再開発の進む東京のなかにふと取り残されたような、飲み屋が並ぶ一角。そこでちょっとディープな雰囲気を楽しみながら飲めるかな、なんて思っていたら、予想以上にしんみりとしたり、考えさせられたりしてしまった、今回のハシゴ酒。自分でも若干「デイリーポータルZ」っぽくないなとは思いつつ、酒場ファンの初心に返れた気がしたので、ここに記録させていただきました。
変わり続ける風景
僕の仕事は「フリーライター」で、専門分野は「お酒」と「酒場」。特に、店先に赤ちょうちんがぶらさがっているような昔ながらの大衆酒場が好きで、自らを「酒場ライター」などと名乗っている。
その関係でこれまでに、著書や雑誌、WEBなど、さまざまな場所でこんなことを書いてきた。
「2020年に開催されるオリンピックに向け、東京の再開発は加速度的に進み、味わいのある横丁や大好きだった個人経営の酒場が次々と姿を消している。だからこそ、今残っている、自分が気になっている店には、今のうちに行っておくしかない」
ところが肝心のオリンピックが今年行われることはなく、来年のことだって誰にもわからない。ならばあの横丁を、あの店を、なくしてしまう必要はなかったんじゃないか? なんて、むなしい仮定の話を考えては涙が出そうになるが、とはいえ、街の風景が変わっていくのはしかたないことだ。特に震災の多い日本という国では、それが当然のことなんだとも思っている。
だからこそやはり、「今残っている、自分が気になっている店には、今のうちに行っておくしかない」のだ。
なんて偉そうなことを言っているけど、自分はそんなに立派でも行動的な人間でもなく、「久々に顔を出したいなぁ」なんて思いつつ、忙しさや面倒さにかまけて、何年もごぶさたしてしまっている店がいくつもある。
時代から取り残された飲み屋街
僕は西武池袋線の大泉学園の出身で、現在はその隣の石神井公園という街に住んでいる。大泉から、石神井とは逆側、埼玉方面にひと駅下ると「保谷(ほうや)」という駅がある。中学時代はそっち方面にもちらほらと友達がいたから、自転車で出かけていくこともたまにあった。
栄えているのは南口で、にぎやかな通り沿いにたくさんの商店や飲食店が建ち並ぶ。逆に北口はかつて、はっきりとは覚えていないけど、ちょっと怪しげな飲み屋がいくつかあって、その先はすぐに住宅街、というような場所だった気がする。
そんな街との縁も大人になるにつれて薄くなり、かなりの時が流れて、あれは10年くらい前のこと。仕事の都合で久々に保谷に行くことがあった。懐かしく思い、ついでに駅周辺を散策してみる。その頃にはすっかり「変態」といっていいほどの酒場好きになっていた僕は、あらためて北口の小さな飲み屋街を見て衝撃を受けた。
言葉は悪いが、プレハブ作りの簡素な酒場が数軒、時代から取り残されたように並んでいる。その風景はまるでどこかの地方都市のようで、僕に、「ごく身近な場所にも、ふいに非日常を味わせてくれる世界はいくらでもある。そして、それが酒場の醍醐味である」ということを気づかせてくれた。
もちろん後日、そのなかの一軒に友達と飲みに行った。もはや記憶はおぼろげだけど、優しい女将さんがあれこれ世話を焼いてくれ、家庭的な料理が美味しく、座敷席の座布団の上で猫が丸まって寝ているような、なんとも居心地のいい店だった。
「ねぶた茶屋」からハシゴ酒スタート
時は流れて先月の話。また久々に保谷を訪れる機会があり、同じように、駅の周辺を散策してみた。駅ビルと南口周辺はすっかりリニューアルされ、人気のテナント店舗が並ぶ今風の街並になっている。そして北口。恥ずかしい話、僕は「こんな時代に残っているはずがない」と、勝手に思いこんでいた。あのプレハブの飲み屋街のことを。
往時、どのくらいの店がこの通りにあったのかはわからないけど、思いっきり駅前の線路沿いという一等地に、手前から「ねぶた茶屋」「居酒屋 わがまま」「やきとり 新ちゃん」という3軒の店が、記憶のままの姿で残っている。僕は、この風景がもうないものと勝手に思いこむという、酒場ライター失格にもほどがあるあさはかさを恥じ、同時に感動した。またここで飲みたい! と、猛烈に思った。
改札を出て北口の階段を降りると、いきなり目に飛びこんでくるのがこの風景。なんてパンチのある街なんだ、保谷よ。今夜は手前の「ねぶた茶屋」から順に、徹底的にハシゴ酒していくぞ〜!
いきなりこの写真を見せて「ここはどこでしょう?」と聞き「青森」ではなく「保谷」と答えられるのは、保谷民のみだろう。
人生で一度もかけられたことのない言葉だ。
さて、入ってみよう。
からりと戸を開ける。すると想像とはまったく違い、ものすごく広々としていて、近年内装をリニューアルしたのか、どこもかしこもピカピカだ。ビニールシートや仕切りでコロナ対策ばっちりのカウンター席は、常連さんで埋まりにぎやか。ねぶたモチーフの壁絵をはじめ、どこを見ても青森要素しかない店内に、一気に旅情がかきたてられる。
一杯目は、店オリジナルの「ねぶたサワー」にしてみた。リンゴをイメージしたという赤く甘酸っぱいサワー。
じんわりとうまい。
海の幸と青森の郷土料理中心の、非常に興味深く、心躍るメニューだ。こんなにも近所で「せんべい汁」が食べられる店があるなんて、想像もしてなかったよ。
せっかくなのでうまそうな刺身から始めたい。よし、ここは奮発して、青森のブランド「大間のまぐろ切り落とし」、いっちゃうか!
近くにいた店員さんに声をかける。店員さんたちは、きっと自分よりは年齢が上であろうと思われるお姉さまオンリー。みなさんおしゃべり好きのようで、それが店の雰囲気を抜けよく明るいものにしている。
僕がマグロを頼むと、「今日は『バラエティ刺し』もおすすめですよ! いつもあるわけじゃないからね。大間のマグロはいつでもあるんだけど」とのこと。大間のマグロがいつでもあるってのもすごいけど、そんなことを聞いたらそっちを頼まないわけにはいかないだろう。
届けてくれた店員さんが、「これが大間のマグロね。これが私の好きなシマアジ。それからとびっきりいい甘エビ! 皮をむくとせっかくの卵が一緒に取れちゃうから、まずはちゅっと吸うように食べてみてくださいね」と、丁寧に説明してくれる。どれもなんて美味しそうなんだ!
旨味しっかりなのにすっきりもしていて、僕のいちばん好きなタイプの酒だ。それを、驚くほど新鮮な刺身や、
なんかをつまみに飲む。「幸福」とはつまりこのこと。
さて次なる注文を、と店員さんに声をかける。すると、刺身を食べ終わり、引きあげやすいよう机の端に置いておいた皿を見て店員さんが言う。
「もうツマは召しあがりませんか? うちのは毎日、大根から手作りしてるんですよ」
し、失礼しました! 絶対に食べます! ……あぁ、なんていい店なんだろう。
こまぎれのイカと紅生姜の風味、食感が楽しい、メンチというよりはかき揚げ風の料理。これまたうまい!
そして、まだ一軒目ではあるけれど、実は店に入る前から「支那そば」が気になっている。表の看板でもいちばん扱いが大きかったし、「昔なつかしい煮干し」のキャッチコピーも、600円というリーズナブルさも、何もかもが好ましい。「いちどぅ食ってみぇへ」のスープ焼そばは次にして、ここでは支那そばで締めることしにしょう。
丼からふわりと漂う煮干しの香り。醤油ベースで、すっきりと濃厚の中間くらいの絶妙なスープに癒される。煮干しのほんのりとした苦味もいいな。
さて、次なる店は……といきたいところだけど、この日はラーメンまで食べて完全に満腹なってしまった。保谷は遠くない街だし、僕が子供の頃から現存しているこの店たちがいきなりなくなるってこともないだろう。続きはまた後日だな。
「わがまま」「新ちゃん」とハシゴの予定が……
それから数日後の2020年10月30日。再び保谷にやってきた。今日は前回のねぶた茶屋の隣、「居酒屋 わがまま」から「やきとり 新ちゃん」へとハシゴしてみるか。と歩みを進めると、ある違和感に気づく。
つい先日前までは確実にあった「やきとり 新ちゃん」が、なくなっている……?
Googleストリートビューで確認しても、やっぱりある
僕は、まさかの展開に気を動転させつつ、ひとまずわがままへ入ってみることにした。
優しそうな女将さんとふたりの女性店員さんで切り盛りする、いかにも家庭的な店。僕が10年前に飲んだのは、この店で間違いないだろうと確信した。
生ビールで喉を潤しつつ、さっそく女将さんに聞いてみる。
「僕、もう10年くらい前に一度ここに飲みに来たことがあるんですよ」
「あらそう? わざわざありがとうね」
「すごく美味しくて楽しかった記憶があって。このあたりの飲み屋街はずいぶん長いんですか?」
「そうね、30年前にできたのよ。前はもっとお店が並んでたんだけどね」
「ですよね。ちなみに、隣に最近までもう一軒、お店ありましたよね?」
「そうなのよ。昨日なくなっちゃってね……」
昨日!? 聞けば、新ちゃんは最近、ご主人の年齢や体力的にお店を閉めざるをえなくなり、それが決定したとたん、店の取り壊しも決まってしまったのだとか。撤去作業にかかった時間はたった3日で、終わったのが昨日。それにしてもなんというタイミングだろう。前回ねぶた茶屋で飲んだ夜だったら、もしかしてやってたのかな……?
僕はあらためて「今残っている、自分が気になっている店には、今のうちに行っておくしかない」のだと、自分をいましめるような気持ちになっていた。
「寂しいわよね……行政からしたら、ここらのお店なんてなくなっちゃったほうがいいんだろうけど。うちも最近、ひとまずこれから3年の契約はできたんだけど、それで終わりかもしれないね」
「……でも、あと3年間は続けられるんですね。また来ます」
「あら、ありがとう」
から、自家製だという「ぬかみそづけ」と、
保谷でこんなにクオリティーの高い魚介類が食べられる店が並んでるってのもすごいが、だからこそ地元民に愛され、長く店が続いているんだろうな。
女将さんの娘のひとりが沖縄に嫁がれたらしく、その関係でメニューには沖縄料理や泡盛がちらほら混じる。そんなお話を聞いていたらどうしても飲みたくなり、おすすめを注文。娘さんが嫁いだ先の宴会ではみんなこれをグイグイ飲んでいるという「八重泉 黒真珠」は、なんと43度。
衝撃の出会い。そして、これからのこと
新ちゃんがなくなってしまったから、今夜のハシゴ酒は必然的にこの店が最後。カツオの量がたっぷりだったので、もう割とお腹は一杯。が、ラストにもう一品くらい何か頼んで帰ろうかなと、カレー好きとしては気にならざるをえなかった、
を注文してみることに。「ご飯はついてないけど大丈夫?」とのことだったが、酒のつまみにするにはむしろちょうどいい。
いかにも僕好みの、もったり濃厚系日本的家庭のカレーといった雰囲気。これをおごそかにひとすくいして味わうと……なにこれ!? 衝撃的にうまいんですけど!
わがままカレーは店の名物のひとつで、前日の「元カレー」を少し継ぎ足しては作ることを長年くり返す門外不出のカレーだそう。この濃厚さや深い味わいはそのせいなのか、とにかく思いだすかぎり、僕が人生で食べた店カレーのなかでいちばんうまい! いや正確には、いちばん僕好みのカレーだ!
さっきまでしんみりとした気持ちで飲んでたのに、その数分後にまさかこんなに興奮することになるとは。
こうなってくると本能で頼まざるをえないのが、
とのことで、米自体もしっかりうまいから、夢のようなカレーライスが目の前に誕生してしまった。
それはもう、夢中でかっこんだ。何度も心のなかで、「残っていてくれてありがとう!」とくり返しながら。
もう10年はこの店の看板猫としてここにいるそうで、以前に一度だけ来た時にいたのもこの子だったんだろう。そう思うとなおさら、この場所もいつまでもあると錯覚してしまいそうになるけれど、永遠に続く酒場なんてどこにもないのだ。
また絶品のカレーを食べに、そして、女将さんや店員さんたちに会いにここにやってこようと、強く思った。