新しくて、強力なフックで攻める喫茶店
戦いのゴングは鳴ったばかり。徳治さんはお客さんをより多く獲得するためさまざまな仕掛けを用意した。
近藤社長「カラーテレビが日本で初めて発売されたばかりのとき(1960年頃)、まだ各家庭になかった時代ですね。それを店頭に出して客寄せをしていました。それもあり、ものすごく多くの方々が集まってました」
――「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、喫茶店だよ!」と。まっすぐさがすごいですね。
近藤社長「そういえば、こんな新聞記事もありました。『デコレーションも宇宙時代』なんて、すごい見出しでしょう?これは、クリスマス商戦のために、初代が職人たちと一緒に作り上げたデコレーションケーキです。これを店頭に飾っていたんです」
――昔のテレビチャンピオンを見たときの興奮を思い出しますね。昭和46年かぁ。今でこそいるかもしれませんが、当時はこんなエンタメな大作をつくる人、他にいたんでしょうか。
近藤社長「佐世保ではいなかったと思いますよ。人と違うことをやるのが好きだったんです」
――記事には材料費だけで約10万円だったと書かれていますね。手間もコストも、楽しくてすがすがしい!
日本銀行さんのサイトを参考にすると、ざっくり今の4倍である。
もの静かな印象だった白十字パーラーだったが、昔は気持ちが良いほど攻めまくっていたんだな。
近藤社長の父である二代目も、バレンタイン流行時には店頭で、ハート形のチョコケーキにその場でメッセージを手書きするというデモンストレーション販売を行っていたそうだ。
う~ん、やっぱり攻めている。
「南蛮渡りの銘菓 ぽると」の誕生
喫茶店経営も軌道に乗ってきた1955年に、開発を続けてきたオリジナル菓子「ぽると」が誕生した。
洋菓子のビスケットと、和菓子のようかんを組み合わせた和洋折衷のお菓子で、柚子風味の餡とふわふわビスケットの独特な食感と甘さが特徴だ。
――なるほど!「ぽると総本舗」のお名前はここからスタートしたんですね。株式会社白十字パーラーの、ぽると総本舗。お菓子の販売部門ということですね。
近藤社長「はい。喫茶店の経営とお菓子の製造販売もやるなかで、佐世保名物も作ろうと。生地や餡には、県産の柑橘(当初はざぼん、現在は柚子)や卵を使っています。全て工場で、1つ1つ手作業で作っているんですよ」
「ぽると」の名は、ポルトガルにある世界遺産の港町・Portoをイメージ。古くから長崎と貿易で交流があった国だ。
――ギフトボックスのパッケージデザインも雰囲気たっぷりですよね。
近藤社長「そうですね。ポルトガルの教会や修道院、家屋の装飾に使われるタイル『AZULEJO(アズレージョ)』の模様です」
――内装にも散りばめられていますね。
看板商品「ぽると」は、本店での販売を皮切りに異国情緒あふれる長崎の定番土産としてどんどん知名度を上げていった。
取り扱い店舗は自店のほか、空港や駅など観光客に向けて販売の場が増えていった。
現在は英三さんのアイディアでいちごや抹茶、りんごフレーバーも誕生。より手軽に食べられるミニサイズもある。
近藤社長「ちょっとした裏技ですが、レンジで10秒ほど温めて召し上がると、ようかんが少しとろっとしてまた違った食感が愉しめますよ」とのことだ。
疲れたときなどには、特にこの甘さががつんと効いておいしい。ブラックコーヒーや抹茶が、わたしは最高のペアリングだと思っている。ぜひ一緒に味わってみてほしい。
1階の販売フロアは、ぽるとを主軸にこれからもお店を支えていく。