「わが工夫せるオジヤ」のオジヤ
件の「わが工夫せるオジヤ(青空文庫)」というエッセイは安吾が40代のときに書いたものだ。
主に飲酒が原因で黒い血を吐いた安吾は、胃をいたわるために断酒を始めて、同時にかたい白飯を食べるのもやめた。もっぱらオジヤばかりを食べていたそうだ。酒はまた飲みはじめるのだが、御飯のほうはスパッとやめてオジヤを専門に食べるようになったとの由である。
オジヤは当初鍋料理の残り汁で作っていたらしいのだが、毎日食べると飽きがくるというので、安吾は専用のスープから工夫して仕込むことにした。そのスープを使って常食用のオジヤを作るのである。いわく、一ヶ月半のあいだ朝晩に毎日食べても飽きないような逸品とのことだ。
それでは、文章から読み取れる範囲で安吾流のオジヤの特徴を以下にまとめよう。
【スープづくり】
・鶏骨、鶏肉、ジャガイモ、人参、キャベツ、豆類を使ってスープストックを作る。
・野菜の原型がなくなるまで3日以上煮る。どんどん煮立ててスープが濁るまで野菜をとかす。
・煮るのが3日以下だとオジヤがまずくなる
・そのままスープとして飲むと、濃厚で、粗雑で、乱暴で、強烈なものになる。
【オジヤづくり】
・上記スープにご飯、刻んだキャベツ、ベーコンを入れて土鍋で煮る。
・味付けは塩胡椒。
・胃の負担を軽減するため、ご飯がとろけるように柔らかくなるまで30分以上煮る。
・仕上げに、土鍋を火から下ろしてから、よくかき混ぜた卵一個をかけて蓋をして1,2分放置する。
・京都のギボシという店の昆布を少しずつご飯の上にのッける。
こだわりが強くて可笑しくないですか。特徴的なのは3日かけてスープを作るということで、それを常食しようというのだからとんでもない話である。
「スープストック」というのは安吾の原文ママであるが、そんなハイカラな言葉を知って使っているのもなんだかおもしろい。
それで言うと、私の昭和生まれの祖母は船のフェリーのことを「ふえり」と発音する。かたや明治生まれの安吾は流暢にスープストック。惚れてしまう。ばあちゃんの話はあんまり関係なかったな。
安吾の工夫せるスープストックを作る
そういうわけで、近場のスーパーで食材を買ってきた。
鶏ガラが手に入るかどうか不安だったが、スーパーで簡単に手に入るうえに100円しかしなかった。身がないからそんなもんか。
はじめに鶏ガラを流水できれいに洗い流して火にかけた。安吾の文章では調理工程がかなり省略されているので、適宜自分で判断しながら調理を行うことにする。
鶏ガラからとんでもない量のアクが出てきた。バニラアイスにコーラをかけたときのような泡がもこもこ湧いてくる。
1時間ほど格闘してアクが出なくなったころ、ほかの具材を一気に投入した。
すべての具材を鍋に投入したあとは煮込み続けるだけなので、スープづくりはここで終わったようなものである。3日煮なきゃいけないけど。
それにしても「3日煮る」って実際はどういうことなのだろうか。まさか72時間火をかけっぱなしってことはないだろうし。
勤め人たる私はかかりっきりになるわけにもいかないので、とりあえず今日から3日間、できる限り多くの時間火にかければOKということにした。
ほとんどの具材がなくなり、お玉が重くなりはじめたのは1日目の最後だった。あと2日煮てどうなるのだろうか。
鍋に顔を近づけて匂いを嗅いでみると、鼻の穴からいままで得たことのない情報量が飛び込んできてうまく整理ができない。いいとかわるいとかの判断が難しい。
鶏由来と思われる甘さ、大豆の気配、給食室のようなあらゆるものが渾然一体となった匂い。安吾の言うように粗雑で乱暴なにおい。
人間と猫、どっちの食べ物かと問われたらギリで猫のごはんと答える。野性味しかない。
冷蔵庫で休ませつつ、合計で20時間近くスープを煮た。これを毎食分用意するなんて相当大変な仕事だぞ。
かろうじて残る液体のところを皿にすくい上げて味見をしてみよう。
飲んでみるとうまい、かも。見た目や匂いほどのインパクトの味ではなかった。だって調味料入っていないから。
豆乳鍋のような大豆の優しい甘みが目立つものの、どれだけでも飲めそうな確かな素朴さがある。ほろほろにくずれた鶏肉はツナのような食感で、かすかに何らかのエグみを感じる。おおむね上手く言っている気がする。