私も成長しました
冒険心のない見知った安心な料理を食べたい。それが子どもの頃の私の希望だった。
ハンバーグといえばマクドナルドのハンバーグだったから、モスバーガーのハンバーガーを「これじゃないんだよな」と思った記憶もある。今の悪食ぶりからは考えられない、ずいぶん繊細な子ども時代だ。
ボンゴレそばも、おでんカレーも今なら全然アリだ。ウニとかビールとかをおいしいと思うようになった以上に、ボンゴレそばやおでんカレーを食べられるようになったことに、強く、大人になったなあと思う。
母が昔、スパゲティ用に作ったソースを蕎麦にかけたのだ。カレーに具として前日のおでんを入れたのだ。
子どもの頃の私はショックだった。そりゃないよ、と思った。実際あまり美味しくなかったと覚えているのだが、妹弟は文句を言わずに食べていた。
あの料理は何だったんだろう。再現して15年ぶりぐらいで食べてみることにした。
母と、そして私の成長が見えた。
※2008年12月に掲載された記事の画像を大きくして加筆修正し再掲載しました。
ボンゴレ蕎麦とおでんカレー。こういう母料理というのはどの家庭にもエピソードとしてあるものだろう。大阪のおかんをおもしろく紹介するテレビ番組で、お弁当の具が全部たくあんだったという心温まるエピソードを見たことがある。
そういうものを大人になったいま冷静に食べたらどう思うのか、体感していきたい。
名誉のためにまず言うが、母はとても料理がうまい。私の知らない食材もよく知っているし、面倒で手のかかる料理もしっかりおいしく作る。あるものでチャッチャというのももちろん得意だ。
が、それは私がだいたい高校を卒業したぐらいからの話だと思うのだ。
そう、私が子どもの頃はあまり料理がうまくなかった。主婦としての経験を積んで徐々に料理のスキルを上げていったっぽい。
かくいう私も大人になれども料理は下手なままだ。私も母と同じように最終的には料理が上手くなってればいいなとも思う。
で、ボンゴレそば、である。
これは私が小学校5年か6年ぐらい、土曜の昼ごはんあたりで出されたメニューだったと記憶している。
母の実家が魚屋を営んでいるため、我が家の食卓にはよく魚介が出た。この日母はいつものように送られてきたアサリを使ってスパゲティにでもしようと思ったようだ。
アサリとホールトマトでソースを作る(このスパゲティー、ボンゴレ・ロッソっていうみたいですね)。
ところが。
さあ、ソースの準備ができてきた。スパゲティを茹でないと……と思ったら、なんと自宅にスパゲティがない。
買いに行くにもコンビニやスーパーは車を出さねばならない距離にある。面倒だし、5人の子ども(私は5人兄弟なんです)が食事を今かと待っている。
どうしようと、と思った母が見つけたのが、そばだった。
母は、迷わずそばをゆでた。
この間、子どもたちに何らかのアナウンス(スパゲティがなかったから、そばにトマトソースかけるからねー、等の)があったかどうかは忘れてしまった。
とにかく そうして出てきたものが、アサリの入ったトマトソースがそばにからんでいたものだったのだ。
ボンゴレそばである。
当時は、えーっ!? と思った。ありえない、ありえないですよ お母さん! という気持ちだった。母にも料理にも非常な反発を感じたことをよく覚えている。
味も美味しくなかった。好き嫌いのほとんどない私でも確か完食できなかった。でも残りは妹弟が食べていた! おいしいおいしいといっていた妹や弟にも強い驚きを感じた。
15年以上を経て、今ここによみがえったボンゴレそば。初見で「あれ?」と思った。なんだか、違和感がない。美味しそう……じゃない?
確かにスパゲティのソースにそばがからんでいるけど……
これ、アリだ。
食べたら、美味しかった。えー? 子どものとき、あんなに反発心を感じたのに。当時のことを母や妹弟に聞いても誰も覚えていなかったのを、しつこく覚えているほど忌々しがっていた料理だったのにー。
アサリの出汁がソースに凝縮され、そば粉の独特の風味にからむ。これなら、自分で食べるなら十分アリ、いや、家族にもアリ、いやいや、店でもアリなんじゃないか。
と思って、はて? と検索してみたら、実際にそれっぽい料理がかなり引っかかってきた(検索「ボンゴレ そば」)。どの写真を見てもとても美味しそうだ。
「大人の味」という言葉がある。そばの風味は大人の味と言えるし、それで私は食が進まなかったのかもしれない。いや、でも他の妹弟たちは美味しいと平らげていたのだった。
なんで当時の私はあんなに反発したんだろう。
考えながら、母の伝説の料理も2品目、おでんカレ-を食べてみます。
ボンゴレそばが美味しかったのはまさかの事態であった。が、母の伝説的料理はこれだけではない。いくつかある中でボンゴレの次に覚えているのが おでんカレーだ。
おでんは大量に時間をかけて作るのが身上の母、この日もたくさん作り、そして少し余ってしまった。
これをどうしたかというと、翌日のカレーの具にしたのだ。
このことについては全くアナウンスなしで供されたことを覚えている。誰もがおでんが入っていることを知らずに、普通のカレーだと思って普通のカレーとして食べ始めたのだ。
再現した。
うっかりコンニャクが顔を出してしまっているが、割と普通だ。知らなければおでんが入っているとは思わない。これがこの料理のミソだ。
私はびっくりした。そしてがっかりした。なんで、おでん入れるんだよう、お母さんよう。びっくり要素が事態を深刻化させたといってもいい。
そんな、とにかくびっくりしたことだけしか覚えてない。なので、味のことは忘れていた。全部食べたのか、残してしまったのかも忘れた。
今回の再現をもって、ボンゴレ同様15年以上ぶりに味を確かめることになる。さて。
味は、おでんとカレーの味であった。
カレーの中におでんが入っている味である。めくるめくそのまんま感が口の中に広がる。おでん、カレー、おでん、カレー、おでん、カレー……。
それはどうなのかといえば、「どちらも好きなので、悪くはない」というのが素直な感想だった。そう、悪くないのだ。
入っていることを知らないとギョッとなるかもしれない(ジャガイモだと思った具がおでん味の大根だったときはがっくりきた)が、味としてはそれほど恐ろしい化学反応を起こして食べられないような状況になっているということもない。普通だ。
前ページのボンゴレについては「覚えてない」「そんなことしてない」の一点張りだった母だが、おでんカレーについてはちょっとだけ覚えていたというか、主張があるようだった。
私「ボンゴレについて覚えてないのは分かったけど、おでんのカレーも覚えてない?」
母「そんなこと、したかねえ」
私「やっぱり覚えてないんだ」
母「だって、おでんは食べきるでしょう。大抵」
私「そうだったけどさあ、珍しく余ったんじゃないの?それで」
母「うーん」
私「カレーに大根が入ってるのをすごくよく覚えてるんだよ」
母「大根? 大根だったら、よくカレーの具に入れるわよ」
私「ええっ?」
母「ユーカリの叔母さん(※)も、『あら、カレーに大根入れるの? おいしいわねえ』って言ってくれたことあったもん」(※千葉のユーカリが丘に住む叔母のこと)
なんと、私が食べたのは、おでんカレーではなく、大根入りのカレーだったのか……?
前ページで少し紹介した通り、昨年実家にやっかいになった私は滞在中母の料理の写真をたくさん撮った。
その中にはカレーの写真もあった。このときは大根は入っていなかったが、油通ししたチンゲンサイが乗っていた。
これを見て、ちょっと「あっ」と思った。
大根カレー同様、チンゲンサイもきっと子どもの頃の私は嫌がったろう(青菜の苦手な子供だった)。
これは単純に私の味覚が成長したということではないか。
さらにたたみかけてこちらの写真。
おそらくズッキーニの代わりとして、きゅうりがスープに入ってる。おいしそう! あ、でも、これも子どもの頃だったら悲鳴だ(生野菜のイメージのあるものを温めて食べるのが苦手だった)。
そして、これを食べられない子どもを見たら今の私は「子どもっぽいな」と思う。
母の料理の腕が年月を経て上がったのは確かだと思う。同時に、私の味覚も成長したのだ。
さらに、スパゲティがないから急遽そばを茹でる気持ちも、カレーに残りのおでんを入れる気持ちも、今の私ならじゅううううううううううううううううううぶん、理解できる。
冒険心のない見知った安心な料理を食べたい。それが子どもの頃の私の希望だった。
ハンバーグといえばマクドナルドのハンバーグだったから、モスバーガーのハンバーガーを「これじゃないんだよな」と思った記憶もある。今の悪食ぶりからは考えられない、ずいぶん繊細な子ども時代だ。
ボンゴレそばも、おでんカレーも今なら全然アリだ。ウニとかビールとかをおいしいと思うようになった以上に、ボンゴレそばやおでんカレーを食べられるようになったことに、強く、大人になったなあと思う。
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