東京駅
10年前(2007年)の東京駅
現在の東京駅
上の写真が10年前の東京駅だ。下が現在。たった10年前なのに、当時の東京駅の昭和っぽさがすごい。地面が赤茶色だ。
このときぼくは31歳で、上野から築地の海まで
まっすぐ行く途中だった。道路や建物を無視してまっすぐ行くのだ。意味が分からないかもしれないが、とにかくその途中で撮った東京駅が残っていた。
八重洲口にでかい屋根がついたのは2013年のことだ。グランルーフという。 駅舎を大正当初のデザインに復原した次の年にできた。
そういえば東京駅、復原したんだったね!といま思い出した。街の風景がいったん変わると、なかなか元のようすが思い出せない。
虎ノ門
10年前の虎ノ門
現在の虎ノ門
10年前、虎ノ門は環状2号線工事のための用地取得の真っ最中だった。歯抜けになった街というのはなかなか見慣れるものじゃない。
当時の写真とぴったりの場所を探すのは少し苦労した。でも、ちゃんと手がかりがあった。
奥にある「森ビル17」だ。
森ビル17
虎ノ門17森ビルは1970年に建てられた。そのころ、森ビルはこういう番号がついたビルたくさん建てていた。ナンバービルという。以前、1番から順に全部調べたことがあるから、17番がどこにあるかも分かっていた。
現地に行ってみると、風景はほとんど変わっていたけど、ちゃんと同じ場所に残っている建物もあって、手がかりになった。
右側の茶色い建物がいっしょ
右の茶色のビルを見て、ああ、残っていた!という気持ちになった。ただ、肝心の17森ビルはもう残っていなかった。そこは虎ノ門ヒルズになっていた。
銀座
10年前の銀座
現在の銀座
銀座SIXができる前の松坂屋ってどんなだったっけと写真を見返していたら、ちゃんと10年前に撮っていた。ただ、撮った理由はさっぽり覚えていない。
銀座SIXは森ビルによる再開発事業だ。森ビルというと地上げしておじいちゃんを追い出す悪い奴と思っていたが、いろいろ調べてみると新橋の小さな貸しビルから始めて知恵と勇気で港区を開拓していったんだなと感じる。
ここみたいに港区の外で森ビルを見かけると思わずがんばれと声をかけたくなるのだが、ぼくなんかが応援しなくても大丈夫なことも知っている。
飯田橋
10年前の飯田橋
現在の飯田橋
飯田橋駅の西口! まさかなくなるとは思ってもいない10年前に写真を撮っていた。
その頃ぼくは、東京を山に見立てて登山する「
都市登山」をしていた。飯田橋は九段坂上への登山口だったのだ。
飯田橋駅の曲がったホームの代わりに、まっすぐのホームをもっと西側に作る。だから西口の駅舎はいらなくなる。なるほど。
街中、いつでも工事してる。でもその背景はあんまり知らない。よく行く場所じゃなければなおさらだ。
アパホテルがあちこちに
日暮里駅周辺のなんでもない写真も撮っていた。
10年前の日暮里
現在の日暮里
ほとんど同じなので、間違いさがしみたいだ。奥のマンションが3棟になった。その足元に白いカマボコ型の駅舎が出来ている。京成電鉄だ。そして右側に黒いアパホテルができてる。
上野の不忍池の写真もあった。
10年前の不忍池
現在の不忍池
これもほとんど同じだけどいくつか建物が増えてる。こんなふう。
現在
上野松坂屋、たしかに工事してた。今こんな見ためなのか。
そしてここにもアパホテルができてる。去年オープンしたらしい。じつは、自宅のある巣鴨の駅前にも去年新しくできた。なんかこのところ増えてる気がする。
アパホテルの最近の増え方をグラフにしてみた。
2000年以降のアパホテルのオープン数
増減はあるもののコンスタントに増え続け、最近では一ヶ月に一つ以上の割合でオープンしている。増え続けるものというとドラえもんの「バイバイン」で倍々に増えるどら焼きを連想するんだけど、そこまでじゃないか。
大手町は変わりすぎである
10年前の大手町
現在の大手町
大手町の東京サンケイビル前に、赤い巨大なマカロニのようなオブジェがある。当サイトライターの大北さんによる
タイムリーな記事があるのでそちらを見るのがいい。
マカロニはまったく変わらないが、後ろのビルはごっそり変わっている。もともと「JAビル」(1965年)だったものが「大手町フィナンシャルシティサウスタワー」(2012年)になったらしい。
ちょっと「ちいさいおうち」感がある。おうちはずっとは変わらないのに、周りの街だけが変わっていくのだ。「おおきいマカロニ」という絵本にしてもいい。
ここに限らず、大手町は近年変わりすぎである。たとえば、その名も「大手町」という交差点の風景。
10年前の大手町
現在の大手町
まったくもって資料としか言いようがない単なる交差点の写真を10年前に撮っていたことについては、なんとなく自分を褒めてあげたい。
信号は同じとして、奥に見えるビルが総とっかえなのだ。こんな具合。
建て変わったビル
大手町については、高度経済成長期のビルが老朽化して建て替えているという事情もある。ただ、大手町タワーの前にもともとあった「大手町フィナンシャルセンター」の竣工は1992年。最近なのだ。高さ100メートルを超える超高層ビルが、わずか19年で命を終えることになった。
夏目漱石「三四郎」は明治時代の小説だが、上京した三四郎が見た東京の景色はこんなだった。
「三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。(略)どこをどう歩いても、材木がほうり出してある、石が積んである(略)。すべての物が破壊されつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。たいへんな動き方である。」
いまの東京も変わらない。
なんでもない写真、まだ大量にある
8年前に子どもが生まれたので、当然こどもや家族の写真も撮っている。
ただ、単なる道路にしか見えないような写真も大量に撮っているので、家族の写真が埋もれがちだ。そこは困っている。
うまく整理して、どちらも捨てないでおきたいと思う。