特集 2022年1月26日

五島列島最北部にある有人の離島、宇久島はオフシーズンでも楽しい

突き抜けるような青い空、日差しを受けキラキラと輝くエメラルドグリーンの海、どこまでも続く海岸線。

日々の喧騒から離れ海外リゾート気分を味わえる。そんなイメージが、長崎県の離島である宇久島(うくじま)にはある。

ただし、それは夏の話。

2021年12月、ハイパーオフシーズンにも関わらずちょっと行ってきたので、その様子をお伝えしたい。

いろいろ大変だったけど、オフシーズンも宇久島は最高でした。

1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。

前の記事:山奥にある開拓分校が、アナログの音を浴びる「音浴博物館」になるまでのお話

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なぜオフシーズンに宇久島に行くことになったか

宇久島は、長崎県本土から約50㎞離れた場所にある。日本海と東シナ海にまたがり、日本有数の漁業海域・五島列島最北の有人島だ。

とはいえ五島市ではなく佐世保市に属しており、同市唯一の外海島となっている。

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人口は約1,800人ほどののどかな島だ(画像提供:宮﨑吉男さん)

 

とにかく漁業が盛んで、震えるほど魚介がうまい。

古くは鯨漁や海士(あまんし)によるアワビ、サザエ漁などで発展してきた歴史があり、現在も島内にある「浜方ふれあい館」で資料などが展示されている。

また、農業や畜産業もあり、自給自足の生活が叶ってるんじゃないかとおもう。

ちなみに、かの平清盛の弟・平家盛がこの島に上陸したという言い伝えも残されている。

わたしが宇久島の存在を知ったのは5年ほど前、編集記者の仕事で民泊体験を取材したことがきっかけだった。

白い砂浜、青い海、まばゆい太陽、一面に広がるヒマワリ畑などなど、きらきら輝く思い出が頭の片隅にずっと残っていたのだ。

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取材時、この写真のように海が綺麗すぎて、ビーチサンダルを持ってこなかったことを後悔したほどだった(画像提供・宮﨑吉男さん)

特に思い出深かったのは民泊。地元の方の家にあがって、地元の食材を使ったお料理を一緒に準備して食卓を囲むといった“島暮らし体験”だ。

その日の夜はまさに大宴会で、民泊の主以外にも、ご近所から漁師のボスやら牛飼いのおじちゃんや家族らがたくさん来て、ゲラゲラ笑いながら酒を飲み交わした。

普通の旅館やホテルでは味わえないシチュエーションである。

当時は民泊体験が試験的に始まったばかりの頃だったので、彼らと今後の島の課題とか、そんな議論を交わしたような気もする。

取材の空気感というのもあるけど、あの夜はなんとも強烈だった。それをなんとなくいま、体験したくなったのだ。

「そうだ、宇久島に行こう」。

2021年の終わりにそう思った。

そして気がつくと民泊の予約が完了していた。一年間頑張ったご褒美の強大な魔力のせいでもあったかもしれない。

「ていうか、ふつう夏だろう」という感覚は、年の瀬に離島へ旅行をするというなんだかイイことをしている雰囲気にあっさり飲み込まれてしまったのだった。

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大しけの波に揺られてなんとか到着

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島に空港はなく、隣の島との橋などもないので、移動手段はフェリーもしくは高速船のみ。佐世保港と博多港から乗れる

移動時間は佐世保港からフェリーで約3時間、高速船で約1時間半ほど。揺れが少なさそう&船賃が安いの理由でフェリーを選んだ。

3歳と1歳の子連れなので(実は家族旅行でもありました)心底不安だったが、キッズスペースがあったのでとっても救われた。

周囲を見ると、乗客はほとんど仰向けになって寝転がっている。あとあと考えると彼らは船旅の玄人たちだった。

呑気に座って子どもたちと遊んでいるのはわたしたちだけである。

結果、大しけの波に揺られてまぁまぁ酔った。下船後、「まさか離島でそんなバカな」と思えるほどの冷たい風に吹かれ、喉元までせりあがっていたものが引っ込んだ。

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わたしたちの船以外は欠航でした!
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フェリーにセブンティーンアイス自販機があったので

ターミナルで出迎えてくれたのは、今回民泊体験でお世話になる「民泊 和(なごみ)」の主、宮﨑吉男さん。

5年前の取材のときにもお世話になった方だ。

「久しぶり。心配してました。今日はもしかしたら欠航すると思ってたから」

ふと、乗船チケット販売窓口の貼り紙を見ると、わたしたちが乗った船以外はすべて欠航していた。

年末で浮かれていたが、なんて日に来てしまったんだとようやく我に返る。今日は、島民ですら心配してしまうコンディションだったのだ。

世間話もそこそこに、民泊へのチェックインまでには時間があったのでレンタカーを借りた。宇久島の民泊体験では、島の案内もしてもらえるのだ。

宮﨑さんの運転するセレナがゆっくりと走り出す。シルバーのボディと同じくらい、空も相変わらず曇っていた。

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実家に帰省したときに迎えに来てくれた親のようなテンションだった宮﨑さん(右)
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捕鯨やアワビ漁で活躍した「海士(あまんし)」

長崎に住んでいると、捕鯨文化で栄えた地域の話はちらほら耳にする。ここ宇久島もそうだった。

でっかいセレナをおそるおそる停めた、平堀川地区にある「浜方ふれあい館」でお話を伺う。

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一瞬晴れた
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発掘作業員が求人募集されていた

ここは、島内唯一の体験型施設なのだそうだ。「旧宮﨑缶詰製造所」とは、1912年(大正元年)に設立されたサザエの缶詰製造所である。

設立者の宮﨑氏は、各地に足を運び技術や知識を存分に学んだそうだ。

施設内には、その歴史や捕鯨文化などを伝える展示がたくさん。駄菓子・お土産なども販売されている。

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懐かしいスーパーボールの向こうに展示物がある
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漁などで使用していた道具も

味の良さが評判となり、宇久島の名産として販路を拡大していたサザエの缶詰。だが、第二次世界大戦の勃発により原料不足、また調味料も統制下に置かれたため製造中止になった。

しかし、終戦後10年ほどが経過し、数々の統制が解かれ物資も行き渡り、経済も上昇していった1963年。

大漁に水揚げされる島の水産物を二次産業へと繋げるために、缶詰製造所の再稼働が始まったのだ。

その後、宮﨑氏は長男の国広氏へと事業を引き継ぐ。

国広氏は長崎水産高校製造科を卒業後、広島缶詰工場で軍事用の缶詰を製造した経験を活かし、サザエのほかアワビや鰤の照り焼き、生ウニ、鶏肉の昆布巻の缶詰を製造した。

う~ん、聞いてるだけでたまらんラインナップ。とってもお酒が飲みたくなった。

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当時の缶詰はパッケージがかわいい。

島の食材を詰め込んだ缶詰は、年間約800ケースが出荷され、神戸の貿易商を通じてアメリカや台湾などに輸出。

宇久島の水産業の歴史を大きく支えた功績が称えられ、建物ごと昭和産業遺産として大切に残されているのだ。

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「それはそうと、海、大しけでしたでしょ!」とスタッフさん

いやはや、島の水産物はてっきりその場で消費されるものだと思っていたから、缶詰にする技術はまさにグッジョブである。

また、興味深かったのは「海士(あまんし)」の歴史。後述するが、その称号は平家によって与えられたという。

彼らは代々、捕鯨やアワビ漁などで活躍したそうだ。

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たくさんのアワビが入った網を首から提げた海士の写真。「お腹に当たると痛そうだけど、その分、皮が分厚くなって丈夫になったかもね」という話をお義母さんとしていた
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海士が使用していた「リョウガン」と呼ばれるゴーグル的なもの。両側についてるミミは、圧力調整用の袋(猫皮製)だそうだ。これをつけて30m潜ったらしい
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鯨の骨格、これだけで武器になりそうだ
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アワビ貝殻から作った螺鈿細工。貝は熊となり福となる。
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陽気なカラーリングの鯨恵比寿

「この近くに、珍しい恵比寿様が祀られてるんですよ。ご覧になってみます?」

とのことで、有難く見せていただくことに。建物を出て1分程テクテク歩く。

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道中、注連縄ではなく木の札を玄関に設置しているおうちがあったので撮らせてもらった。「門札」といい、神道仏道に限らず家内安全のお守りとして飾るのだという。わたしは初めて見たけどみなさんの地域でもありますか?

このエリアは古文書によると「堀川の山見」と呼ばれていたそうで、周辺に鯨遊泳の見張り場があったそうだ。

民家が立ち並ぶ通りをゆくと、鮮やかなブルーの屋根の祠が見えてきた。

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白のドットが可愛い、鮮やかなブルーの祠が!

中を見せていただくと、にっこり笑うビビッドな恵比寿様が。よく見てみると、鯨に乗っている。

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捕鯨の歴史がここにも!

なぜこのカラーリングなのかを尋ねると、

「数年前に地元の方々が色を塗って綺麗にしたんですよ」とのことで、詳しい意味などはわかっていないそうだ。

ただ、塗ってるとき、すごく楽しかっただろうなと思う。キャッキャしながら塗ってたんだろうな。わたしも混じりたい。

タイのお寺にいそうな、異国情緒あふれる恵比寿様は宇久島の守り神なのだ。

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インナーがシルバーの恵比寿様も。すてき。
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車から降りずに観光地をめぐればサファリパーク気分

今日という日に訪れてしまったためか、「ほんと、夏に来れば良かったんですけどね」が島民の方への挨拶となった。

わかってはいたのだが、それにしても、こんな悪天候でも気持ちが沈まなかったのは、オフシーズンこそ、地元感を味わえるのではないかとおもったからだ。

今回のテーマはリゾートではなく、より地に足の着いた地元感。

しかしながら、冬という季節ゆえ、巡った場所はことごとく島民の方でも絶対行かないようなスポットになってしまったので、結果的に観光めいた空気にはなってしまったのだが。

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近年、若者たちのマリンスポーツにも人気のあるスゲ浜海水浴場。島内2番目の広さで、温暖な海浜に咲くヒガンバナ科の多年草ハマユウの群落も見られる。それを車窓から見る。
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いま、僕らは野生の海を見ているぞ!

真冬で大しけの海は、観光客を歓迎しないまさに野生の状態。車の窓から見ていると、まさにサファリパークのような感覚に陥るのだった。

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1400頭ほどの長崎和牛たちが島内に放牧されている。きっと美味しい。彼らは人間を発見すると、じっとこちらを見たり、ご飯くれないか、といったようすで駆け寄ってきたりするそうなのでますますサファリパークだ。

以下、明日のフェリーを心配しつつ回った場所をお伝えする。

●すごく神々しい海

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宇久島は、約190万年前の噴火によって誕生した玄武岩といった火山岩でできた島だ。そのためか、佐世保や長崎市で見るのとはまったく違う景色が眼前に広がっていた。鈍色の分厚い雲から光が差し、波は銀色のしぶきをあげる。
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まさに東映オープニングのやつだ。あまりの神々しさに加え、寒さと風のびょうびょう吹き付ける音で、日本なのか海外なのか、はたまた夢か現実かわからない状態に。ちなみに、これだけ波の大売り出しな環境にも関わらず、この島はサーフィンには向いていないらしい。

●対馬瀬灯台

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ファッションスナップとは思えないポージングに(うちのお姑さんはファッショニスタなのです)

肝心の灯台は、一瞬だけ撮ったこちら。本当に寒くて手がかじかんで数秒ともたなかったのだ。

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このあと、スマホの電源が突然切れて焦りました

●火焚崎(ひたきざき) 

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1187年壇ノ浦の戦いに敗れた平家盛が安住の地を求めて辿り着いた場所という言い伝えが残っている。この岬で、漁士たちが家盛公を温め暖を取らせたことから「火焚崎」の名がついたとされる。名前は暖かいけど寒いので、記念塔も車からサファリ。
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その名の通り、家盛公たちが乗っていた船を隠したとされる入江「船かくし」。当時を物語る史跡だが、あまりの寒さと暴風で撮影を断念。(画像提供:宮﨑吉男さん)

ちなみにこちらは、宮﨑さんも出演した宇久島PR動画。平家盛上陸のようすが再現されている。

「8時間のロケの末、私の出番は一瞬でしたよ~」だそうだ。 

 

●アコウの巨樹

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樹齢数百年といわれる五島列島最大規模のアコウ。存在感がすごい
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根っこと枝がカーニバル。なぜか劇場版ドラゴンボール「地球まるごと超決戦」を思い出した。幹回りは約16mあり、現在も成長を続けてるそうだ。

●車の轍があったので勢いで行ってみた島の北側

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「車の轍があるから行ってみよう!」と道なき道を進んだ結果たどり着いた場所。
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「アメリカの田舎みたい!」とお義母さん。本当に日本じゃない感じがする。アメリカの画家アンドリュー・ワイエスの絵を思い出すとのこと(夫撮影)
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振り返ると車のCMだった。離島はドラマティックな場所なのだと再認識した。
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島めしでお正月を先取りした

宮﨑さんの民泊「和(なごみ)」に到着した。

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民泊「和(なごみ)」を経営する宮﨑さんご夫妻。

ここは宿泊者用の離れ。本館は隣の家屋だ。民泊で新館できるのすごい、と純粋におもった。

古民家をリノベしたばかりだそうで、どこを見ても古くて新しい。

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着いて10分もしないうちに生活感でいっぱいになった
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奥さん(ふじこママ)手作り、五島の郷土料理「かんころ餅」。かんころ=長崎の方言で「さつまいもを薄く切って日干ししたもの」、これに餅を混ぜて完成だ。さつまいもの優しい甘さとモチモチがたまらない!

「5時になりました。遊びをやめて、お家へ帰りましょう。」防災ラジオから、夕方5時を告げる時報が鳴り響く。

旅行先でローカル番組や天気予報にワクワクするのはもちろんだが、時報やラジオもまた旅情。いいもの聴いたぜ!となぜか得した気持ちになる。

夕飯の支度も出来たので、配膳のお手伝いをする。もうこれは実家じゃないか。この辺が宇久島民泊の醍醐味。

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魚介が新鮮なのはやはり島ならでは。宇久島がある五島列島近海は、とにかく海が綺麗、対馬海流で多種多様な魚が流れ込む、東シナ海に広がる世界有数の大陸棚、潮の流れが早いため身がキュッと締まった魚が育つなど好条件が大フィーバーで釣りファンも多く訪れるのだ。

「島めし」だ。朝獲れの超新鮮な魚介をいただく。野菜ももちろん地元産、自給自足めしだ。

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ちなみに感動したのはこちらのウニだった。岩塩で少し味付けしたものだが、箸の先端にちょんと乗せただけで口の中が磯になる。海だけじゃなく空までも食べてる気持ち。鼻と口が繋がって総面積が大きくなる感じ。この感動伝わるだろうか。
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ずっとにごり酒とよろしくやりつつ団らん。宮﨑さんに「佐世保で美味しいお店知ってます?」と聞かれ、自信満々で魚介の店を紹介したら「すみません…できればお肉のお店で」と言われてしまった。そりゃそうだよな
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限られた時間ではあるがゆっくり団らん。互いに郷土愛を語っている(たぶん。わたしも酔っていたので記憶があいまいです)
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さらに唸ったのが椿油のアヒージョ。油はすべて、宮﨑さんが島の椿から独自に絞ったやつだ。オリーブほどのクセはなく、ややフルーティーな香ばしさがありとても美味。これ全部飲んだらわたしのクセっ毛がおさまってくれるだろうか

いつ宴が終わったのかもはっきりしないまま、各自ぱらぱらと就寝。

消灯後、台所の灯りのなかふじこママが後片付けをしている音と、洗剤の香りになんだか懐かしさを覚えつつ眠りについた。

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「これがあると人んち」アイテムの1つだとおもう、大きい花柄の掛け布団とカバー。だけど、これは初めて見るタイプだった

スーパーで現実に戻る

朝、防災ラジオから船の欠航を知らせるアナウンスが聴こえてきてドキッとしたが、わたしたちとは関係のない便だった。

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よかった、船は出る…はず。

裏口から「おはようございまーす!」と、どよんとした雲を吹き飛ばすかのような男性の声。漁師さんが獲った魚を持ってきてくれたらしい。

「はーい、ちょっと待ってね!」とふじこママが出て行った。ご近所付き合い、これも日常の風景。というか、こんな寒い日でもやっぱり漁に出るんだな。美味しいお魚有難うございます漁師さん…。

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そして、宮﨑夫妻と朝ごはん。やっぱり超豪華。撮るの忘れてしまったけど、紫芋ジャムのヨーグルトが鼻血出そうなほど美味しかったです

お世話になった宮﨑夫妻にお礼を告げ、ふたたびレンタカーを走らせる。

行先は地元のスーパーだ。島の生活の香りをかがせてほしい。

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やはり、地元のスーパーに行かねば始まらない!
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観光客にもばっちり対応していた

変わったものがなにもなくてハッとした。鬼滅の刃が大好きな若いスタッフが描いたPOPが棚を彩る、活気のあるお店。

まさかの、地元スーパーで旅行気分から現実に戻ったぞ!

島だけど、とても地続きなもののように感じたからかもしれない。環境は違えど人の生活はだいたい同じなのだ。

それをこの旅で知りたかったのでとても良かった。一年の締めくくりとして穏やかな気持ちになった。

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この島唯一の信号機。赤信号になるのは子どもたちの登下校時

オフシーズンでも離島はたのしい

「夏に来れば良かったんですけどね」と挨拶して回り、「今度は夏に来てね!」と見送られた宇久島旅行。

しかし、自然も人も良い意味でオフだったので、冬場の離島も全然アリだ。

観光客ウェルカムな要素が少ないほど、より地元の生活の空気を味わえると思っている。

ただ、どのシーズンにおいても、船による長時間の移動はつらい。30代半ばでこの課題に突き当たるとは思いもしなかった。

そんなわけで、離島に行く唯一のハードルは船酔いである。季節なんて関係ないのだ。

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船酔いがひどくて目の前の船内用ブランケットをじっと見つめていた思い出

 

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