士別の女(ひと)に会いたい
普通に行ったら旭川空港が便利なのだが、ご当地の鉄道で無闇に旅情を味わいたいと札幌から特急ライラックで北上、旭川でサロベツに乗り換え士別へと向かう。
電車を降りるといきなりホームでウェルカム感満載の羊達が迎えてくれる。
私がサケの取材でよく訪れている道東の標津町とは読み方のアクセントまで同じだが、こちらの士別にはサケ感はなく、いたる所で羊が跳ねたり笑顔で雪かきをしている。
そもそも市と町の違いがあるがもっとキャッチーに「サムライ士別」「根室標津」などと呼び分けられているらしい。
羊といっても町のそこここで笑顔を振りまいてくるのは我々の見慣れた羊と違って顔面真っ黒のシックなやつら、英国原産のサフォーク種である。
1967年にオーストラリアから100頭を輸入、以来「サフォークランド士別」としてまちづくりを推進してきた。
市街地から西に車で10分ほど、ゆるやかな丘陵を登った先にあるサフォーク観光の拠点「羊と雲の丘」では実際にサフォークや他のめん羊達を見る事ができる。
羊肉といえばジンギスカンだが士別では独自の手法で育てた上質なサフォークを使ったラム肉料理が楽しめる。住宅地を歩くと立ち並ぶ家のガレージから香ばしい煙がもくもくと登っていた。心躍るバーベキュータウンである。
道の駅侍しべつを横目に見ながら中央通りを東にまっすぐ行くと交差点の角地に「北の菓子工房もり屋」が見えてくる。
1970年の創業以来、半世紀にわたって地域の食材を使い、製法にこだわった菓子作りで士別に住む人、士別に来る人に愛され続けている老舗である。
ここに「士別の女(ひと)」がいる。東京から会いに行きたいとメールをしたら「ぜひ会いに来てください」と返信をもらった。
士別の女(ひと)は優雅で妖艶な紫の装いで待っていた。
はるばる会いに来た士別の女(ひと)を骨の髄まで知りたい。
もリ屋の創業者、森竹忠廣さんにお話をうかがった。
「士別の女ができたのは40年とか45年くらい前だったかなあ。原点はね、北島三郎の『函館の女』って歌が流行ったでしょ、それでいろんな市町村で女(ひと)っていうお菓子ができてたんですよ」
――おお、やはりサブちゃん。北海道には士別の女を含めて3つありました。
「もうだいぶ減ってるだろうなあ。北見に『北斗の女』っていうのがあったんですよ。どこのお菓子屋だったかは覚えていないんだけど、それはいいと思って、参考にして士別の女という名前で出そうとなって」
――「北斗の女」!はじめて聞きました。この企画で調べた時には無かったですね。
「もう無いかもしれんね。その頃は他にもいろいろあったんだわ。問屋さんのネットワークとかで、ここの町のお菓子屋さんが女(ひと)シリーズで出してるよとか、情報も回ってくるわけですよ。このあたりだと名寄(なよろ)ってあるでしょ、名寄の女っていうのもあったから」
――名寄にもあの女(ひと)が!
インターネットもない時代、日常使いしない「女(ひと)」という表現が伝播されたのは流行歌と業界のネットワークによってだったのか。
――パッケージの女(ひと)はなんというか、すごく都会的な印象を受けますね。
「最初はね、写真だったんですよ。山の方で、今は羊と雲の丘って言ってるんだけど、そこでサフォークを飼ってて、やっぱり士別はサフォークの町だから、それがわかる場所でパッケージができないかということで写真屋さんにお願いして」
――景色の写真だったんですか?
「山の上から士別の町が見えるんだけど、端のほうに士別の女の子2人に立ってもらってその後ろ姿と風景を写したと思うなあ」
――モデルの女(ひと)は士別の町を見ていたんですね。
「最初は写真だったんだけど、やっぱり数年たてば時代に合わなくなってくるでしょ、それでいろいろ3回か4回位かな?パッケージを変えて今のになったんですよ」
――イラストになったのはどのくらいからなんですか?
「次のパッケージぐらいまでは写真だったような気がするなあ。ただ実際の写真っていうのはそれはそれで大変だし、イラストのほうがいいんじゃないかって、問屋さん通じてデザインを何個か出してもらって決めたんですよ」
――そうなると社長の好みもやっぱあったりして。
「ははは、それもあるよね」
――できた当時からお菓子自体は変わってないんですか?
「基本的には変わってないですね。粉系は一切使ってなくて、白あんと黄身あんを混ぜてそこに生クリームとかバターも加えて焼き上げてます。もちろん時代に合わせて配合を変えて、たとえば甘さを少し抑えてみたりとかはやっているんだけど」
見た目はいわゆるホイルケーキだが口にすると生地と一体になった白あん、黄身あんの風味が広がり、おお、和菓子でないか、となるがそう単純でもなく、そこに生クリームのミルキーさやコクも加わってきて、なかなかに深みのある味だ。
――これは、洋菓子というのか、和菓子というのか...おいしくて、おもしろいですね。
「そうでしょ。カステラでもないし、なんとも言えないレシピなんですよね。当時はあまりこういうのはなかったんじゃないかな」
あの女(ひと)はやはり士別を見ていた
「女(ひと)っていうお菓子は30年ぐらい前までは結構あったと思いますよ。でも人が減ってお菓子屋さんも減っちゃったね、うちは士別では新しいほうだったんですよ。古いお菓子屋さんなんて3代目4代目の世界だから」
忠廣さんは菓子屋の後継ぎではない。農家に生まれたが、中学を卒業して家を飛び出し、菓子屋でアルバイトをしたのがこの道に進むきっかけだった。
「ちょっとお菓子作ってみろって言われて作ったのが、なんか売れちゃったんだな。自分で作ったお菓子をお客さんがお金出して買って喜んでくれるってなんていい商売なんだと思ってね。それで春になって親が帰ってこいって言っても帰らん!って、あれが売れてなかったら別の事をやってたかもしらん」
――では、ご両親の反対を押し切って......。
「最初はね、でも理解のある親で、結局士別に戻って店やれって言われてはじめたんだけどね(笑)」
――いい話だ。かっこいいし穏便だし(笑)
運命的な出会いで飛び込んだお菓子の世界、やはり思い入れはひとかどではない。
「お菓子屋がなくなるっていう事はそこで売ってたものも自然と消滅しちゃうって事だから、それはさびしいよね」
――そう、「昔〇〇の女っていうのがあった」という情報をもらったりもするんですけど、やはり記録が残ってなくて足取りがつかめないんですよね。士別の女はずっと残ってほしいですね。
「そうだねえ」
取材を終えてホテルで写真を見ていたらある事に気づいた。士別の女が寄りかかっている柵が、「羊飼いの家」のそれだったのだ。
ややうつむいていたのは、町を見下ろしていたから。
写真からイラストに変わっても、そしてこれからもあの女(ひと)は山の上から、町を見ているのではないか。
雨が降り止まない帰りの士別駅、私はたしかに山の方からあの女(ひと)の視線を感じながら、電車に乗り込んだ。
■取材協力:北の菓子工房 もり屋
公式サイトから通販可能。士別の女(ひと)をあなたのお家に!
でもね、行くのが一番だと思います。
べつかいの女(ひと)に会いたい
北海道で私を待っている、と勝手に妄信しているもう1人の女(ひと)はべつかいの女(ひと)である。道東の東端部、さむらい士別ではない根室標津の南に位置する別海町、総面積は約1320k㎡で東京23区を合わせた面積の2倍以上の広さをほこるが、データ以上に感覚的にえらく広い。
内陸からオホーツク海にかけて広がるこの町は北海道の基幹産業である農業と漁業の両方の魅力を合せ持ち、日本一の生産量をほこる乳製品や、北海シマエビ、野付のサケやジャンボホタテなどうまい食材の宝庫となっている。
観光地として人気なのは海沿いの、地図でみるとちぎれそうなほっそい砂州、野付半島を臨む尾岱沼(おだいとう)地区である。
べつかいの女(ひと)がいるのはここから少し内陸へ入った、といっても車で30分ほどかかるが、別海市街エリアである。
飲食店は味もさる事ながらとにかくボリュームがすごい。
「ポークチャップの店 ロマン」の特厚ポークチャップが有名だが、ちょっと他も探してみるかと町をぶらついて見つけた「はまなす亭」でポークチャップ定食を頼んでみたらやはり弩級の肉厚。
旧別海駅周辺に個人経営の商店やホテルが立ち並ぶ一角に「吉田菓子舗」があり、ここにべつかいの女(ひと)がいる。
1958年創業、現在は2代目の吉田浩二さんが、地元別海の乳製品を使用した和洋菓子を昔ながらの製法で製造、販売している。
あの女(ひと)は入り口正面のショウケースで静かに私を待っていた、のだと思う。
「べつかいの女は先代の父が作ったお菓子ですね。正確にはわからないけど私が小学校の終わりか中学の頃には売っていたので45年とかそのぐらいになりますかね」
――1976〜7年にかけてという感じなんですね。その頃から変わっていないんですか?
「作り方とかは変えていないですね。パッケージは2回くらい変わったかな?」
――やはりもともと女性がいるパッケージだったんですかね。
「そうですね。これは尾岱沼のトドワラをイメージして、女の人はなんだろうな、旅行の人なのかな?最初は地元の人を描いてたんじゃなかったかな」
――なんかちょっとよそから来た人っぽい雰囲気はありますね。
「地元にはいないな、こんな人は(笑)」
――今のパッケージになったのはいつぐらいからなんですか?
「10年近くになると思いますね。やっぱり絵は時代が変わると古くなっちゃうというか。でも背景は変えてなかった気がするなあ。」
――ずっとトドワラと女性のイラストで作られてきたんですね。
「そうですね、このあたりだと観光地といえば尾岱沼とか野付になってくるので、土産ものはそういうのが多くなってきますね」
トドワラとは野付半島にある立ち枯れしたトドマツの林である。風化してかさかさになったトドマツが醸し出す荒涼感が地の果てを思わせる、他にない景観が人気のスポットとなっている。
実際トドマツのそばには寄れないし、寄れたとしても地形的に足元ハイヒールは無謀だ。しかも夏はかなり蚊が多くなるとの事なので肩を思いっきり露出したノースリーブではかっこうの餌食となる。
枯れトドマツの精にも見えてくる、ほのかにファンタジックなあの女(ひと)の佇まいに惹きつけられるのだ。
――先代が作られたという事ですが何か意図というかきっかけみたいなのを聞かれた事はありますか?
「いやあ、そういうのは聞いてないですね。ただ、同じ頃に別海の花を名前にした商品を作ったり、もっと古くからあるものでは上の看板にあるように打瀬舟のモナカを作ったり、別海らしいお菓子を作ろうとしていたんですね」
年代を考えると、「士別の女」のもり屋で森竹さんから聞いた「函館の女の影響と問屋さんの情報流通でいろんな町で女(ひと)と呼ばれる菓子が作られていた」という話と符号するものがある。
パッケージは問屋さんを通じてデザインしたとの事なのでなんらかのつながりはあったのかもしれない。
――中身はどんなお菓子なんですか?
「いわゆるパイまんじゅうですね。北海道ではみんな知ってると思うんですけど、ノースマンというお菓子がヒットして、そういうお菓子を出そうという事で作ったようです」
札幌千秋庵が昭和49年に和洋折衷なお菓子として発売、以来北海道を代表する銘菓としてロングセラーとなり各地に多くのフォロワー商品を生み出した。このあたりの経緯は前回の萩の月と通じるものがある。
――べつかいの女への、浩二さんなりの思い入れなどはありますか?
「べつかいの女を含めこの3つは先代の頃からやってるもので、他にもいろいろあったけど時代の変化とかでやめちゃった中で残っていて、そういう意味では愛着があるし、こういった風情のあるものはこれからも残していきたいと思っていますね」
今はいないあの女(ひと)を見ていた!
1964年生まれの浩二さんは高校を卒業後、5年ほど修行に出てこの吉田菓子舗に戻っている。
「そういえば昔修行に出た先でなんとかの女(ひと)という菓子を見た事がありますね、修行していた店ではなかったんですが」
――おお、ちなみに修行に行かれていた先とはどこですか?
「北見です」
――き、北見!、「北斗の女(ひと)」ではないですか?
「そんな名前だったかもしれません。今はもう無いはずですが『花月』というお菓子屋さんで売っていたような......、どんな菓子だったかはちょっと思い出せないなあ(笑)」
道北と道東の女(ひと)を訪ねて浮かび上がったもういない女(ひと)の追憶。北斗の女や名寄の女の足取りはつかめるだろうか。
翌日、トドワラを訪れた。トドワラは海水の侵食や嵐で減少し、近い将来消失してしまうと言われている。そうなった時、トドワラの記憶を残してゆくのはこのべつかいの女(ひと)かもしれない。
ただ風の音だけが通り抜けるトドワラは、この世界に自分とあの女(ひと)しかいないかのような静謐をたたえていた。
■取材協力:吉田菓子舗 https://betsukai-kanko.jp/yoshida/
通販はやってないけどいっそ行こう!行っちゃえばいいんですよ。
いろいろ問合せたり、旅の図書館にこもって昔の旅行ガイド誌をあさったりしているが「北斗の女」「名寄の女」のめぼしい情報はつかめていない。これからもあの女(ひと)に会う旅は続くので、なにかわかった事があれば記事の中で発表していこうと思う。
「知ってるぜ、それどころか持ってるぜ!」という方がいたらぜひ、情報提供をお願いしたい。
※「あの女(ひと)に会いたい〜宮ヶ瀬・穂高・小樽の女〜は
こちらから→https://dailyportalz.jp/kiji/ano_hito-ni-aitai
【告知】
10/28(金)オンラインイベントに登壇します。
ZINEの編集長の前でフェイクのZINEを作るという、かなりおかしいイベントに参加します!
オルタネイティヴ文芸ZINE「ODD ZINE」フェイク編集長となった気鋭の小説家、鴻池瑠衣さんに、編集長の座を追われた高校時代の同級生で小説家の太田靖久君と共に写真・文章・立体物のコンテンツを提案し、掲載の是非を問います。
はっきりいってどんな展開になるかまったくわからず、茫漠たる期待と不安を抱いたまま本番に突入してゆきますがなんというか、おっさんが手探りでいろいろ間違えていくような不安定なおかしみを味わえるのではないかと思います。お時間のある方は是非!
詳細はこちらから
https://peatix.com/event/3363454