の敷石とレールが出土した橋は、文京区と新宿区のちょうど境目にある神田川にかかる白鳥橋だ。しかし、この白鳥橋は現在工事中のため立ち入ることができない。

場所としてはこちらだ。

上空から見るとこんな感じ。

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白鳥橋、上空からみるとこんな感じ ©Google 

「大曲(おおまがり)」といわれる交差点の横にかかる橋で、神田川の拡幅工事のために取り壊され、後に新しい橋に架替えをする予定だという。

東京都の資料によると、洪水になったときに水を流すのに必要な高さが足りないため、付け替えて新しい橋を作る必要があるらしい。

その工事を始めるさいに、橋のアスファルトを引っ剥がしたところ、56年前までこの橋の上を走っていた路面電車のレールと敷石がでてきたのだという。

これだけ大規模な都電の遺構がごそっと出てくるのはちょっとなかなかない。取り壊しのまえに、東京都によって見学会が催されることになった。

見学会は2024年10月15日と16日に行われ、ぼくは15日の会に参加した。

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都電遺構公開会場

会場には50人〜100人ほどの人が詰めかけており、大盛況だ。

まずは、白鳥橋の上に保存されていた都電の敷石とレールをみてほしい。

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じゃーん、こちらです
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これは……すごい!

上りと下りの計4本のレール、そして敷石。かなり保存状態がよい。56年前の遺構とは思えない。つい数年前まで走ってましたと言われてもわからない。

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都電の敷石……

都電の敷石には、主に茨城県産の稲田石という花崗岩が使われたということを、以前、国会議事堂を一緒に見学してくれた西本先生に教わったことがあるけれど、これもおそらくそうではないか?

水をかけてゴシゴシ洗いたい衝動に駆られるが、そういうわけにはいかないので、せめてと指で表面の土をゴシゴシ払ってみる。黒いツブツブが適度に入った白くてきれいな稲田石がちょっとだけ見えたような気がする。

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ライターの三土さんも一緒に見学会に参加しています
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見学会はかなりの人が……
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レールの継ぎ目の部分もよくわかる
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歩道と車道部分の境目

歩道と車道部分の境目をみてみたところ、側溝の上に黒い筋が入っているように見えた。これはおそらく、アスファルトでこの位置まで舗装されていたということだろう。

そう考えると、表面から10センチ〜20センチぐらいの部分に敷石とレールが埋まっていたと思われる。 

白鳥橋の上のアスファルトも、何度か敷き直ししたとおもわれるけれど、都電の遺構は今回出土するまで56年余り、ずーっと橋のアスファルトの中に保存されていたことになる。

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一応、測ってみる

見学に来た人は、それなりのマニアの人が多いようで、メジャーを取り出して線路幅をしきりに測る人などもいた。

一応、ぼくもメジャーは常に持ち歩いているので、よくわからないけれど、線路の幅を測ってみることにした。

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よくわからないなりに、いちおう線路幅を測るおれ

いわゆる、鉄道の軌間というやつだ。ただし、レールのどこからどこまでを測ればいいのかがわからない。

レールの内側から内側までを測ってみたところ、125センチメートルあった。1250ミリである。
しかし、これは測り方が間違っていて、正しい測り方は、レールの真ん中から真ん中までを測るのが正しい。
今、調べたところ、都電荒川線の軌間は1372ミリらしいので、おそらくこれこれが正解と思われる。

知識はまったく無く、ただ路面電車が好きだというパッションのみでここにいる。

なお、1372ミリという軌間は、いわゆる日本の鉄道で使われる狭軌1067ミリよりも広く、海外の鉄道で一般的な標準軌1435ミリよりも狭い、ちょっと特殊なサイズらしく、馬車鉄道などで使われた軌間らしい。

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レールに詳しいおじさんに話をきく 

そうこうするうちに、三土さんが端っこで、レールの断面が見られるらしいぞという噂をききつけたので、見に行ってみた。

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レールの断面こちらです

たしかに、断面が見える。レールが、ちょっと変な形になっているのが気になった。

普通、鉄道のレールは漢字の「工」みたいな形になっているイメージがあるけれど、このレールは上に溝がついている。卍の上部分だけが工の下と合体したような形……。このレールは一体なんだろう。

すると、すぐ横でしきりに資料を調べているおじさんがいる。レールについてなんらかの資料をみている。

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レールにくわしいおじさんがいた

話をきいてみると、このおじさんはかつて都電で仕事をしていたことがあるらしく、手持ちの資料を確認してレールの種類を特定しようとしていた。

偶然、専門家がいるのがすごいが、せっかくなのでこのレールがどんなレールなのか話をきいてみた。

おじさんによると、溝がついているこのレールは脱線防止用のレールということらしい。

電車の車輪はカーブするとき、遠心力で車輪がレールを乗り上げて外れてしまい、脱線をするときがある。(日比谷線の脱線事故など)それを防止するために、カーブなどの脱線しやすいところには、レールの内側に脱線防止用のガード(護輪軌条)がつけられる。

ここで使われているのは溝付きレールと呼ばれるレールで、溝が脱線防止用のガードの代わりになっており、急なカーブが多い路面電車でよく使われる。

レールは、いつどこで作られたものか、刻印がしてあることがあるけれど、このレールに関しては、そういった刻印のしてあるところが見えなくなっているため、東京都でも詳しいことはわからないという。

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橋の設計図

橋の設計図などは残っているものの、レールなどを管理する台帳のような資料は残っていないらしい。

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都電39系統の停留所

会場には、諸河久氏が撮影した当時の写真が何枚か掲示されていた。

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当時の写真
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橋の上をわたる路面電車

電車は「39」というプレートをつけていることがわかる。これは、都電39系統の電車が走っていたことを表している。

都電39系統は、早稲田の都電車庫(現在は都バスの営業所)から、江戸川橋を経て、この大曲の白鳥橋を渡り、安藤坂を登って伝通院前で右折し、春日、本郷三丁目、湯島、御徒町、元浅草から蔵前、厩橋までを走っていた路線だ。

いま、地名をずらずら言ったけれど、土地勘がないとちんぷんかんぷんだと思うので、マップに地名と路線を落とし込んでみた。 


大曲の白鳥橋は、早稲田を出発し神田川を左に川沿いを走っていた電車が、川をわたって坂を登り台地の上にでるという、39系統にとってのエポックメイキングな場所である。

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かつて都電の車庫があった、都バス早稲田営業所

地元の人の話によると、やはり電車にこの坂(安藤坂)はきつかったらしく、よくレールに砂をまいたり、停まってしまった電車を乗客みんなで押して走らしたこともあったという。 

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安藤坂、突き当りの茶色い建物は現在マンションとなっているが、かつてはここに保健所があり、さらにその前は区役所があった
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終点の厩橋付近

現在、都電39系統の路線は、上69系統と、都02系統でたどることはできる。

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上69系統。今年のはじめに東京都を東西に横断したときのもの

今年のはじめに、東京都をバスだけで横断したことがあったけれど、はからずもそのときに上69、都02、両方に乗っていた。

⏩ 都電の遺構が残っている橋は他にもあるのではないか?

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