ピットに修羅場を見る
10分後。ファーストドライバーが周回を終えピットに戻ってくる。
ここでドライバー交代を行うわけだが、なにしろ1000以上のチームがいっせいに同じピットレーンで乗り換えを行うのだ、喧騒の中自分たちのチーム員を探すだけで一苦労。中には走り終えて紫の顔色のままチーム員を探して自転車を押しながらさまようドライバーもいた。
まだ走る前なのだが、周回を終えて帰ってきた人の様子からレースの過酷さを計り知ることができる。体からは湯気が出ているのだが顔は紫なのだ。
皆一様に「・・風が」と声にならない声でつぶやいている。そういえば日が高くなるにつれ気温は上がっているはずなのだが、同時に強くなっていく風のせいで体感気温は下がっている気がする。
豪華会場は貸し切り
ともかく僕の出番まではまだ1時間ほどあるはずだ。今のうちにピット以外の様子もお伝えしておこう。
会場の富士スピードウェイはF1の公式コースというだけあってその設備はまさにワールドクラス。これら施設が今回は使い放題なのだ。パドックやレストランの設備はもちろんのこと、クリスタルルームと呼ばれるスポンサー用のVIPルームも今回は自由に使ってよいことになっている(F1開催時には使用料だけで3~40万円するらしい)。
待っている間に食べたソバとオムレツがすごい美味しかった。それからこの寒さの中、ピット内に大音量で流れていたサザンは合わないよな、と思ったことも覚えている。
肝心のスタート前になぜこんなこと書くのかというと、正直ここから先は夢中で自転車を漕いでいた記憶しかないのだ。ぜんぜん周りが見えなかった。
前のドライバーがピットに入り、僕にヘルメットを渡す。いよいよ富士をママチャリで走る番がやってきた!
ようやく漕ぐぞ!
気合いを入れてまたがった我らがマシーンはママチャリにもほどがある、と言いたくなるくらいにママチャリだった。
ハンドルがどういう意図で設定されているのかわからない方向を向いている。一応3段変速が付いているのだが、ギアチェンジをしても特になにも変わらず、気にせず走っていると「そういえば!」という感じでガクッと「入る」。
しかし今はこいつが相棒だ。頼むぞ、ママチャリ、途中で壊れんなよ!
ピットレーンを出て本線に合流するとすぐに目の前が大きく右斜め下に曲がりながら落ち込んでいる。これが第一コーナーなのだ。道路脇にはまだ雪が残っているのだが、それ以上にコーナー横に待機する救急車に目を奪われた。
急いで前傾姿勢を取り、ハンドルにしがみつく。するとカーブに吸い込まれるようにまったく漕がなくてもスピードが上がっていく。カーブを曲がりながらのブレーキングはタイヤが流れて危険なので、できることなら漕いで動力を伝えておきたいところなのだが、町乗り用のギアでは速さに足の回転が追いつかないのだ。
そうこうしているうちにハンドルがガタガタ振動し始める。「気がついたときには制御不能に」の言葉がちらちらと蘇ってくる。
景色が流れる、車体ががたつく、凍った風が顔を突き刺す。びくつき両足で路面を触りながら前半の下りをなんとかこけずにやりすごした。
生きた。
しかしほっとしたもつかの間、下った次にはちゃんと登りが待っているのだ。その迫力や山の如し、そんな気合いの入った登りだった。
前半の下りで転ばなければレースは後半がすべてと言ってもいいだろう。極端な登り坂に加え、富士山から吹き下ろす凍った風がずっと僕らを押し返し続けるのだ。
周回を終えたドライバーが口を揃えて「風が・・」と言っていた意味がようやくわかる。透明の壁が目の前にあるみたいなのだ。当ると痛い。
これ富士山登ってるんじゃないのか、と思えるくらいの坂、連続コーナーそしてママチャリには深すぎるバンクが次から次へと登場してレーサーの行く手を阻む。
自転車を降りている人がほとんどだったが、僕らのチームは意地でこぎ続けることを命ぜられていたため変な角度のハンドルに身をよじりながらも坂に立ち向かっていった。だけど正直降りて歩いている人とさほど速度は変わらなかったと思う。
エンジンすげえ、これが感想だ。
「パナソニックコーナー」と呼ばれる最終ヘアピンをだくだくになりながら抜けるとあとは延々と伸びるホームストレートが待っているのだが、僕にはもうここを走る体力は残っていなかった。そのまま右へ逸れピットレーンへと流れた。
果てた
たった一周走っただけなのに、なんでこんなにヒザがカクカクしてるのか。加えて寒さで口がまわらないので鼻水といっしょによだれが出てる。7時間走ることを考えるとこれがあと3周くらいまわってくるわけだ。大丈夫か。