もし興味がわいたら、ぜひ。今のうちですよー
東京と神奈川県を走る私鉄、京急線。首都圏におすまいではない方でも、羽田空港に行き来するために乗ったことがある、という人は多いのではないか。
その京急のルーツが大師線である。その名の通り川崎大師への参拝のためにつくられた線だ。
この路線が地下化されるという。目下工事中だ。ならば、今のうちに地上を走る姿を見ておこう。
地下化されて見ることができなくなる光景の代表が以下の踏切だ。
「産業道路駅」という駅そばの踏切。地下化によってこの踏切がなくなる。
本記事の趣旨は、そのうち「そういえば大師線の産業道路駅ってどんなだったっけ?」って検索する人がでてきて、そのとき上の動画と画像が出てくるように記録しておく、ということであります。
なので、以上で目的は達成なのですが、これで終わるのも何なので沿線の風景を順番にお見せしたいと思います。ご興味ある方はお付き合いください。楽しかったよ。
念のため言っておきたいのは、ぼくはべつに地下化に反対してはいないということ。交通量の多いこの産業道路に踏切があるのはどうにかした方がいいとぼくも思う。
そもそもぼくは基本的に「便利になるんだったらどんどん開発すべき」という分かりやすい思想の持ち主で、こう見えて(どう見えて?)ノスタルジーとかあんまり好きじゃない。
とはいえしかし、それは現在ある風景が嫌いということではないわけで、つまり、過去も現在も未来の風景もいずれも愛おしいと思うわけです。たいていの都市の風景を「いいなあ」と思っちゃうのです、ぼくは。だから見れるものは見ておこう、と。どうせ、死んじゃった後の風景は見れないのだから。
で、せっかくだから同好の士とともに見ておこう、というのが今回の沿線散歩というわけ。
同好の士募集はTwitterで行った。
思い立って前日にいきなり呼びかけたにもかかわらず、そしてただ線路沿いを歩くだけという、一見なにが面白いのかさっぱりわからない散歩に付き合ってくれたみなさん。ありがとう。こうしてぼくを含め計7人の物好きが京急川崎駅から歩き始めたしだい。
さて、さきほどから「地下化」と言っているが、地下化されるのはほんの一部だけ。
黒い線が大師線の全部。オレンジ色が地下化される部分。
当初の計画では、全面的に様変わりする予定だったが、費用の問題から上記の1kmほどの部分だけが地下化されることになったとのこと(詳しくは川崎市ウェブサイト内「京浜急行大師線連続立体交差事業」をご覧ください)。
で、日曜日に集合したのは京急川崎駅改札口。
さっそく脱線しましたが(話題が鉄道だけに「脱線」って表現はひかえたほうがいいかしら)、ここから線路沿いにみんなで歩いてきます。
実は上の写真の場所は「理想の『線路沿いの道が終わる場所』を求めて」という非常に共感しづらい記事で紹介したところ。今回歩いてみて、あらためて線路沿いに歩ききることの難しさを感じた。日本に始点から終点まで線路沿いに歩ける鉄道路線ってあるのだろうか?
しかたないので道なりに線路を離れると、そこは旧東海道。
どうして人はおっさんになると、廃駅だの古地図だのに興味を持っちゃうんでしょうか。いかんな。
ともあれ、こんな感じの年寄り臭い趣味を発揮しながら進むと、2つめの駅「港町」に到着。
ここは最近駅舎が新しくなった。駅前にタワーマンションができたので。
旧東海道の時代からの名残と思われる風俗街の雰囲気から一転、「リヴァリエ」という3棟並んだ新しいマンションが醸し出す今時感。さっきまで全体的に茶色かった街並みが、急に白くなった。
とはいえ、すこし先へと歩を進めれば、そこは工業地域の佇まいだ。
また脱線かつおっさんくさい趣味で申し訳ないのだが、この水門、上の解説を読むと実に面白くて。
この水門が面しているのは多摩川なのだが、なんとここから川崎の街を横切るように水路が掘削される計画があったというのだ。
解説版によれば、住宅や工場が建っちゃったことと戦争によってこの運河計画は中止になったそうだ。トラック輸送の台頭なども理由だったのではないか。
そしててっぺんの造形は「ブドウ・梨・桃」がモチーフだという。工業都市のイメージが強いが、川崎区は果樹も盛んだったのだ。
この水門のところから、ふたたび線路沿いに道がなくなってしまう。なぜなら、工場の敷地が線路に隣接しているから。
ようやく線路沿いに道が通じるのは、3つめの駅「鈴木町」のところだ。
この駅がまたおもしろい。
線路沿いを歩けなかったのは、味の素の工場が線路にあったから。そして鈴木町駅はもともと「味の素前駅」だったそうだ。現在の駅名も味の素の創業者である鈴木三郎助からきている。
踏切を渡ってすぐが門なので、ここを渡るのは味の素の社員など関係者だけ。ちょっとふしぎな踏切である。
川崎大師駅からようやく線路沿いを歩けるようになり、これがまた「ザ・線路沿い風景」という感じの良い道だった。
そしていよいよ地下化されるエリアに近づく。5つめの駅「東門前駅」だ。
東門前駅を通り過ぎて東側に行くと、とたんに工事祭りがはじまる。いよいよ地下化エリアなのである。
いったいここまで読み進めてくれた人がどれだけいらっしゃるのか、はなはだ不安ですが、ようやく問題の産業道路駅です。
今回、ちゃんと見ておこうと思った理由には、地下化に伴ってこの「産業道路」という駅名も変わってしまうというのもある。報道によれば京急の広報は駅名変更について「沿線の活性化に繋がるような、また、将来子どもたちが誇りを持って帰ってこられるような駅名になればと思います」と言っているそうだ。
以前「産業道路を愛でる」という記事を書いたように、ぼくはこの名前は素晴らしいと思っている。実は、さきほどの東門前の駅は、ぼくが今住んでいる家の最寄り駅である。前述のコメントはまるで「産業道路」という響きは子供たちが誇りに思えないと言っているようではないか。そんなことないぞ! 「産業道路」ってちょうかっこいいぞ、と言ってやりたい。
また「川崎区内の他の駅に関しても変更の可能性はなくはないですが、鈴木町駅や東門前駅などは地域との関連や歴史的経緯から難しいですかね」とも言っているそうだが、産業道路の歴史だって、味の素の歴史や、川崎大師の歴史と同じぐらいの重みがあるはずだ。
最初に「ノスタルジーは好きじゃない」と書いたが、この名称変更の理由はどうかと思う。というか、産業道路はまだまだ現役だし、それを誇りに思うことはノスタルジーじゃないよね。
……などと、ちょっとばかりうっとうしい主張をしてしまった。すみません。要するにぼくが「産業道路」とその響きを愛おしいと思っている、ってことです。ええ、よくわかってますよ、ぼくの意見が少数派のものであるってことは。くやしいなあ。
さて、7つめの終点駅「小島新田駅」に向けて歩きはじめたところ、線路の上になにやらやぐらのような鉄骨構造が現れた。
地下に線路が敷設されおわり、さあいよいよ地上の線路から地下に切り替えるぞ、っていうときに、現在ある地上の線路を持ち上げる。それに必要な構造物だ。
「これって、東横線のときと同じだ!」と参加者一同。そしたら、
さて、ようやくこの散歩も終わり。いろいろ脱線しながら楽しく歩いていたら、3時間ぐらいかかってしまった。
と、これで終わりのはずだったんですが、ここで気になるものを見つけてしまいまして。
終点のさらに先、JRの貨物線を越えたところに気になるカーブが(赤で囲った部分)。
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