路線バスに乗って地獄を目指す
昨年の秋、15人くらいで台湾を旅行した。その二日目、台北市内で朝食を食べ、体力に自信のある人は山登りへ、変装願望のある人はコスプレ写真館へ(こういうやつ)、そして私を含む残ったメンバーは、なんとなく台湾の一番北にある石門金剛宮へ行くことになった。
この日の予報は雨が降ったりやんだり。台湾の宗教事情はまったく分からないし、神社仏閣にも詳しくないが、地獄寺とも呼ばれるその場所で、雨の中ぼんやりと観光するのもいいだろう。
淡水駅からはたくさんのバスが出ていた。これが10年も前であれば、路線図から行き先を確認したり、現地の人に片言で聞いたりと、目的のバスを探すのも一仕事だが、今はスマートな電話があるから一発だ。
思い出作りが目的の旅としては便利過ぎてつまらない感じもするが、そもそも今回は同行者の後ろについていくだけなので、そんなことを考える資格は私にない。便利万歳。
「このバスだと思うんだけど……」
地獄行きを提案したОさんが、一台だけ雰囲気の違うバスの前で首をかしげる。
他のバスは普通の路線バスなのだが、このバスだけ旅館の送迎用みたいなマイクロバスなのだ。
スマートフォンでも解決できない違和感を感じつつも半信半疑でバスに乗り込むと、親切な運転手さんが「このバス乗るの!本当に大丈夫?」みたいなリアクションで我々を呼び止めて、行き先の確認をした。
駅前でもらった周辺マップを見せるのだが、地図に金剛宮は載っていない。たぶんこの辺にあるんですけどと伝えたところ、どうやら間違いないようだ。
他に誰もお客さんのいない車内へと座った。
スマフォの地図アプリで現在地点を確認しつつ、雨で濡れた車窓をぼんやりと眺める。現在なのに未来を旅行しているようだ。
もちろん晴れていた方が嬉しいが、雨の中を走るバスというのも旅情がある。きっと目的地に着いた頃には雨もピタリとやんでくれるだろうと、まったく根拠のない予報を立てた。
この辺りはマコモダケという、稲やレンコンのように水を張った場所で育てる野菜が名物だと観光ガイドに書かれていた。確かにそれっぽい畑が車窓から見える。
「おそらく、あれがマコモダケですよ」と私。
「あれのこと?」とⅠさん。
「いや、今のは雑草です」と私。
「じゃああれがマコモダケ?」とAさん。
「それは……マコモダケっぽい雑草!」と私。
おそらく人生初、そして人生最後のマコモダケクイズをみんなでやって遊んだ。今だから言えるけど、本当に正解かどうかは適当である。
目的地に近づくにつれて、天気は晴れるどころか大荒れとなった。
どうやら善良な我々は、地獄から歓迎されていないようだ。
ここは地獄の一丁目
目的地のバス停で降りたところで、ちょっと寄り道して海を覗いてみることにしたのだが、これが笑えるほどの悪天候。当たり前だがバスの中とは大違いだ。
旅情も強風に飛ばされて、ただただ辛い。雨粒が痛い。波が怖い。それがおもしろい。なんだこれ。
「地獄はもう始まっているんだね」
誰が口に出したセリフなのかは忘れたが、全員が思った感想なので誰でもいい。
これが噂の金剛宮だ
この悪天候もアトラクションだと思えばタダなので大変お得。強い風に煽られながらヨチヨチ歩いていると、坂の上に若干とっ散らかった感のあるテーマパーク的な建物が見えてきた。
なるほど、これが台湾有数の地獄を擁する金剛宮か。いわゆる珍スポットの匂いがうっすらするけれど、台湾の人にとってはどんな存在なのだろう。他に観光客がいないので判断がつかない。
屋根があるってありがたいね、ご利益だよねと言いながら入ってすぐ、竜の喉チンコあたりに、さっそくいくつかの像が一塊で置かれていた。
その質感や時代(作られてからの年月)がバラバラで、横尾忠則のコラージュ作品を観ているようだと思ったが、たぶん全然違うのだろう。
まだ入り口から数メートルしか進んでいないのに、細部に神が宿りまくる像たちを全員がじっくりと見てしまい、全然前に進めない。
すでに情報量が多い。細かい部分までチェックして、それをすべて心に刻もうとすると、ここで時間と脳のメモリーが終わりそうだ。
ちっとも前に進めない地獄
先を急ごうと前に進むのだが、今度は正殿へと向かうレッドカーペットの横に並んだ石像が、また我々を引き付ける。
だめだ、見たことのないシチュエーションを切り取った石像の魅力に勝てない。そこから勝手なストーリーを想像する遊びをやってしまい、全然前に進めない。
実際は「二十四孝」という儒教的な孝行の24エピソードを紹介しているらしいよ。
スマフォの翻訳ソフトで正解の書かれた説明書きを確認したいところだが、それこそ時間がいくらあっても足りなくなる。
誰かが「早く行こう!」とせかしてくれるのを、常にみんなが待っている状態なのかもしれない。
四面仏に伝える個人情報
牛歩戦術の末、ようやく正殿と思われる場所へと到着。エプロン姿の係員さんに案内されて、地獄寺のメインである四面仏へと向かう。
正殿の中央にある黄金色をした像が、四面仏のようだ。もっと巨大なものかと思ったら、そこまで大きくはない。大きさ自体に根本的な価値はないのだろう。
この四面仏が最初に鎮座し、あとから足していった数々の像が、だんだんと大きくなっていったのかもしれない。
この四面仏を中心にフォーメーションが組まれていて、参拝者は順番にお参りをするようだ。
案内してくれた方によると、神様にお願いをするときは自分のフルネームや住所などをしっかり伝えないと、誰の願いなのかわからないから叶わないそうだ。紙に書くのなら躊躇する個人情報だが、ブツブツ言うだけなら漏洩の問題もないだろう。
そして願い事も、「お金持ちになれますように」とか「健康でいられますように」みたいなぼんやりしたものより、「4月に出版される本が1万部売れますように」とか、「尿酸値が標準値を超えませんように」みたいに、できるだけ具体的にするのがコツらしい。ってAさんが訳してくれた。
複数の神様にお願いをするたび全個人情報と具体的な要望を伝えるので、本気で祈願するにはかなりの時間が掛かる。これは自分と向き合う時間だ。漠然と生きるのではなく、叶えたい目標をはっきりさせろという教えなのかもしれない。
目から手がている神様
しっかりと願い事も伝えたし、いろんな仏像も拝観できたし、もうかなり満足だ。
だがしかし、ここまで天気以外の地獄要素が全くないことからもわかるように、まだまだ先は長いのである。
ちょっとセクシーなガネーシャっぽい像(ゾウ?)の間を抜けて、魔界、いや二階へと進む。
階段の横には、べつやくれいさんのイラストっぽい看板があった。
どんな人なのかよくわからないが、2階に行けば会えるようだ。
二階の情報量がまたすごかった。寺院というよりは熱心なコレクターの展示室っぽい強い圧がある。
私の持っている宗教的な知識は、小学生の頃に漫画で読んだ孔雀王から止まっているので、下衆な興味本位で眺めることしかできないが、それでも心が揺さぶられてくる。
この道に詳しい人には堪らない場所、あるいはツッコミがいのある場所なのだろう。
実際は載せたい写真がもっとあるのだが、全部を紹介していると本当にキリがないので、看板の神様へと進む。
矢印の先には、イラストと少しイメージの違う神様が座っていた。
これはすごい。目から手が飛び出て、その手のひらに二重の目がある理由はさっぱりわからないけれど、これぞ神様という強烈な個性である。
つい自分の手のひらを見て、そこに目があるか確認してしまった。
アイドルにも詳しいIさんがつぶやいた。
「私の押しは、この神様かな」
このように並んでいると、どれかを選びたくなる気持ちはわかる。お札を買ったらもらえる投票権とかないだろうか。
なるほど、神セブンは七福神だ。
そしてコレクションはまだまだ続く
恐ろしいことに、地獄への道はまだ遠い。
はるばる来たぜ、地獄
ここまでですっかり満足しているのだが、ここからようやく待望の地獄エリアである。
ところでOさんが教えてくれた地獄寺という別名は、あくまで外部の人が勝手に呼んでいるものであって、この寺が名乗っているものではないようだ。
この石門金剛宮を地獄寺と呼んでしまうと、松屋をカレー屋、としまえんを釣り堀と呼ぶくらい、狭い意味にしてしまう。ただ、地獄寺と呼びたくなる気持ちもわかる濃さではあった。
ここでは裁判官的な十人が、悪いことをした人に対して、罪に応じた刑を与えているようだ。
悪いことをすると地獄に落ちるよというシンプルな教えを、大人たちが本気を出して立体化するとこうなるという努力と信心の結晶だ。
人形の出来が素晴らしく、佐渡金山の坑道見学もびっくりのクオリティである。
Iさんが「地獄の自撮り、#(ハッシュタグ)地獄!」とか言いながら、自分の写真をいっぱい撮っていた。SNS炎上地獄に落ちないでね。
殺人や放火はわかるとしても、親孝行しないと地獄、遊びまわっても地獄というのはちょっと厳しい。きっと適当なマコモダケクイズを出した私も地獄行きだ。
法律とはまた違う道徳観。やっぱり悪いことはしちゃだめだよねと思いつつ、もうちょっとゆるくて生きやすい世界がいいよねと慰め合う。
地獄から天界へ
地獄の洞窟を抜けて、ふたたび神様が並ぶ天界的な場所へ。
またこれまでと作風の違う、なんとも魅力的な像が並んでいた。
地獄で一回リセットされたので、神様をまた新鮮な気持ちで見られる。神々の写真集、いや資料設定集が欲しくなった。
三階に上がると、今度は五百羅漢が待ち構えていた。ブッダに常に付き添った500人の弟子らしい。
この屈強な男たちに囲まれていたとしたら、ブッダもなかなか大変だっただろうなと勝手に同情してしまう。
最後に麺線をいただいた
こうしてようやく金剛宮のスタート地点へと戻ってきた。
物理的に2時間以上、体感的には300年くらい集中して館内を見回ったので、さすがにお腹はペコペコだ。
食堂でもあるかなと寺の人に聞いてみところ、なんと麺線を食べていきなさいと誘ってもらえた。ってAさんが言っている。
案内された場所がすごかった。私のボキャブラリーでは説明できない食事処だ。
天気が悪すぎて貸し切り状態だったこともあり、その不思議さが際立っている。
こうして金剛宮観光は終了した。そして記事が長過ぎ地獄もようやく終了。
この後しばらくは、なにか良いこと(昼飯を食べる店が見つかったとか)があればお参りのご利益だと感謝し、悪いことがあれば(また雨が強くなったとか)信心が足りないのだと反省するのがちょっとだけ流行った。
人生観を変えるほどではないけれど、人生においてかなり濃厚な二時間半だったと思う。仏疲れがすごい。
この時に作った「地獄」という4人のLINEグループはまだ残っていて、誰かが地獄っぽいところにいくと、その写真が今も送られてくる。あとマコモダケを食べた報告とかね。
日本を訪れる外国人観光客は、お寺や神社など宗教と結びついた施設を、どんな気持ちで見学しているのだろうか。神様を奉る神聖なものと言うよりは、オリエンタルでクールな歴史ある建物として、シンプルに楽しむことが多いだろう。
まさにそんな感じで、私も異国の地で予備知識も信仰心もなく、地獄寺、いや石門金剛宮を堪能させてもらった。スーパーヒーロー大集合的な豪華さだった。
そして翌日夜に全員と合流した際、そのお土産話をしつつ、目から手が出ている神様をヴィジュアル系バンドが取り入れた場合の観客たちという集合写真を撮影した。