7色に光るオブジェを乗せた支店もオープン
当時はまだ珍しかった喫茶店と看板商品が大当たりし、白十字パーラーはお店の規模をどんどん拡大していった。
本島本店は四階建てに増改築。軽食を提供するレストランも2階と3階に設け、熱帯魚の水槽や植物に彩られた空間に魅せられてさらに多くの客が訪れた。
「二階の奥の席に座れば先生に見つからない」と、高校生カップルに密かな人気だったという。
さらにはお祝い事やパーティー、プロポーズといった、人生の節目を飾る舞台にもなった。
さらに、国道沿い(現・京町支店)と戸尾町にも支店をオープンした。
――じゃんぼ餃子でおなじみの、天津包子舘さんとなりのビルですね!現在も営業されています。そして、戸尾町にもあった支店のオブジェがこれまた素敵です。宇宙船のよう。
近藤社長「これ、夜になると7色にキラキラ点滅するんです。老朽化で30年前に撤去したんですけど。ご年配のお客様が、これがなくなったのが本当に名残惜しいとおっしゃっていて。帰省や、旅行から戻られたときに見ると『佐世保に帰ってきたな~』と思ってらっしゃったらしいんですね。ちなみに、このオブジェは2箇所あったんです」
――え、京町支店には無さそうでしたけど、どこでしょうか。
近藤社長「上町という場所に工場があったとき(現在は柚木町に移転)、すぐ横に初代夫妻の自宅がありまして。ほぼ自宅の屋上なんです」
――「『今日も綺麗かよね~ぽるとさんトコ』って、地元の方は愛着を持って呼んでたんでしょうね、きっと」
佐世保の風景そして名物の1つとして定着した白十字パーラー、ぽると総本舗。その礎を築いた初代・徳治さんは、69歳で生涯を終えた。
65歳で英三さんの父親に二代目を譲り、自宅で盆栽の手入れや愛犬とふれあうなどして余生を過ごしたらしい。
それは、当時まだ幼かった英三さんの目から見ても、とても穏やかな姿だったという。