鬼まんじゅうとの出会い
愛知にある実家の近所には「まんじゅう屋」があった。僕が小学生の頃の話である。
まんじゅう屋といっても当時は駄菓子をメインに販売していたように思う。お店の奥が工場になっていて、そこでまんじゅうを蒸していたので近所では便宜上「まんじゅう屋」と呼ばれていたのだ。蒸したまんじゅうは、たぶんどこかへ卸していたのだろう、お店では売られていなかった。
僕たちはよくまんじゅう屋で駄菓子だとか消しゴムだとかジャンプだとかを買っていた。
まんじゅう屋には「まんじゅう屋のおねえさん」がいて、当時たぶん20代の後半くらいだったと思うんだけれど、毎日お店を手伝っていた。蒸したまんじゅうの湯気でうなじに髪を張り付かせながら割烹着で働く「まんじゅう屋のおねえさん」は、大人に向かう僕たちの夢に幾度となく登場したものである。
先日、たまたま実家を訪れる用事があったので、近くの寺にある先祖の墓を詣ったのだ。その途中、ふとまんじゅうのにおいがした。
いまでも蒸しているのだ
時は流れ、あれからすでに30年である。まんじゅう屋は駄菓子販売業務はやめてしまっており、今では道に面した部分は普通の住宅に改築されていたのだが、奥からもれてくるにおいが明らかにまんじゅうであった。湯気も出ている。
まんじゅう屋のおねえさんがいるのかもしれない。
不意に胸の高鳴りを感じた。しかし10歳くらいだった僕がいま40歳ということは、だ。時の流れる速度がここでも同じであるとしたら、当時20代後半だったおねえさんは60に近いということになる。今まんじゅう屋のおねえさんに会ってしまったら、死ぬ間際に見るという走馬灯は上書きされてしまうのではないか。すまないおねえさん、自分勝手で申し訳ないが、それはいささか殺生である。
僕は当時抱いていた青い思い出を胸に、まんじゅうのにおいをふりはらいながら先祖の墓へと向かったのだった。
なんの話か。そうだ鬼まんだ。
そのまんじゅう屋で毎日何十何百と蒸していたのが「鬼まんじゅう」だったのだ。
そもそも鬼まんじゅうとは何か
「鬼まんじゅうは、薄力粉もしくは上新粉と砂糖を混ぜ合わせた生地に、角切りのさつま芋を加えて蒸した菓子である」とウィキペディアに書いてある。表面に突き出たさつま芋が鬼に見えることからそう呼ばれているのだ。「戦前は今より黒っぽい色で鬼のような不気味さがあった」とも書かれていた。
鬼まんはなぜか愛知を含む東海地方でしか見たことがない食べ物である。たぶん、これはこれで美味いけど、全国展開するほどでもないわな、と、みんな思っているのだろう。
芋と小麦粉、言ってしまえばやぼな食べ物である。しかし愛知では誰もが知っている食べ物なのだ。
そんな鬼まんじゅうが売られている様子を見てみよう。たとえば名古屋駅。
名古屋駅はすごくきれいになりましたよね。
バレンタインデーが近いのでディスプレイも西洋風に。
JR名古屋駅は僕が愛知を離れてから改装され、当時の面影がまったくないくらいきれいになった。僕が知っている名古屋駅は床に寝ている人がいたり外国人がテレカ売っていたりしたものだが、今では東京とか大阪なんかと比べても見劣りしないほどに洗練されている。
そんなキラキラとしたビルヂングだが、いったんエスカレーターで地下にもぐると、そこには鬼まんが売られている。
おかえり。
ただいま。
近未来的都市へとスマートに変貌を遂げた名古屋駅だが、太閤通口からエスカへ降りるとみそカツとか両口屋とかがあってほっとするし、桜通口から地下へ降りるとこの通り鬼まんが売られているのだ。
思うのだけれど、愛知の人って派手なことが好きなわりに鬼まんじゅうみたいな「里のおいしさ」もけっして忘れない。外で見栄を張る分、家ではホッとしたいのだ。
うちの親なんかも名古屋で買い物した帰りにわざわざ知立(ちりゅう)まで行ってあんまき買って帰ってきたりしてた。あんまきについてはこれもまた思い出深いので機を改めて紹介したい。
しかしこの鬼まん、僕たち愛知県出身者からすると、どこにでも売られているような気がしてならないのだけれど、あらためて探してみると意外とそうでもないのだ。
次のページでそのへんのことを話したい。
鬼まん、どこに売っているか問題
愛知県の人が近くにいたら聞いてみてもらいたい。鬼まんってどこに売っているんですか、と。
おそらく「そんなもんどこでも売っとるがね」と答えるだろう。そんなものはどこにでも売られているだろう、という意味である。
愛知出身の僕からすると確かにそうなのだ。鬼まんなんてどこにでも売っていた気がする。しかし、今になって探してみると、わりとどこにも売っていないのだ。
せっかくなのでここでいくつか鬼まんの名所を紹介したい。
鬼まんといえば覚王山(かくおうざん)
愛知で鬼まんじゅうと言えば「覚王山」と言われるくらい覚王山駅周辺には鬼まんじゅう屋さんが多い。
覚王山「梅花堂」は鬼まんじゅうといえばここ、と言われるほどの老舗である。店頭の電光掲示板に「鬼まんじゅうあります」と流すほどの鬼まん推し。
毎日夕方には売り切れてしまうらしいから確実に買いたい人は予約をしてもらいたいのだけれど、そこまでする食べ物でもないと思うから売り切れていたらお店にある他のもっと美味しいお菓子を買えばいいと思う。
記憶では50円くらいだった気がするけど、それは30年も前の話である。
愛知に観光でやってくる人が行くようなお店に、鬼まんはない。それは鬼まんが外に向かずに、内なる消費者に向けて蒸されているからであろう。インバウンドマーケティングである。
さて、幸運なことに鬼まんを買うことができた諸君はできるだけ早めに食べてもらいたい。理由は後でわかる。
これが基本の鬼まんである。
この記事もう愛知出身者にだけわかればいいわ。
断面。
鬼まんは重い
鬼まんをはじめて手にするあなたは、おそらくその重さに驚くことだろう。鬼まんは重いのだ。
鬼まんが重い理由はその密度にある。鬼まんは他の食べ物に比べ、とにかく密度が高い。材料がみっちみちに詰まっているのだ。
角切りにしたさつま芋を粘度の高い小麦粉で固めて蒸してあるのだが、その弾力たるや、予想を遥かに超えくる。できたての鬼まんはまだ柔らかいが、一日経った鬼まんは、半分に割ろうとしても割れずに弾力で元に戻ろうとする。だから買ったらすぐに食べるべきなのだ。
せっかくなのでもう一店、鬼まんの人気店を紹介したい。
こちらも覚王山の名店、吉芋。店名からして芋のお菓子専門店である。
同じく覚王山にある「吉芋」。店内は主に芋を材料とした和菓子がならぶ。ここの鬼まんは少し洒落ている。
吉芋の鬼まんじゅうは見た目が上品。
芋が細かい。
吉芋の鬼まんじゅうは他のどの鬼まんじゅうよりも芋の刻みが細かいと思う。生地にも工夫があって、これはちょっと食べてみてもらいたいのだけれど、鬼まんじゅう独特の過剰な弾力がないのだ。もっちりみっちりしている中にも、ほんのりとしたエアーを感じる。常識的な「まんじゅう」に寄せた仕上げである。
味も上品。キメが細かい。
味はどうなの
ところで、ここまで鬼まんの味についてほとんど言及しなかったのは、これがまったくもって想像どおりの味だからである。
つまり鬼まんはさつま芋を小麦粉でまとめて蒸した味であって、それ以上でも以下でもないのだ。良く言えば素材の味を生かした素朴な味であり、言ってしまえばそのまんまである。鬼まんが美味い、というのは、さつま芋が美味い、とほぼ同義なのだ。
ところで鬼まんで有名な覚王山駅周辺はとにかく坂が多い。
写真で伝わるか不安だが、ものすごく急。
山寺か、というくらいの階段。
坂を登ると3階が地上とつながっているスーパー。
坂が多いのと鬼まんじゅうのお店が多いのと、なにか関係があるのではないかと思って考えたが、たぶんないからこの話はこれで終わる。
でもこの坂の途中に建てられたスーパーにも、鬼まんは売られていた。
スーパーにはだいたい売られていますね。
鬼まんは重いしでかいので、いくつも食べられないと思うだろう。
こんな巨大な芋と小麦粉の塊をいくつも食べられるものか。
横から見ると非常に扁平しているのがわかる。これが愛知の人が鬼まんをたくさん食べられる理由である。
おそらく蒸す過程において自重で扁平してしまうのだろう。おかげで食べやすくなっている。鬼まんは自ら、人に食べられやすい形へと進化をとげたはじめての食べ物なのだ。帰りの新幹線で3個食べた。
以上、鬼まんのレポートでした。鬼まんは節分の時期に限らず、さつま芋がとれる間はいつでも食べられるので、愛知に行く機会があったら食べてみてください。のどに詰まりやすいので飲み物と一緒に。
鬼まんで泣け
他県の人に鬼まんを勧めるとき、僕はいささか躊躇する。たぶん「わー、なにこれ、美味しい!」とはならない気がするからだ。
ある一定期間、愛知や東海地方で変なものを食べながら暮らしたことのある人を、限定して泣かせる食べ物だと思うんですよね、鬼まんって。