ふみちゃんと私
私がふみちゃんの存在を知ったのは2年前。「
手打ちもいいけど!楽しい機械のうどん屋さん」という記事の取材である。
うどん作りに関する機械が大好きな所長から、今一番気になっているうどんガジェットとして教えてもらったのが、ふみちゃんだったのだ。
所長にみせてもらったふみちゃんの画像。きれい。
画像で見たふみちゃんは、想像以上に人型ロボットだった。まるでマネキンのような顔立ちのふみちゃんが、一体どんなふうに生地を踏んでくれるのだろう。そもそも人型である意味はあるのか。
所長の話では、ふみちゃんが残っているのは香川県のうどん屋に一体だけらしい。いつか逢いにいこうとか思っているうちに、こういうものは無くなってしまうんだよなと、行動力の足りない自分に悲しくなった。
ふみちゃんは鳥取にいた
そして昨年である。鳥取県大山町を旅行中、地元の方に教わった美味しいうどん屋さんに、ふみちゃんらしきロボットがいるという情報を得たのだ。
「うどんの生地を踏むロボットがあるのよ。動いてるのはみたことないけど」
それはふみちゃんに違いない。別のロボでもそれはそれで大発見だが。動いているのはみていないとのことだが、ふみちゃんはまだ現役なのだろうか。
この醍醐という店で、ふみちゃんは働いているらしい。
店の向こう側はすぐ海という気持ちの良い立地だが、潮風がふみちゃんを錆びさせないかと不安になった。
これは違うな。
店の扉を開けると、すぐにふみちゃんの姿が目に飛び込んできた。
ふみちゃん!
「……」
無口なふみちゃんの代わりに、お店の方がいらっしゃいませと声を掛けてくれた。
ふみちゃん、どうやらしゃべる機能は付いていないらしい。
このふみちゃんは昭和56年生まれ
席を案内していただく前に、ちょっと写真を撮らせていただいた。
これは本当にふみちゃんなのだろうか。それにしても、なぜ鳥取にふみちゃんがいるのだろう。
きりっとした表情が眩しい(窓の外が海で思いっきり逆光)。
お店の方の話だと、さぬきを意識したうどんの生地作りをサポートするため、昭和56年にこの店へ香川県から嫁いできたそうで、「ふみちゃん」や「ふみこさん」と呼ばれて、長らく看板娘として働いてきたそうだ。そうか、やっぱりあのふみちゃんだ。
昭和56年ということは、このふみちゃんは36歳(2017年当時)なのか。この店でどれだけ大切に扱われてきたのかは、その顔を見ればわかるだろう。
パッチリ二重にしっかりとしたまつ毛。そして赤い口紅。美人だ。
36歳とは思えない肌艶。そしてマネキンのような端正な顔立ち。
マネキンのような顔というか、おそらく上半身はマネキン人形なのだろう。
マネキン学校を卒業するとき、多くの同級生はデパートやブディックといった華々しい売り場へと就職したが、この娘は香川県でふみちゃんとなり、生地を踏み続ける道を選んだのだ。
そんな青春物語をねつ造したくなる魅力的なロボットなのである。
腰の拳銃を素早く抜くかのような左手。
ふみちゃんは今も現役だった
こうなると気になるのは、ふみちゃんが今でも現役として使われているかである。
お店の方に確認すると、なんと毎朝お店の開店前に、ここで生地を踏んでいるそうだ。この店のうどんは、36年間ずっとふみちゃんが踏んだ生地なのだ。
設計段階で人間らしさと作業効率の狭間で揺れたであろう白い足。膝に注油と書かれている。
ふみちゃんがふみちゃんである所以は、その下半身にある。上半身は微動だにしないマネキンだが、下半身は脚が力強く上下に動き、生地を踏むようにできている。
少し内股に構えたこの両脚で、毎日生地をふんでいるのだ。そしてよく見ると、ふみちゃんは浮いていた。
ここに(おそらくビニール袋などに入れた状態で)生地を置いて、ふみちゃんが踏むことで鍛えている。
ふみちゃん、やはり香川県出身のようだ。
貴重なふみちゃんのバックショット。
ものすごく野暮だし、失礼だし、恥ずかしいことなのだが、どういう仕組みなのかが気になって、ちょっと裾をめくらせていただいた。
ふみちゃん、ごめん!
チラッ。
なるほど、思っていた以上に機械だ。
メーテル、いや、ふみちゃんは太もものあたりで後ろの機械と連結しており、そこから動力をもらって足を上下させるようだ。
特別に動かしていただいた
こうして構造を知ると、やっぱりふみちゃんは生地を踏むための機械であり、人型にした理由がまったくないように思える。
しかし、何か人型にした理由があるのだろう。ふみちゃんと名前をつけた意味があるはずだ。
ふみちゃんが踏んだ生地を、ご主人が伸ばして切るという分業制。
そして疑問がもう一つ。ふみちゃんの足が上下するだけで、うどんの生地はちゃんと鍛えられるのだろうか。同じ場所で上下しただけでは、均等に力が加わらないだろう。
動いているふみちゃんが見たい。そこでダメモトでお願いしてみたところ、生地無しでよければと電源を入れていただけた。
お手数をおかけします!
足踏みをするふみちゃんをみて驚いた。
足が上下するのに合わせて、なんと生地を入れるタライが回転するのだ!
これがほんとのタライ回し。なるほど、これなら足を上下する場所が固定でも、生地をむらなく踏むことができる。生地を踏む縦の力と、タライを回す横の力が合わさることで、美味しい生地ができるのだろう。
生地を踏むふみちゃんは美しかった。人型にする意味は一目瞭然である。この人に見せたくなるふみちゃんの作業を、お客さんがいない開店前にしているというのも奥深い。
このお店にとってふみちゃんは、看板娘ではあるが見世物ではなく、店員、いや家族の一員なのだろう。
ふみちゃんのうどんをいただく
ふみちゃんの踏んだうどんをいただくと、口当たりの良い麺肌はふわっと滑らかで、噛むとモッチリとした優しい弾力が伝わってきた。
ふみちゃんらしいうどんだなと思った。
これがふみちゃんの踏んだうどんです。
単純なコシの強さよりも、食べ飽きない喉越しの良さを目指したうどんなのだろう。ふみちゃんの鳥取での幸せな生活が感じられる、なんだか嬉しい一杯である。
なんて気持ち悪いプロファイリングをしなくても、とても美味しいうどんでした。
窓からの景色がよかった。
今の時代、粉と水をあわせるところから麺にするまで自動でやってくれる製麺機もあるだろうに、あえて生地を踏むだけという単機能のふみちゃんを現役で使いつづけるご主人のこだわり。
基本はご主人による手打ちのうどん。体力的に大変な生地を鍛えるところをふみちゃんがサポートすることで、この醍醐の味が守られているのだろう。
ふみちゃん、この店にきてよかったね。
念願のツーショット。
ありがとう、ふみちゃん。またいつか逢おう。
名残惜しくて、翌日もう一回来た。
ふみちゃんに私の生地を踏んでほしい
そんな話がありまして、ふみちゃんが欲しいなーという無茶な考えが頭をちょっとだけよぎった訳です。
ふみちゃんはもう製造していないし、第一どこにあんな業務用アンドロイドを置くんだという話ですよ。
でもせめて一度でいいから、私が作った生地をふみちゃんに踏んでもらい、それを麺にしてみたい。
俺の作った生地を踏んでもらいたかった。
鳥取の醍醐にお願いすれば、もしかしたら踏んでもらえるかもしれない。でもあれはご主人の大切なふみちゃんだ。
そこで私自身が、ふみちゃんになる決心をした。
こんにちは、ふみちゃんです。あまちゃんじゃないよ。
ふみちゃんになって生地を踏む
ふみちゃんが欲しい。ふみちゃんに生地を踏んでほしい。そんな気持ちが高まって、婦人服売り場で私でも着れるサイズの割烹着を買ってしまった。
おそろいの赤い前掛けはネットで探したのだが、問題は上着だった。ああいう可愛い柄の和服で男性サイズが見当たらず、結果としてだいぶおばさんくさいふみちゃんになってしまった。
担当編集の古賀さんを付き合せて、ポーズの確認をおこなう。腕の角度が難しい。
アニメのキャラが好き過ぎて、コスプレにハマる人の気持ちが今ならよくわかる。女装や男装をする人の気持ちもわかる。自分は一つだけじゃない。
ふみちゃんになった私の気持ちが、その人達にわかるかは謎だが。
「踏むときの脚の角度が大事ですね!」と、ちゃんと付き合う古賀さん。
私がふみちゃんになるのではなく、古賀さんがふみちゃんになるのが正解なのではという気もしたのだが、それは製麺ハラスメントというものだろう。
ふみちゃんに近づいた気がする。
私が生地踏みアンドロイドのふみちゃんとなり、無表情で脚を上下させる。
そして古賀さんに生地を置いた鍋を回してもらった。
やってみるとよくわかるのだが、足元が回転すると人は転びそうになる。
ぶれることなくあの上下の動きができるのは、実は後ろから固定されて浮いているふみちゃんだからこそ。
人には人の、ロボットにはロボットの、生き方やうどんの作り方があるのだなと思った。
それでも生地はしっかりと鍛えられた。
こうしてふみちゃんの格好をして(だいぶ違うが)生地を踏むことで、なんだか自分の中で開けなくてもよかった扉が開いたような気がした。
いつかまた鳥取のふみちゃんに、そして香川にまだいるはずのふみちゃんに逢いに行こうと思う。この格好で。