なりたいものになる
人は夢を持つ。それは実現するのが難しいかもしれない。しかし、あきらめるとダメなのだ。「お箸」にだって、「と」にだって、「ショートケーキ」にだってなれるのだ。可能性は無限大なのだ。どんどんなっていこう、「と」とかに。ととととと。
無機物というものがある。身近にあるものは大抵そうだ。コップやお箸、平仮名などは生き物ではない。
これに嫉妬してしまうことがあるのだ。
もちろん全てにではない。2つで1つのようなものに嫉妬する。 たとえばお箸とか。2つで1つ。そのようなものを羨ましく思い、嫉妬してしまうのだ。そこで自分がそれになろうと思う。
世の中には2つで1つの機能をするものがある。あるいは、1つでも機能するけれど世の中的にセットだよね、と思われているものもあるだろう。箸は2つで1つだし、夫婦茶碗は1つでも機能するけれど、2つで1つのような顔をしている。
このようなものに嫉妬しまう自分がいる。とても便利なものたちだけれど、「君ら仲良いな」と嫉妬してしまうのだ。そこでその仲を裂きたいと思う。お前ではない、俺がやる、ということなのだ。
お箸なんてお手本のような2つで1つだ。一本では機能しない。掴めないのだ。2本揃って1つとなる。ここに嫉妬してしまうのだ。私は一人暮らしだから、2つで1つが羨ましい。そこで私が割って入ろうと思う、二人の仲に。
仲を裂くのは申し訳ない気がするけれど、私も仲良くなりたかったのだ。だから、箸になったのだ、私が。多くの方がお箸の仲のよさを羨ましいと思っているはずだ。だったら自分がお箸になればいい。あきらめてはダメなのだ。行動しなければならないのだ。
平仮名は日本で生活する上では欠かせないものだ。いまこうやって書いている、あるいは読んでいるのも平仮名だ。漢字やカタカナもあるけれど、基本は平仮名。小学校でもまず最初に習うと思う。
誰もが見たことある平仮名の一覧。嫉妬すると思う。嫉妬するに決まっている。ふつふつと言葉にはできない嫉妬が心の奥底から湧いてくるはずなのだ。もちろん全ての平仮名に対してではない。特定の平仮名にだけだ。
「こ」、「い」、「に」などには嫉妬しない。たとえば「い」は2本の線で構成されているが、それぞれの線が距離を保っている。互いに体を寄せ合って、みたいなことはないのだ。「こ」や「に」も心地よい素晴らしき距離を保っている。だから、別にいいのだ。むしろ頑張れよ、とすら思う。
「す」は重なっている。とても重なっている。横の棒に縦の棒が重なりあっている。別にこれも嫉妬はしない。もはやこんなにも重なっていれば、あきらめが付くと言えばいいのか、逆に許せてしまう。
これはカタカナではあるが「メ」も同じ理由で許せる。こんなにも重なっているのならば、もう好きにしてくれ、と思うのだ。私たちの入る隙がない。ここまで重なり、貫通していると、嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない。そんな状態なのだ。
日本中が「と」に嫉妬しているはずだ。「い」や「こ」、「に」のような、むしろ応援したくなる距離はなく、「す」や「メ」のような、憧れすら届かない重なり具合でもない。初々しい感じで重なり合っている。
「と」を知るものたちの嫉妬の声が聞こえる。私にだけは聞こえていますよ。「と」に最初にイライラするのは中学生の頃だろう。その後は「と」を書く度にイライラする。しかも、平仮名ができて以来、ずっと初々しいのだ。腹が立つ。
「と」は二画だ。関係ないけど漢数字の「二」もいい距離だよね、好きです。「と」の一画目をなきものにして、私がなろうと思う。「と」の一画目もまさか、と思っているだろう。しかし、私だって「と」の一画目になれるのだ。
満足。「と」に嫉妬を覚えた中学以来、私は「と」にはなれないと思っていた。「と」と書く度に悔しい思いをしていた。しかし、今日から「と」の一画目は私なのだ。そう思うと「と」を愛おしく思えてくる。無駄に書いておこう。ととととととととと。
ケーキは甘くて美味しい。その甘さは味だけにしてくれよ、と常々思っていた。ショートケーキとイチゴの関係だ。味だけではなく、君らの関係も甘いな、と嫉妬してしまうのだ。ショートケーキとイチゴはセットのような感じで当たり前のように戯れているのだ。
毎月22日は「ショートケーキの日」だそうだ。なぜならカレンダーを見ると必ず「15日」が上に来るから。「15」は「イチゴ」ということ。カレンダーでも戯れつくのかと腹が立つ。皆さんもそうだと思う。そうに決まっている。
下のスポンジと生クリームだけで十分甘いからね。なぜ一番甘くないと思われるイチゴが一番上にあるのだ。嫉妬を通り越して怒りすら覚える。イチゴに俺がなる、ということだ。そのポジションを奪うのだ。
満足であると同時にイチゴの苦労もわかった。暑いのだ。とても暑いのだ。イチゴにただただ嫉妬してきたけれど、イチゴにはイチゴの苦労があったのだ。お箸にだって、「と」にだって苦労はあっただろう。そこを理解できる素晴らしき企画だった。
人は夢を持つ。それは実現するのが難しいかもしれない。しかし、あきらめるとダメなのだ。「お箸」にだって、「と」にだって、「ショートケーキ」にだってなれるのだ。可能性は無限大なのだ。どんどんなっていこう、「と」とかに。ととととと。
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