木造駅舎の趣
次は「えびの駅」に行こうと思う。大正元年(1912年)に「加久藤駅」として開業し、平成2年(1990年)に「えびの駅」に改称された。そんな駅に令和元年(2019年)に訪れるのだ。そう考えると改称があと1年早ければ、元年だらけだった。
吉都線開業から唯一、建築当時のままで現存する木造駅舎だ。やはり趣の塊。曾祖母がえびのにいたので子供の時に何度か来たことがある。当時は何も思わなかったけれど、今は趣を感じる。これが成長だ。
現在は国の登録有形文化財となっている。無人駅となって30年以上が経っている。線路に生える緑が濃く、夏を感じた。あといま思い出すと、夏にしかここに来たことがないので、私は条件反射でえびの駅に来ると夏を感じるのかもしれない。
田の神さぁを巡る
えびのと言えば「田の神さぁ」だ。「たのかんさぁ」と読む。田の神信仰のひとつで、田の神信仰自体は全国にあるけれど、形を持たないものが多かった。しかし、ここでは「田の神さぁ」として形を持っている。
田の神さぁは薩摩藩に多く、えびのは薩摩藩だったので田の神さぁが街のあちこちに置いてある。簡単に言うと豊作を願うもの。えびのは田んぼが多い。ひのひかりなどを育てており、2015年には宮崎県初の米の食味ランキングで特Aを取っている。
田の神は冬場は山の神で、田植えを行う春に山から下りて田の神となり、収穫となる秋が終わると山に帰る。山の神は一般に女性だけれど、田の神になる山の神は男と考えられている。
えびの最古の田の神さぁは1724年のもの。田の神を石に刻んでというのは薩摩藩独特のものだ。薩摩藩が農民に要求した禁止事項に「市中で多数の寄り合い」、「平日村で打ち寄り酒を飲むこと」があり、農民は理由をつけて酒を飲むために、田の神祭りを考え、そのひとつが田の神さぁだった、たぶん。
田の神は優しい神で、汚しても転がしても怒らず、おままごとの相手をしてくれたり、盗まれても特になにもなく、神無月にも出雲に行くことはなく地元に残る、農民に非常に近い神だった。
農民型の田の神さぁは、メシゲ(しゃもじ)とすりこぎを持っている。これは男性のシンボルを意味している。田の神は増殖の神なのでそういうことなのだろう。平安時代に編纂された「古語捨遣」には、イナゴ駆除のために男茎型の田の神を作ったとも書いてある。
田の神さぁは大きく4つに分類することができる。「神官型」「農民型」「地蔵型」「自然石」だ。鹿児島では同じ型でも名称が異なるけれど、型としてはこの4つ。おそらく初期は田の神は木や自然石だったけれど、目立たないからいろいろなパターンが生まれたのだろう。
木を田の神にすると、田んぼを見渡せる場所にあるので、影ができて作物に問題が生じる。自然石だと、どの石だったか区別がつかない。そこで上記のようなものになっていったと考える。自然石でも顔が描かれたものもあるしね。
同じ宮崎でもたとえば、飫肥藩だった日南市では田の神信仰はない。人吉藩だった西米良市は田の神信仰はあるけれど、形あるものはない。今の宮崎全体のものではないのだ。えびのにはこのような田の神さぁが100以上もある。どれも面白いので、見ているとすぐに時間が過ぎる。神だけれど、時間泥棒でもある。
小学校時代を鹿児島で過ごした私は、学校の授業で田の神さぁを学んだ。その姿に心を奪われた私は資料集にあった田の神さぁを見に行った。授業だけでは足りないと現場にも行ったのだ。それくらい好きだった。なので大満足。
えびのソフトクリーム
えびのに行ったので「えびのソフトクリーム」を食べようと思う。ただ食べるのはえびのではなく、宮崎市にある「道の駅フェニックス」。「えびの」ソフトクリームではなく、「えび(海老)」のソフトクリームなのだ。
ソフトクリームはバニラやチョコ、変わり種でいちごやぶどうだったりするけれど、違う。海老なのだ。食べてビックリした。海老なのだ。甘いけれど、海老。海老なのだ。これはなんですか? と聞かれたら「海老」と答えるしかない海老だった。