ヤギにひかれてゆきたいの
「ヤギと大悟」という番組が人気だが、私の心の中にずっと住みついているヤギはカルメン・マキの「山羊にひかれて」だ。大学生になったばかりの頃に古レコード屋で見つけ、「え、なんで山羊抱えてんの?」と思わずジャケ買いした。

カラオケ講師の父が昔に導入した、やたらでかいスピーカーに挟まれてリビングの壁の大半を占有しながらほこりをかぶっていたレコードプレーヤーから、しみ通るように流れてくる哀切に満ちた歌をしみじみと聴いていた。
時が経ち、どこに出しても恥ずかしくないおっさんになった私はいろいろあってハブを探して南西諸島を巡る旅を始めた。
ハブがなかなか見つけられず、昼夜(ハブは夜行性なので昼はおもに下見)島をさまよう私をおだやかに見つめてくるのはヤギだった。


青い空、降り注ぐ陽光、バスクリンのようなエメラルドオーシャン、カルメン・マキと寺山修司(作詞ね)が私の心にしみ通らせた寒々しいヤギの世界とはほぼ真逆だが、道端でヤギたちは草を食み、交通費精算とかは早めにしといたほうがいいと思うけど言わないでおくかみたいな顔をしていた。

「沖縄でなぜヤギが愛されるのか」(平川宗隆・ボーダー新書)によれば、沖縄にヤギが持ち込まれたのは15世紀ごろ、大柄で黒色のヤギが中国から台湾を経由して沖縄に来た説とイスラム教徒が布教目的でアジアを回っていた時に食料として茶色い小柄のヤギを連れてきたという説がある。

当初の沖縄ヤギはよく見る白色ではなく、有色だったのだ。
おもに食肉用に飼育され、限定飼育や近親交配を繰り返す中で小型化していったが、1926年に長野県から日本ザーネン種という、スイス原産のザーネン種と日本のシバヤギを交配したいわゆる白ヤギが導入され、雑種が作られて肉の量や質を向上してきた。


雑多な遺伝子の混合によって彼らがアップデートしてきたのははたして肉体だけだったのか? そう思わせるほどに、さまざまな感情と思索を表情に表して、こちらを見つめ、生きることの不条理や哀しみを訴えるように鳴く。


行く先々の田畑で、林道で、集落の路地で、ヤギの声が聞こえては耳をすまし、こっちを見てくるヤギをカメラにおさめてきた。

その中からカルメン・マキでなくともひかれてゆきたくなるような数々のかっこいい推しヤギたちを開放したい。
耳がまっすぐになるとかっこいい
耳が左右水平に伸びてピンとなることがある。先までまっすぐに伸びた耳が作る顔のT字形はテレマークを決めたスキージャンパーや前衛的な動きをスッと止めた舞踏家のように優雅で美しい。



ちなみに小浜島はいい感じのヤギとエンカウントする率がやたらと高いヤギアイランドで、放し飼いされた子ヤギ達がすたすた歩み寄ってくるのはかわいさ爆発で悶死寸前であった。ピース。

雨にぬれるとかっこいい
茂りきった草木に染み入るように雨が降りそぼる中、豊かな毛をしっとりと濡らして身じろぎもせず立っていたトカラヤギがセクシーでたまらなかった。


草に半分隠れるとかっこいい
草の影からこちらを観察するかのように見つめる知性と思索に満ちた表情を見ると、ああ、この大地は我々ではなく彼らのものなんだなということに気づかされるのだ。





前髪かっこいい
ヘアースタイルを持つヤギに時おり遭遇する。かちっと決めたエグゼクティブスタイルからナチュラルなロン毛まで、様々な髪質と髪型で個性を演出している。それはヤギたちがどう生きるかという主張でもあるのだ。





帯刀しているとかっこいい
江戸時代において帯刀は武士の特権であった。忠・義・勇に生き、その魂を刀に込めた高潔な精神性を時代、種族を超えてヤギに見るとは。つまり、ヤギが長い草を刀のように携えていたのである。

