ジュースをなめるな
家族で外食をしている時、我が子を見ていて思う。「ジュースのこと、なめてんな」と。1980年生まれの私にとって、ジュースは近寄りがたいオーラを放つ存在であった。
我が家の場合、そもそも外食自体が稀なイベントで、さらにジュースを頼むなど至難の業。親の顔色を窺い、酒が進んで上機嫌になってきたタイミングで恐る恐る切り出す。
「ジュース飲んでも良い?」
「駄目!水を飲みなさい!」
この挑戦を根気良く続けて、何回かに一回口にできる奇跡の甘い水、それがジュース。

なのにうちの子ときたら、ドリンクバー頼んでるのに1回もおかわりしない時すらある。ドリンクバーなんてシステム、子供の頃の私が見たら泡吹いて倒れちゃうぞ。もっとジュースに敬意を払え。
輝いていたファミレスのおもちゃ売り場
ジュースだけじゃないぞ。ファミレスだって簡単に近寄れる場所じゃなかった。仮面舞踏会とかリッツパーティーとかと同じ、限られた者だけが立ち入れる非日常空間。家の近所に初めてデニーズが伝来した時なんて、しばらく町全体がざわついてたよ。
連れてって貰えるのは年に数回。ハンバーグやらコーンポタージュやらで「やっぱここ、スゲー!」と感動した後、ファミレスの非日常性を決定的なものにするイベントが待ち受けていた。それがレジ横にあるおもちゃコーナーである。

バネのおもちゃやミニカー、光るシールや指輪。子供心を掴みまくるラインナップ。なんだここ?桃源郷じゃん。
しかしジュースですら却下される時代に、おもちゃを買って貰うなんてトム・クルーズですら遂行不可能なミッション。「ねだってみよう」なんて考えすら湧いてこず、親が会計を済ませる間しゃがみこんでじっとおもちゃを眺めるのみであった。
ファミレスのおもちゃが自由に買えるというアメリカンドリーム
しかし時の流れとは恐ろしい。親が買ってくれなかった、なんて言ってる場合じゃない。今や私が親なのである。自分でレジ横のおもちゃを買えるくらいのお金は持ってる。3,000円くらい持ってる。これぞアメリカンドリーム。子供時代の私の無念を晴らせるのは、私自身しかいない。買うぞ。今こそ買うぞ。
しかし時の流れとは恐ろしい(2回目)。ここ数か月、ファミレスに行く機会があると必ずレジ横に注目していたのだが、あのおもちゃコーナーがないのである。


今の子供達にとってはジュースと同じく、おもちゃも大騒ぎするような存在ではなくなってしまったのか?
少女の背中
そんなある日。家族でバーミヤンに食べに行ったら、あったのである。


高鳴る鼓動。荒くなる鼻息。「落ち着け」。自分に言い聞かせる。息を整えるために横のソファに腰掛けた時、見覚えのある光景が目の前で繰り広げられた。
幼い少女がおもちゃの前にトコトコやってきて、「これ買って~」とお母さんに懇願したのだ。「駄目よ!」。お母さんは0.01秒で却下した。
ファミレスのレジ横のおもちゃ、今でも子供たちを惹きつける存在だった!そして今でも手の届かない存在だった!
悲しい表情を浮かべトボトボ帰っていく少女の背中を見ながら私は思った。(残念だったな。オジちゃんは今から思う存分、買う。君もいつかそんな成功を手に入れる日が来るさ)と。
イッツ・ショータイム
さあ、買うぞ。完膚なきまでに、買う。汗ばむ手で、千円札を握りしめる。




熟考した末に、私は商品をレジに持っていった。