■取材協力:巌流本舗
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通販可能!でもきっと行きたくなると思いますが
女と書いて「ひと」と読む、そんなお菓子をめぐる旅。山口県下関は長州の女(ひと)に会いに行った。剣豪も、文豪も、思いを寄せる女(ひと)であった。
夜行バスははじめてではなかったが、それにしても12時間もバスに乗っていられるものだろうか。21時にバスに乗り込み新宿を出た。
やたらと気がたかぶり、わくわくもそもそしたが早々と車内は消灯され、ただ眠るしかなかった。数回の休憩を経て翌朝9時、わりとあっさり新山口駅に到着し、そこから在来線に揺られて1時間ほどで下関に着いた。
本州最西端に位置する下関は、関門海峡、周防灘、響灘と三方を海に囲まれ、九州だけでなく大陸との交流の窓口となり、平家は滅ぼされるわ芳一は耳をもがれるわ武蔵はめっちゃ遅刻するわ高杉晋作は井戸に隠れるわと歴史的にもいろいろ重要なポイントになっている港町である。
15年前にも訪れたが当時は滞在時間のほとんどを巌流島で使ってしまった。
15年の時を経て向かった先もまた巌流である。
下関市街から海沿いに北へ車を走らせて30分ほど、関門海峡を望む臨海工業団地の一角に老舗の菓子店「巌流本舗」が本社工場を構えている。
1921年創業、昭和25年に発売された白餡のどら焼き、「巌流焼」は下関を代表する銘菓となっている。
巌流島は正式名称を「船島」という。「巌流」とは武蔵と戦った佐々木小次郎の起こした剣術の流派であり、敗れた小次郎を想った地元の人に巌流島と呼ばれるようになったという。どら焼きにも表されているように、地元は小次郎びいきなのだ。
「おそいぞ」とディスられているが、そういえば武蔵ってどれぐらい遅れたのだろうとざっと調べたら約2時間も遅れていたらしい。連絡もなしにそれはないでしょう。私が立ち会っていたなら問答無用で小次郎の不戦勝としていただろう。小次郎も帰ればよかったのに。
私が会いに来たあの女(ひと)は長州の女(ひと)である。
「この話を聞くために東京からここまで来たの?」
創業3代目社長で現会長の、水津勉(すいづ つとむ)さんが長州の女(ひと)を語ってくれた。
「長州の女(ひと)が発売されたのは1978年(昭和53年)、北島三郎の『函館の女』がヒットしていろんな『女』シリーズが出たでしょう。発想はそこから」
―― おお、ここでもさぶちゃん!
前回取材した北海道「士別の女(ひと)」も北島三郎の国民的ヒットソング「函館の女」からインスパイアされたものだった。北海道から遠く離れた下関の地でも女(ひと)を生み出していたのだ。
「加賀の女とか、いろいろ出てきて、これはこっちのほうの『女』も出るんじゃないかと思ったわけですよ。出なかったけれども(笑)」
――「長州」だと地名は少し古いと思ったんですが。
「下関の女(ひと)という案もありました。ただ、それだとやっぱり地域的には限定されるでしょ、もっと広い範囲にしようと。それに私は歴史が好きだから、長州という名で広まれば面白いかと思って」
―― 県外の人にも通りがいいですよね。
「それで、宣伝はどうしようかと考えて、下関出身で作家の古川薫さんにちょっとしたコラムみたいなものを書いてもらえないだろうかとお願いしたんです」
―― おお、長州の女(ひと)に関してですか?
古川薫は下関で生まれ、生涯山口県を拠点に長州人の生きざまを骨太な筆致で描いた小説を執筆し続けた。1991年、オペラ歌手藤原義江をモデルにした『漂泊者のアリア』で104回直木賞を受賞している。
「手書きの原稿を広告だけじゃなくて、お菓子を買うとついてくるしおりがあるでしょ、あれにも使わせてもらった。普通お菓子のしおりは厳選の材料を使用してうんじゃらこんじゃらでってなるけど、そうじゃなくてもっと世界観みたいなものを伝えようと」
――こうやって語られることによって長州の女(ひと)というお菓子が立体的になるというか、生命を吹き込まれたような気がします。
「まあ、まだ中身が完成していなかったというのもあるんだけど(笑)」
――わはは、発売前に打診しないと間に合わないですもんね。ただその中身は洋風のホイルケーキに餡が入っていて、まさに異なる要素が入り混じる感じになっていますけど、どういう風にしてこのようになったんですか?
「あの長細い形のホイル焼きは当時、新日本機械工業、今はマスダックという名になっているけど、そこから出た新しい機械を導入したんですよ。基本的なレシピに菓子店が独自の味を加えて商品化し始めた頃でした。全国で2~30ぐらいは出たんじゃないかな。新規性もあったし、うちでは女(ひと)というイメージにも合っていたし」
製菓機械大手、マスダックマシナリー(旧新日本機械工業)のWEBサイトでは1975年に「アルミフーズホルダー開発」とある。https://www.masdac.co.jp/companyprofile/history/
今まで取材してきた各地の女(ひと)もケーキ生地に餡といった和洋折衷的なフレーバーが多く採用されていた。今までのジャンルで括れない、新しいお菓子に名付けられた「女(ひと)」、古川薫の言葉を借りれば、これも故なしとしないだろうといったところか。
――味は発売以来変わってないんですか?
「ずっと変えてないですね。生地に流行の抹茶を使ってみたいな話が出たりしたこともあったけど、私にしてみればこの長州の女(ひと)にしろ、巌流焼やおそいぞ武蔵にしろ、試行錯誤してこの味になったのだから、新しい味を作ったりするのであればこれでなく新しいものを作ったほうがいいと思う。色んな銘菓がバリエーションを増やしたりしている中で、その流れと逆行しているかもしれないけど」
――なるほど、パッケージはどうなんでしょう?
「このパッケージは息子(晋太郎社長)が担当して、山口県の海岸線をモチーフにしてるんだけど、2014年に従来のデザインから変更したんですよ」
「発売した時は県の鳥のナベヅルをあしらって、巾着みたいなパッケージを金色のひもで留めていたんです。手作業だからすごく手間もかかったんだけど、昭和からバブルにかけてはそういう、今から見ると過剰なもので付加価値をつけていたんだね。でも、もうそういう時代でもなくなったのでシンプルなものに変えました」
―― 50年近くやってきているわけですけど、まだまだ長州の女(ひと)は続けていきたいとお考えですか?
「小説に純文学と大衆小説があるように、お菓子にもお茶席に出るような手作りの高級菓子とお手軽にちょっとしたお土産や近所の会合なんかで楽しんでもらえる郷土菓子があって、どっちがいい悪いじゃなくて、うちは後者のほうを目指してます。これから先どうなるかはわからないけど、長州の女(ひと)みたいに手軽に楽しめて、風土を感じてもらえるような菓子は長く作っていきたいと思っています」
古川薫の生原稿だけでなく、店のラウンジには数々の映画ポスターが飾ってあるのが気になった。
「あなたがお菓子を探していろんなところに行ってるように、私にも趣味があって、映画のエキストラとして出演するためにいろいろ撮影現場に行ったりしているんですよ」
―― ええ?「半落ち」にも? 私観てますけど、水津さんは出演していたんですか?」
「法廷のシーンで傍聴席にいて、ピントも合ってないからほとんどわからないけれど(笑)、ここにある映画を監督した佐々倍 清監督は下関生まれで、私と高校や大学も一緒(同級生ではない)という縁もあって撮影現場にうちの巌流焼を差し入れたりして、そこでエキストラのオファーをもらったりもしていたんです。彼の映画にはほとんど出てるかな」
佐々部監督と巌流本舗の交流のきっかけが2作目「チルソクの夏」である。舞台となっている下関の街のシーンで「下関の街並みを象徴するもの」として巌流焼の看板が小道具として使われていた。
武蔵に敗れて名を残し、小次郎の巌流はどら焼きとして地元の風土となった、そして50年近くに渡ってその傍らで健気に、美しく、あやしく寄り添ってきた長州の女(ひと)、これからもそれは続いていくのだ。
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通販可能!でもきっと行きたくなると思いますが
冒頭でも触れたが滞在中は災害級の大雨に見舞われ、電車も運行見送り。巌流本舗のスタッフの方にも「帰れるんですか?」と心配された。取材の後、雨の勢いは衰えたが電車は動かず、茶色く濁った川の水面を水に入れずにいるマガモと一緒に見つめていた。
※これまでの「あの女(ひと)」
■「あの女(ひと)に会いたい〜宮ヶ瀬・穂高・小樽の女」
■「あの女(ひと)に会いたい〜士別の女・べつかいの女〜」
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